チリ中銀は利上げ実施も「ハト派」を維持、ペソ相場の行方は不透明に

~感染動向にようやく収束の兆候も、大統領選・議会上下院選での政権交代は必至の情勢~

西濵 徹

要旨
  • チリは中南米の「優等生」と称されてきたが、一昨年以降の反政府デモの激化により政治が混乱し、昨年は新型コロナウイルスの感染拡大に見舞われて経済も大きく混乱した。他方、「全方位外交」を展開するなかでワクチン接種を積極化させてきたが、感染対策が蔑ろにされたことで感染収束がほど遠い状況が続いた。しかし、足下では新規陽性者数は鈍化するなど、ようやくワクチン接種の効果が発現しつつあると判断出来る。
  • 同国では反政府デモをきっかけに改憲議論が高まり、昨年実施された国民投票で改憲実施が前進するとともに、5月の制憲議会選では左派が多数派を占めるなど政治・経済体制が大きく転換する可能性が高まっている。足下の同国経済は銅価格の底入れやワクチン接種による景気底入れが期待される一方、インフレ懸念が高まるなか、中銀は14日の定例会合で利上げ実施に踏み切った。ただし、中銀は利上げ実施にも拘らず向こう2年間は低金利を維持する旨を強調するなど、景気下支えに向けて「ハト派」姿勢を示唆した。
  • 先月の知事選においても中道左派連合が圧勝するなど、11月の大統領選、議会上下院選での政権交代は必至であり、足下で調整が続く通貨ペソ相場に今後は一段と下押し圧力が掛かる可能性も予想される。

南米チリを巡っては、中南米諸国のあいだでは1人当たりGDPの水準が比較的高い上、2010年にはいわゆる『先進国クラブ』と称されるOECD(経済開発協力機構)への加盟を果たすとともに、中南米地域のなかでも政治及び経済の両面で安定してきたため、主要格付機関がいずれも「投資適格級」としたことも追い風に海外資金の活発な流入が続いてきた。しかし、一昨年のピニェラ政権による財政健全化策を発端に反政府デモの動きが広がり、一部が暴徒化して治安情勢が急速に悪化した結果、同国で開催予定であったAPEC(アジア太平洋経済協力)首脳会議及びCOP25(国連気候変動枠組み条約第25回締約国会議)が開催断念に追い込まれるなど、中南米の『優等生』と呼ばれてきた同国の評価は一変した(注1)。さらに、昨年来における新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)のパンデミック(世界的大流行)では、中国経済の急減速を受けた主力の輸出財である銅価格の低迷が景気の足を引っ張るとともに、同国内においても感染が拡大したことで政府は感染対策を目的に都市封鎖(ロックダウン)による行動制限の実施に追い込まれ、内・外需双方で景気に深刻な悪影響が出た。また、政府による対応の稚拙さは感染拡大を招く一因となったことで、都市封鎖の悪影響が色濃く出る貧困層や低所得者層を中心に反政府デモの動きが続いて感染拡大が増幅されるなど事態収拾を難しくさせた(注2)。他方、同国は伝統的に様々な国・地域との間で自由貿易協定(FTA)を締結する『全方位外交』を展開しており、感染収束に向けてワクチン確保を積極化させるとともに、先月末までに人口の約8割に当たる1,500万人を対象とする接種完了を目指す取り組みが進められた。今月14日時点における完全接種率(必要な接種回数をすべて受けた人の割合)は59.84%、部分接種率(少なくとも1回は接種を受けた人の割合)も69.53%とほぼすべての国民がワクチン接種を行ったと見做されるなどワクチン接種は大きく進んでいる。ただし、同国で接種されているワクチンの約8割を中国製ワクチンが占めており、中南米諸国においても感染再拡大の動きが広がる感染力の強い変異株に対する有効性に疑問が呈されてきたこともあり、ワクチン接種の面で『優等生』と称された同国で感染収束が進まないことで中国製ワクチンに対する疑念が増幅された可能性もある(注3)。なお、感染収束が進まなかった背景には、ワクチン接種の広がりが夏季休暇の時期と重なったことでマスク着用といった感染対策が蔑ろにされる『気の緩み』が生じたことも影響したとみられる。一方、1日当たりの新規陽性者数は先月初旬を境に頭打ちする動きをみせており、足下では死亡者数の拡大ペースも鈍化するなど事態収束の兆候が出ている。その意味では、ようやくチリにおいてもワクチン接種の効果が確認されつつあると捉えることが出来る。

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同国では一昨年以降に反政府デモの動きが激化するとともに、軍政下で制定された新自由主義的な経済政策を志向する現行憲法の改正を通じた政治体制の転換を求める動きに発展したほか、昨年10月には新憲法の制定の是非を問う国民投票が実施され、8割弱もの賛成票を得て憲法改正が行われることが決定した(注4)。その後の新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、当初今年4月に実施予定であった新憲法を起草する議員を選出する制憲議会選挙は翌5月に持ち越されたものの、選挙結果は与党の中道右派連合(チリ・バモス)が少数派に留まる一方、野党の中道左派連合や反体制派、無所属の選出議員が多数派を占めるなど政権は大敗北を喫する事態となった(注5)。このように政治的には大きな変化が避けられなくなりつつある一方、同国経済を巡っては、中国経済がいち早く新型コロナ禍を克服したことで銅の国際価格が底入れしたことから交易条件が大きく改善している上、輸出も押し上げられるなど景気の底入れが進んでいるほか、足下では感染収束が進んでいることを受けて人の移動が底入れするなど内需を取り巻く状況も改善が期待される。事実、今月12日には政府(予算局)が今年の経済成長率見通しを銅価格の上昇とワクチン接種の拡大を理由に上方修正するなど(+3.4%→+3.7%)、景気を取り巻く状況も改善している。他方、昨年後半以降における原油をはじめとする国際商品市況の底入れを受けて、世界的にインフレ圧力が強まる動きがみられるなか、中南米においては先月にもブラジル(注6)、メキシコ(注7)が相次いで利上げを実施する動きがみられる。チリについては、足下のインフレ率は依然として中銀の定めるインフレ目標の範囲内に収まっているものの、上限に近付く動きをみせるなかで中銀は早晩利上げ実施に迫られるとの見方が強まっていた。こうしたなか、中銀は14日に開催した定例会合において政策金利を25bp引き上げて0.75%とすることを決定するなど金融引き締めの波は同国にも及んでいる。会合後に公表された声明文では、世界経済について「感染一服やワクチン接種を追い風に経済活動の正常化が進むなど景気回復は力強さを増している」との見方を示すとともに、同国経済についても「公共投資の進捗などを追い風にマクロ経済を巡る見通しは改善している」との見通しを示した。また、物価動向については「エネルギー価格の上昇を追い風に上振れしており、1年先のインフレ期待に上方圧力が掛かっているが、2年先は3%前後で推移している」と短期的な物価の上振れを警戒する姿勢をみせた。今回の決定と先行きの政策スタンスを巡っては「緩やかな正常化という観点で金融政策は景気回復と歩調を合わせる」との姿勢をみせた上で、「向こう2年間の金融政策は中立水準を下回る」と利上げ実施にも拘らず『ハト派』姿勢を強調しており、あくまで景気下支えを図る姿勢を維持している。

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このように足下の景気動向は『最悪期』を過ぎていると捉えられる上、感染収束の兆候がみえていることは先行きの景気の底入れを促すと期待される。一方、先月13日に実施された知事選挙の決選投票では野党の中道左派連合が圧勝するなど、与党の中道右派連合にとっては今年11月に控える次期大統領選挙や議会上下院選挙での苦境は避けられそうにない。なお、足下の国際金融市場においては米FRB(連邦準備制度理事会)による量的緩和政策の見直し検討の思惑が影響する展開が続く一方、同国の通貨ペソ相場は国際的な銅価格との連動性が極めて高いなかで中国経済の減速懸念が意識されていることも相俟って頭打ちする動きがみられるなか、先行きについては政権交代後の同国経済の在り方に対する見方も影響を与えると見込まれ、上値の重い展開となる可能性も予想される。

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以 上

西濵 徹


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西濵 徹

にしはま とおる

経済調査部 主席エコノミスト
担当: アジア、中東、アフリカ、ロシア、中南米など新興国のマクロ経済・政治分析

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