チリ、新憲法草案への国民投票は再び否決、改憲は事実上とん挫へ

~ボリッチ大統領は改革に意欲も少数与党の道のりは険しく、政治、経済両面で厳しい展開が続くか~

西濵 徹

要旨
  • チリでは17日に新憲法草案の是非を問う国民投票が実施された。同国では軍政下に制定された現行憲法が格差の「元凶」として、2019年に発生した反政府デモ以降改憲議論が盛り上がりをみせた。一昨年の制憲議会選や大統領選では急進左派が躍進し、左派色の強い憲法草案が策定されたが、昨年実施された国民投票ではその内容が右派や中道派から拒否されて否決された。その後に改憲をやり直すべく実施された制憲評議会委員選では一転して右派が勝利し、策定された新たな改憲案は現行憲法よりも右派的な内容に一変した。結果、17日の国民投票では反対票が半分を超えるなど再び否決された模様である。ボリッチ大統領は改憲プロセスの終了を明言する一方、議会を通じて年金や税などの改革を目指すとしているが、与党が少数派に留まるなかでその道のりは険しい。経済のファンダメンタルズが決して盤石とは言いがたいなか、先行きの同国については政治、経済両面で厳しい展開が待ち受ける可能性に要注意と言える。

南米のチリでは、17日に新憲法草案の是非を問う国民投票が実施された。同国においてはここ数年、軍事政権下の1980年に制定された現行憲法が規定する新自由主義的な政策運営が社会経済格差の『元凶』になっているとの批判が強まった。そうした動きは2019年の首都サンティアゴの地下鉄料金引き上げをきっかけとする反政府デモを機に大きく広がるとともに、憲法改正を求める動きに発展した。2020年には当時のピニェラ政権が憲法改正の是非を問う国民投票を実施し、有効投票数の8割弱が憲法改正に賛成、同様に8割弱が新憲法草案を策定する制憲議会の議員をすべて民間人とする旨の民意が示された(注1)。そして、翌21年に実施された制憲議会選挙では、急進左派や反体制派、無党派が多数を占めることとなったほか、その後に実施された大統領選においても急進左派が推すボリッチ氏が決選投票を制するとともに、議会選挙でも急進左派が上下両院で議席を増やすなど躍進を果たした(注2)。昨年には急進左派のボリッチ政権が誕生する一方、政権を支える急進左派の与党は議会上下院双方で少数派に留まる『ねじれ状態』となった。しかし、上述のように制憲議会は急進左派などが多数派を占めたことで、その後に示された新憲法草案は現行憲法から大きな転換を促すものとなった。他方、コロナ禍による景気低迷が深刻化するなかでボリッチ政権は有効な対策を打ち出せず、結果的に政権支持率は低迷するとともに、抗議デモが頻発する事態に見舞われた。さらに、制憲議会が制定した新憲法草案は様々な急進的な内容を盛り込んだことで、保守派のみならず、中道派からも批判を集める格好となり、昨年9月に実施された新憲法草案に対する国民投票は6割以上が反対する形で否決された(注3)。よって、憲法改正に向けた手続きはゼロからの出直しを余儀なくされた。こうしたなか、今年5月に実施された新たな憲法草案を策定する制憲評議会委員選挙においては、一昨年の大統領選の決選投票でボリッチ氏と激戦を繰り広げた右派ポピュリストのカスト氏が設立した共和党が躍進して単独で拒否権の発動が可能になるとともに、中道右派や右派を併せて圧倒的多数を占めるなど状況は一変した(注4)。結果、制憲評議会が策定した新たな憲法草案は現行憲法以上に右派色の強いものとなった。具体的には、私有財産権や移民と妊娠中絶に対する厳格な規則が盛り込まれるなど、前回の新たな憲法草案では先住民や環境、ジェンダーに関する権利に焦点を充てた左派色の強い内容であったのとは対照的なものとなった(注5)。よって、世論調査においては新たな憲法草案に対しても国民の間からは否定的な見方が多数を占める動きがみられたため、今回の憲法改正についても絶望的との見方が広がった。こうしたなか、国民投票は選挙管理委員会による開票率99%段階における中間結果時点で反対が55.76%、賛成が44.24%と賛成が半数を下回る見通しとなっており、再び否決されることとなった。ボリッチ政権が誕生して以降の同国においては、その後に実施された選挙を巡って右派と左派が分裂する『二極化』の様相を強める展開が続いており、今回の結果もそうした社会情勢を反映したものと捉えられる。この結果を受けて、ボリッチ大統領は憲法改正について「任期中は憲法制定に向けた取り組みを終える」と述べるなど現行憲法の維持を明確にするとともに、議会を通じて年金や税制をはじめとする社会保障政策の改革を実現する方針を改めて示した。ただし、上述のように議会上下院双方でボリッチ政権を支える与党は少数派に留まることを勘案すれば、大規模な構造改革を推進するハードルは極めて高く、ボリッチ政権がリチウム産業の国有化を目指すなど『資源ナショナリズム』色を強めていることも相俟って厳しい状況が続くことも予想される(注6)。なお、同国の通貨ペソ相場を巡っては実体経済を巡る動向や政治などの動き以上に、主力の輸出財である銅の国際市況の動向に左右される傾向があるなか、このところは中国経済の不透明感の高まりやそれに伴う銅価格の低迷の動きが重石となってきた。足下においては米ドル高の動きに一服感が出ていることも反映して底打ちする兆候がみられるものの、先行きについては中国経済の動向を含めて不透明なところが少なくないのが実情であろう。他方、高止まりしてきたインフレは頭打ちの動きを強めているほか、中銀も10月の定例会合において3会合連続の利下げを実施するなど景気下支えに注力する姿勢をみせているものの、世界経済を巡る不透明感が強まるなど外需を取り巻く環境の厳しさが意識されやすいなかで一進一退の動きをみせる景気の底入れは期待しにくい状況にある。同国を巡ってはここ数年、外貨準備高が国際金融市場の動揺への耐性が乏しいと試算される展開が続いており、足下においては先行きの米FRB(連邦準備制度理事会)による利下げが意識されるなかで米ドル高圧力が後退するなど、新興国通貨にとって相対的に投資妙味が高まりやすい環境にあることが追い風になっているとみられるものの、経済のファンダメンタルズ(基礎的条件)の脆弱さが注目されやすいなかでは外部環境の変化に晒されやすいことを意味する。よって、同国を巡っては政治、経済両面で厳しい展開が続く可能性に留意しておく必要があると捉えられる。

図表1
図表1

図表2
図表2

以 上

西濵 徹


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西濵 徹

にしはま とおる

経済調査部 主席エコノミスト
担当: アジア、中東、アフリカ、ロシア、中南米など新興国のマクロ経済・政治分析

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