チリ大統領選、右派と左派の両名による決選投票へ

~右も左も「ポピュリスト」、左派旋回の可能性は低下も格差問題は大きく、失地回復は困難が続こう~

西濵 徹

要旨
  • 中南米のチリは地域の「優等生」と称されてきたが、2019年以降の反政府デモの激化で評価は一変した。その後も新自由主義政策を謳う憲法の改正が進むなど、左派色が強まる流れがみられた。一方、昨年来の新型コロナ禍では同国でも感染が拡大したが、「全方位外交」によるワクチン調達を背景に接種が進んできた。結果、感染動向は大きく改善しており、政府は9月末に非常事態宣言を終了させた。ただし、足下では行動制限の緩和を受けて新規陽性者数は再び底打ちする兆候が出るなど、依然として火種はくすぶっている。
  • 同国を含む中南米諸国は新型コロナ禍の影響を受けるも、足下では総じて感染動向は改善している。一方、国際商品市況の上昇や景気回復の一方、国際金融市場での通貨安を理由にインフレが顕在化しており、中銀は金融引き締めを余儀なくされている。チリでは景気の底入れが進んでマクロ経済面では新型コロナ禍の影響を克服しているが、社会・経済格差が大きいなかで感染対策や物価高、金利高は格差を助長する傾向がある。結果、政治の季節が近付くなかでピニェラ政権を支える中道右派与党は厳しい状況に直面した。
  • 大統領選の当初は5月の制憲議会選で大躍進した左派候補のボリッチ氏の優位が伝えられた。しかし、左派ポピュリズム色が強く、CPTPPを含む自由貿易協定の見直しを主張する同氏には経済界や右派が拒否感を示し、右派のカスト氏が猛追した。21日の大統領選ではカスト氏が1位、ボリッチ氏が2位となり、両名による決選投票に持ち込まれる。カスト氏が優位とみられる一方、右派ポピュリズムで国民保護主義色が強いなど周辺国との軋轢を生むリスクがあるなど、次期政権は失地回復に向け難しい対応が迫られよう。

中南米のチリは、中南米諸国の間でも1人当たりGDPの水準が高く、2010年には『先進国クラブ』と称されるOECD(経済開発協力機構)加盟を果たすとともに、長年に亘って政治及び経済の両面で安定するなど地域の『優等生』とされてきた。しかし、ピノチェト元政権が舵を切った新自由主義的な経済政策の下、その後も同様の政策運営が行われたことでOECD加盟国のなかで最もジニ係数が高いなど社会・経済格差が大きい状態が続き、近年は生活費や教育費などの高騰により格差が一段と拡大してきた。こうしたなか、2019年にピニェラ政権が財政健全化を目的に公共料金(地下鉄料金)の引き上げを決定したことを契機に学生デモが発生し、これが『火付け役』となる形で社会・経済格差の是正を求める反政府デモが活発化し、同年末に同国で開催予定であったAPEC(アジア太平洋経済協力)首脳会議、及びCOP25(国連気候変動枠組み条約第25回締約国会議)が断念に追い込まれた(注1)。その後も反政府デモの動きは社会・経済格差の是正を求める動きから、ピノチェト元政権下で制定された現行憲法の改正を要求するなど政治体制の転換を求める動きに発展し、昨年実施された改憲の是非を問う国民投票は8割近くの賛成票を得たほか(注2)、今年5月に実施された制憲議会選挙ではピニェラ政権を支える中道右派の与党連合(チリ・バモス)が大敗北を喫した(注3)。なお、昨年来の新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)のパンデミックに際しては、同国においても感染拡大の動きが広がり、ピニェラ政権は非常事態宣言の発令に動くとともに、感染拡大の中心地となった首都サンティアゴなどを対象に強制的な外出制限を実施する事実上のロックダウン(都市封鎖)措置が採られた。他方、チリは伝統的に様々な国や地域との間で自由貿易協定(FTA)を締結するなど『全方位外交』を展開しており、こうした外交関係を背景にワクチン調達を積極化させた結果、今月20日時点における完全接種率(必要な接種回数をすべて受けた人の割合)は82.93%、部分接種率(少なくとも1回は接種を受けた人の割合)も87.64%と国民の9割近くが少なくとも1回はワクチンにアクセスするなど、ワクチン接種の『優等生』の一角となっている。こうした状況の一方、同国で接種されているワクチンの4分の3は中国製ワクチンが占めており、その有効性に対する疑問が呈されることが少なくなかったなか、年明け以降は同国でも感染力の強い変異株が流入して感染が再拡大するなど、感染対策の難しさが改めて確認された(注4)。しかし、同国における新規陽性者数は6月初旬を境に頭打ちしてきたほか、その動きに呼応するように死亡者数の拡大ペースも鈍化するなど感染動向が改善したことを受けて、政府は9月末に非常事態宣言を終了させるとともに、経済活動の正常化に向けて舵を切っている(注5)。このように政府が経済活動の正常化を急ぐ背景には、大統領選をはじめとする国政総選挙の実施が迫るなかで政権与党は劣勢状態に立たされる状況が続いており、早期の経済活動の正常化による立て直しが必須になっていることも影響したとみられる。ただし、人口100万人当たりの新規陽性者数(7日間移動平均)は6月初旬のピーク(373人:6月8日時点)を境に頭打ちして9月初旬には22人まで減少したものの、その後の行動制限の解除を受けて今月20日時点では123人と底入れしており、再拡大の兆候が出ている。感染動向は峠を越えているものの、依然として火種はくすぶる状況がうかがえるなど難しい状況にあると判断出来る。

図 1 ワクチン接種率の推移
図 1 ワクチン接種率の推移

図 2 チリ国内における感染動向の推移
図 2 チリ国内における感染動向の推移

同国をはじめとする中南米諸国においては、昨年来の新型コロナ禍を経て経済に深刻な悪影響が出たものの、足下においては各国の感染動向は総じて改善の動きを強めるなど景気の追い風となる動きがみられる。さらに、感染動向の改善が進んでいるほか、昨年後半以降の世界経済の回復の動きを追い風に原油をはじめとする国際商品市況は上昇しており、モノカルチャー経済的な構造を有する中南米諸国にとっては交易条件の改善が景気回復の追い風になっているとみられる。他方、原油をはじめとする国際商品市況の上昇は各国においてインフレ圧力を招いているほか、景気回復の動きも追い風にインフレ圧力が増幅される動きもみられる。そして、国際金融市場においては米FRB(連邦準備制度理事会)が新型コロナ禍対応を目的とする量的緩和政策の縮小を決定するなど、世界的な『カネ余り』の手仕舞いが意識される動きがみられるなか、米ドル高圧力の強まりを反映して各国通貨に調整圧力が掛かるなど、輸入物価の押し上げがインフレ圧力を増幅する懸念もくすぶる。このように中南米諸国においては、新型コロナ禍対応が一巡する一方、インフレ対応として中銀が利上げ実施を迫られるなど難しい状況に直面している(注6)。チリにおいても、中銀は7月に利上げ実施に舵を切るも景気に配慮する形で『ハト派』姿勢を維持する考えをみせたものの(注7)、その後もインフレ圧力が強まるなかで9月、10月と相次いで利上げ実施を迫られるとともに、10月の定例会合においては利上げ幅を125bpと大幅に拡大させるなど急速にタカ派姿勢を強めている。こうした対応にも拘らず、足下ではインフレ率、コアインフレ率ともに中銀の定めるインフレ目標を上回る推移が続くなど、中銀は難しい対応を迫られている。同国経済を巡っては、上述の通り2019年末にかけて反政府デモが活発化したことを受けて景気に下押し圧力が掛かったほか、昨年前半は新型コロナ禍の影響を受ける形で一段の下振れを余儀なくされたものの、昨年後半以降は世界経済の回復による国際商品市況の上昇の動きが景気の底入れを促すとともに、足下では感染動向の改善を受けた行動制限の緩和の動きも追い風に底入れの動きを強めている。結果、7-9月の実質GDP成長率は前期比年率+20.96%と5四半期連続のプラス成長となっているほか、中期的な基調を示す前年同期比ベースの成長率も+17.2%と2四半期連続の二桁成長となっており、実質GDPの水準も新型コロナ禍の影響が及ぶ直前の一昨年末と比較して+10.4%、反政府デモが活発化する直前の2019年7-9月と比較しても+5.9%上回るなど、マクロ経済面では新型コロナ禍も一連の反政府デモによる影響も克服していると捉えられる。しかし、新型コロナ禍対応として実施されたロックダウンなど行動制限を通じた感染対策は貧困層や低所得者層などに一段と悪影響を与えている。昨年以降も反政府デモが散発的に発生する状況が続いており、足下における物価高や金利高の動きはこうした動きに火を点けてきたとみられる。このようにマクロ経済面では回復が進んでいるものの、大統領選をはじめとする『政治の季節』が近付くなかでもピニェラ政権を支える与党連立には追い風がまったく吹かない状況が続いてきた。

図 3 インフレ率の推移
図 3 インフレ率の推移

図 4 実質 GDP 成長率(前期比年率)の推移
図 4 実質 GDP 成長率(前期比年率)の推移

なお、大統領選は計7人が出馬するなど乱戦状態となり、現与党の中道右派連合からは無所属ながらピニェラ政権下で社会開発経済相や中銀総裁を務めたセバスティアン・シチェル氏を大統領候補とした。一方、上述のように5月の制憲議会選において大躍進した左派連合は、その旗振り役となった学生運動出身者である左派政党の社会融合党のガブリエル・ボリッチ氏を大統領候補として連立を形成して政権交代を目指す姿勢をみせた。こうした経緯から、選挙戦初期における世論調査ではボリッチ氏が他の候補者を圧倒する動きがみられるなど、優位に選挙戦を進めると見込まれるとともに、長年に亘って中道右派政権の下で新自由主義的な政策運営を志向してきたチリにおいても左派政権が誕生する可能性が意識された。ボリッチ氏は、ピノチェト元政権下で制定された現行憲法で規定された『小さな政府』による自由な企業活動を奨励する新自由主義的な経済政策から、教育や医療、年金などの社会保障を全面的に充実させる『大きな政府』への転換を政策の柱に掲げている。さらに、財政政策面ではバラ撒きも辞さないなど『ポピュリズム』的な色あいが強く、わが国も加盟しているCPTPP(環太平洋パートナーシップに関する包括的及び先進的な協定)をはじめとする自由貿易協定の見直しを主張するなど長年に亘る『全方位外交』の撤廃を模索するほか、環境保護や先住民の権利強化などを訴えている。チリを巡っては、CPTPPの『原型』である4ヶ国による環太平洋戦略的経済連携協定(P4)の一角を占めるなど、自由貿易の推進を半ば国是としてきたことを勘案すれば、同国の通商政策の大転換を目指す考えをみせてきた。しかし、チリの人口は1,900万人強に満たないなど経済構造面で外需依存度が高く、ボリッチ氏による通商政策の大転換を目指す姿勢は経済界や右派を中心に忌避され、旧来の中道右派勢力の支持者の『受け皿』として弁護士出身で右派のチリ共和党から出馬したホセアントニオ・カスト氏がボリッチを猛追する動きがみられた。結果、先月以降の世論調査ではカスト氏とボリッチ氏が交互に1位を競う展開となるなど、2名が接戦を演じてきた。なお、カスト氏はピノチェト元政権が実施した新自由主義的な経済政策を称賛する姿勢をみせる一方、治安改善を訴えるとともに、経済混乱に伴う拡大の動きが社会問題となっているベネズエラからの移民流入を巡って厳正に対処する姿勢を示すなど国民保守主義的な色あいの強い主張を繰り返している。なかでも、カスト氏はピノチェト軍政時代の肯定、礼賛のほか、国民保護主義色の強い主張とともに、直截的な言動を理由に米国のトランプ前大統領やブラジルのボルソナロ大統領などと比較されている。その意味では、大統領選挙は右派と左派の『両極』による選挙戦が繰り広げられてきた。こうしたなかで21日に実施された大統領選では、カスト氏が1位、ボリッチ氏が2位となるも、いずれの候補も単独で半数を上回る票は得られず、来月19日に実施される両氏による決選投票に持ち越されることとなった。両氏の得票率の差は2pt程度と僅差ではあるものの、右派は想定以上の票を得る結果となっており、中道右派を中心とする現政権の支持者の多くは経済政策面では右派に近いことを勘案すれば、決選投票までの『どんでん返し』が起きなければカスト氏が勝利する可能性が高いと見込まれる。チリにおいて左派政権が誕生する可能性は低下していると見込まれる一方、社会・経済格差が国内の分断を生む一因となるなか、カスト氏による国民保護主義的な政策運営は周辺国との間で新たな軋轢を生むことも予想されるほか、国際金融市場においては通貨ペソ相場が調整の動きを強めるなど物価への悪影響が懸念される。また、ここ数年は同国の主力の輸出財である銅価格の低迷の影響で外貨準備高も減少しており、IMF(国際通貨基金)が想定する国際金融市場の動揺に対する耐性に関する適正評価(ARA:Assessing Reserve Adequacy)を巡っては適正水準を下回るなど厳しい状況が続いてきた。しかし、足下では銅価格の堅調さや世界経済の回復の動きなども相俟って外貨準備高は増加しており、直近9月末時点では適正水準の下限をわずかに下回る水準にまで回復するなど状況は改善している(注8)。その意味では最悪の状況に陥るリスクは低いと見込まれるものの、次期政権の政権運営はここ数年急速に評価を落とした状況からの『失地回復』が急務ななか、いずれにせよ難しい対応が迫られよう。

図 5 ペソ相場(対ドル)の推移
図 5 ペソ相場(対ドル)の推移

以 上

西濵 徹

西濵 徹

にしはま とおる

経済調査部 主席エコノミスト
担当: アジア、中東、アフリカ、ロシア、中南米など新興国のマクロ経済・政治分析

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