チリ、新型コロナ禍対応の非常事態宣言を終了

~景気回復の背後でインフレは昂進、通貨ペソ安に繋がる材料も重なるなど厳しい展開も予想される~

西濵 徹

要旨
  • 南米チリは長く「中南米の優等生」と称されたが、一昨年の政情不安を機に評価は一変した。他方、昨年来の新型コロナ禍では同国でも感染が広がったが、「全方位外交」を背景にワクチン確保に動いたことで足下では国民の4分の3がワクチン接種を終えている。結果、感染動向も大きく改善しており、政府は先月末に非常事態宣言の終了を決定するなど、経済活動の正常化に向けて大きく舵を切る動きをみせている。
  • 同国では今年11月に大統領選及び議会上下院選が予定されており、与党の中道右派連合は早期の景気回復による政権維持を目指している。なお、足下の景気は回復の動きを強めているが、インフレの顕在化で中銀は急速にタカ派姿勢を強めている。通貨ペソ相場は中国経済の減速懸念が重石となるなか、先行きは国際金融市場の動揺への脆弱さに加え、政治情勢を巡る不透明感も相俟って厳しい展開が続くであろう。

南米チリを巡っては、中南米諸国のなかでも1人当たりGDPの水準が比較的高く、2010年にはいわゆる『先進国クラブ』と称されるOECD(経済協力開発機構)に加盟するとともに、域内でも政治及び経済の両面で安定した推移が続くなど、長きに亘って『中南米の優等生』と称されることも少なくなかった。しかし、新自由主義的な経済政策による堅調な経済成長の背後で社会経済格差の拡大が問題となってきたほか、一昨年にはピニェラ政権が打ち出した財政健全化策を契機に反政府デモが活発化し、一部が暴徒化して治安情勢が悪化したため、予定された国際会議が開催断念に追い込まれるなど同国の評価は一変した(注1)。また、昨年来の新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)のパンデミック(世界的大流行)を巡っては、同国においても感染が広がり、政府は夜間外出禁止令の発出や深刻な感染地域を対象とする強制隔離の実施などを可能とする非常事態宣言の発令に踏み切った。他方、チリでは伝統的に様々な国及び地域と自由貿易協定(FTA)を締結するなど『全方位外交』を展開しており、感染対策を目的にワクチン確保を積極化させるなどの取り組みを進めてきた。こうした動きも追い風に、チリのワクチン接種率は世界的にみて高水準で推移するなどワクチン接種の『優等生』と称されたものの、年明け以降は周辺国と同様に感染力の強い変異株の流入を受けて感染が再拡大するなど、感染対策の難しさが改めて確認された(注2)。しかし、政府によるワクチン接種の積極化も追い風に、今月2日時点における完全接種率(必要な接種回数をすべて受けた人の割合)74.08%、部分接種率(少なくとも1回は接種を受けた人の割合)も81.24%と人口の4分の3近くが接種を完了するなど世界的にみても大きく前進している。こうした動きも追い風に、同国における新規陽性者数は6月上旬を境に頭打ちの動きを強めてきたほか、新規陽性者数の頭打ちを受けて医療インフラに対する圧力が後退したことで死亡者数も鈍化するなど感染動向は改善している。よって、政府は先月半ば、夏場の観光シーズンに向けて新型コロナ禍を受けて疲弊した観光関連産業の改善を目指してワクチン接種証明などを前提に外国人来訪者に対する入国制限を緩和するなど、国境の再開に動く方針を明らかにした。さらに、先月27日には非常事態宣言の終了を発表しており、今後は移動制限のほかイベントや公共の場を対象とする収容人数制限を緩和するなど、経済活動の正常化に向けて大きく舵を切る方針を明らかにしている。

図 1 ワクチン接種率の推移
図 1 ワクチン接種率の推移

図 2 新型コロナの新規陽性者数・累計死亡者数の推移
図 2 新型コロナの新規陽性者数・累計死亡者数の推移

図 3 COVID-19 コミュニティ・モビリティ・レポートの推移
図 3 COVID-19 コミュニティ・モビリティ・レポートの推移

このように政府が大きく経済活動の正常化に舵を切っている背景には、同国では今年11月に次期大統領選及び議会上下院選の実施が予定されるなか、その前哨戦と見做された5月に実施された制憲議会選において現与党の中道右派連合(チリ・バモス)は大敗北を喫するなど逆風が吹いており(注3)、早期の経済活動の正常化による立て直しが必須となっていることも影響している。大統領選には7月に実施された予備選挙の結果、中道右派連合からは無所属ながらピニェラ政権下で社会開発家族相や中銀総裁を務めたセバスティアン・シチェル氏が、対する野党の左派連合からは社会収束党所属で上述した制憲議会選での野党躍進の旗振り役となったガブリエル・ボリッチ氏が出馬するほか、計9人が立候補する大混戦となっている(なお、8月末にはうち2人が立候補要件を満たさないことを理由に登録が取り消しされ、7人で選挙戦が行われる見通し)。他方、年明け以降の同国経済を巡っては、変異株による感染再拡大の影響が懸念されたものの、政府による家計及び企業部門に対する支援策のほか、消費喚起策として実施された確定拠出型年金の積立金引き出し策なども追い風に、家計消費など内需がけん引する形で景気は底入れの動きを強めている。さらに、感染動向の改善を受けて行動制限が段階的に緩和されるなかで人の移動は底入れしており、先行きは一段の緩和が進むことで内需を取り巻く環境の改善が進むと期待されるなど、景気回復に向けた環境は整いつつある。他方、昨年後半以降の国際原油価格の上昇や経済活動の活発化などを理由にインフレ懸念が強まるなかで中銀は7月の定例会合で2年半ぶりとなる利上げを実施したほか(注4)、8月末の定例会合でも追加利上げを実施するとともに、利上げ幅を拡大(25bp→75bp)させるなど金融引き締めの度合いを強めている(注5)。なお、中銀が急速にタカ派姿勢を強めた要因には、財政支出の拡大を追い風に景気回復が進んでいる一方、足下では通貨ペソ相場が下落傾向を強めているほか、足下のインフレ率が中銀の定める目標を上回るなどインフレが顕在化していることも影響している。他方、足下の同国景気は回復の度合いを強めている上、中銀がタカ派姿勢を強めているにも拘らず、通貨ペソ相場が下落傾向を強めている背景には、最大の輸出相手であるとともに、同国にとって主要輸出財である銅の輸出先である中国経済が減速懸念を強めていることも影響しているとみられる。足下の国際金融市場においては、米FRB(連邦準備制度理事会)による量的緩和政策の縮小が見込まれる上、中国の不動産大手の恒大集団のデフォルト(債務不履行)懸念や中国経済の減速懸念の強まりなどが意識されるなか、チリの外貨準備高はIMF(国際通貨基金)が想定する国際金融市場の動揺に対する耐性を示す『適正水準』を下回っており、今後は政治情勢を巡る不透明感も相俟って厳しい状況が続く可能性も予想される。

図 4 インフレ率の推移
図 4 インフレ率の推移

図 5 ペソ相場(対ドル)の推移
図 5 ペソ相場(対ドル)の推移

以 上

西濵 徹


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西濵 徹

にしはま とおる

経済調査部 主席エコノミスト
担当: アジア、中東、アフリカ、ロシア、中南米など新興国のマクロ経済・政治分析

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