中南米で広がる「左派のうねり」は着実にチリに及んでいる

~新憲法の議論は急進方向に舵が切られる見通し、金融市場の「政治無視」は見直し必須の可能性も~

西濵 徹

要旨
  • チリは中南米の「優等生」と称されてきたが、一昨年の反政府デモの激化を受けて評価は一変した。また、昨年は新型コロナウイルスの感染拡大に見舞われる事態となった。ただし、「全方位外交」によるワクチン確保を受けて、足下のワクチン接種率は極めて高い。他方、ワクチンの8割強を中国製ワクチンが占めるなか、足下では変異株による感染再拡大が直撃するなど厳しい状況が続く。政府は早期の経済活動再開による景気回復をてこに制憲議会選、さらに11月の総選挙・大統領選での失地回復を目指す姿勢を強めてきた。
  • しかし、制憲議会選では中道右派の与党連合は大敗北を喫した。左派の野党や反体制派、独立系が多数を占めるなかで新憲法の制定議論は急進的な方向に進む可能性が高まっている。ここ数年、中南米では左派政権の発足に向けたうねりが広がりをみせるなか、同国もその波に飲み込まれつつある。新憲法で新たな課題への対応が盛り込まれることは望ましい一方、資源関連セクターへの政府関与や巨額の財政出動が盛り込まれれば、経済のファンダメンタルズの脆弱性が一段と高まるリスクもある。通貨ペソ相場は政治状況を無視する展開が続いてきたが、今後はそう言っていられない状況に発展する可能性に注意が必要である。

チリを巡っては、中南米諸国のなかで1人当たりGDPの水準が比較的高く(12,986ドル(2020年))、2010年には『先進国クラブ』と称されるOECD(経済開発協力機構)に加盟するなど、域内でも政治及び経済の両面で安定しており、主要格付機関がいずれも『投資適格級』としてきたことで海外資金も活発に流入してきた。しかし、その経済構造は人口規模の小ささ(1,900万人弱)も影響してGDPに占める輸出比率が極めて高い上、輸出の4割強を銅が占めるなど「モノカルチャー」の色合いが強く、世界経済、とりわけ世界有数の銅需要国である中国の景気動向に強く左右される傾向がある。さらに、一昨年にはピニェラ政権による財政健全化策を契機に反政府デモが起こり、一部が暴徒化して治安情勢が急速に悪化し、同国で開催予定のAPEC(アジア太平洋経済協力)首脳会議やCOP25(国連気候変動枠組み条約第25回締約国会議)が断念に追い込まれ、中南米の『優等生』とされた評価は一変した1 。また、昨年以降の新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)のパンデミック(世界的大流行)による世界経済の減速を受けて、同国の主力輸出財である銅の国際価格が低迷したほか、同国内でも感染拡大が広がり、政府は感染対策を目的に都市封鎖(ロックダウン)を通じた行動制限の実施に追い込まれたため、景気に内・外需双方で下押し圧力が掛かった。そして、政府による対応の稚拙さが感染拡大の一因となったため、都市封鎖に伴う悪影響を受けやすい貧困層や低所得者層を中心に反政府デモが継続され、結果的に感染拡大の動きが広がるなど事態収拾が難しくなることが懸念された2 。ただし、その後は都市封鎖など行動制限が奏功して新規感染者数は鈍化するとともに、反政府デモが要求した憲法改正を通じた政治体制の転換を目指す国民投票が実施され、多数の賛成を得て憲法改正手続きが前進するなど新型コロナ禍の真っ只中でも政治的に大きな動きがみられた3 。さらに、同国は伝統的に様々な国及び地域と自由貿易協定(FTA)を締結する『全方位外交』を志向するなか、積極的なワクチン確保を図ることで政府は来月末までに全国民の約8割に当たる1,500万人を対象にワクチン接種の完了を図る計画を掲げた。結果、5月17日時点における人口100万人当たりの接種回数は86.7万人弱と、英国(84.0万人)や米国(82.9万人)を上回る水準となっており、完全接種率(必要な接種回数をすべて受けた人の割合)は39.20%、部分接種率(少なくとも1回は接種を受けた人の割合)は47.48%とともに高水準であるなど、ワクチン接種の『優等生』となっている。ただし、同国で接種されているワクチンの8割以上が今月初めにWHO(世界保健機関)が緊急使用を承認するも有効性に疑問が呈されている中国製ワクチンであり、年明け以降は新興国を中心に感染力の強い変異株による感染再拡大の動きが広がりをみせるなか、同国においても感染が再拡大する『第3波』が顕在化する事態に直面している。こうしたことから、政府は当初先月に実施予定であった地方総選挙(知事、区長、市議)及び制憲議会選挙(憲法起草委員会のメンバーに関する選挙)が延期される事態に追い込まれた4 。なお、1-3月の実質GDP成長率は前期比年率+13.38%と3四半期連続の二桁%成長となり、中期的な基調を示す前年同期比ベースでも+0.3%とプラス成長となっている上、新型コロナウイルスのパンデミックによる影響が及ぶ直前の一昨年末と比較して+3.1%程度上回る水準となるなど、経済面では新型コロナ禍の影響を克服している。これらの選挙は今年11月に実施予定の次期大統領選及び次期総選挙の『前哨戦』とみられるなか、ピニェラ政権を支える中道右派の与党連合(チリ・バモス)は早期の経済活動の正常化を通じた景気回復を足掛かりに失地回復を目指しており、その行方に注目が集まっていた。

図1
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図2
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こうしたなか、15~16日の日程で実施された制憲議会(定数155議席:男性78人・女性77人)選挙では、中道右派の与党連合の獲得議席数は37議席に留まる一方、左派の野党や反体制派、無所属などが多数を占めるなど、政権にとっては予想外の大敗北を喫する事態となった。なお、政権及び与党連合は拒否権の発動が可能となる最低限である3分の1(52議席)の確保を目指していたものの、今回の結果を経て7月に発足する制憲議会において最長1年に亘り議論される新憲法案を巡って、仮に急進的な議案が提出された場合においても政権及び与党は拒否権を発動することは出来ない。今回の憲法改正議論を巡っては、元々軍事独裁政権(ピノチェト政権)の下で1980年に制定された現行憲法では『小さな政府』を志向して国家の役割を限定することで企業活動を奨励する姿勢が規定されており、そのことが近年の高成長を促す一助になったとの見方がある一方、既得権益層に富が集中するなど社会経済格差の拡大に繋がるとともに、教育や医療、年金が国家の義務とされていないことで貧困層や低所得者層は極めて厳しい状況に置かれていることが影響している。よって、今後の憲法改正議論については『大きな政府』に舵が切られるとともに、現行憲法において規定されていない政府による社会のセーフティーネットの強化を図るといった内容が盛り込まれる可能性が高いと見込まれる。他方、資源関連セクターに対する国家管理の拡大といった国家資本主義のほか、財政支出の拡大などを主張する既存政党の左派陣営の獲得議席数も主要2党を併せても53議席に留まり、主導権を握るには至っていない。その意味では制憲議会の半分弱を占めるのは独立系議員であり、教師や作家、記者、弁護士、活動化といった雑多な集合体であることを勘案すれば、今後の意見集約は困難を極める可能性が予想されるほか、建設的な議論が進むかは見通しが立たない。ただし、ここ数年の中南米諸国においては、メキシコで資源関連セクターの国有化を訴える左派のロペス・オブラドール政権、アルゼンチンで緊縮財政に反対する左派のフェルナンデス政権が誕生するなど左派政権に転じる動きが広がりをみせており、先月実施されたペルーの大統領選(第1回投票)では急進左派候補がトップに立ったほか5 、コロンビアでも政府の財政健全化策を契機に反政府デモが活発化するなどの動きもみられる6 。今回の結果をみれば次期総選挙や次期大統領選において中道右派陣営の後退は避けられないとみられ、足下では新型コロナウイルス対策も相俟って財政赤字が急拡大している上、経常赤字を抱えるなど『双子の赤字』状態にあるなど経済のファンダメンタルズ(基礎的条件)が脆弱ななかで、公的部門の肥大化は状況を一段と厳しいものにする可能性が高まる。さらに、足下のチリの外貨準備高は、IMF(国際通貨基金)が国際金融市場の動揺に対する耐性の度合いを示す基準(ARA:Assessing Reserve Adequacy)に照らして『適正水準』を下回る水準に留まっており7 、米FRB(連邦準備制度理事会)の対応の行方などを巡って国際金融市場の不透明感が高まる局面ではその余波を受けやすくなることが予想される。新憲法を巡っては、現行憲法で事実上無視されてきた社会正義、ジェンダー、環境問題といった課題が重視されるなど新たな時代に適応した方向に前進することが期待される一方、経済政策面で過度に左派的な色合いを強める内容が盛り込まれれば、同国に対する評価が大きく毀損されるリスクを孕んでいる。同国通貨ペソ相場を巡っては、同国の政治経済情勢以上に、主力の輸出財である銅の国際価格に左右される傾向が強く、有り体に言えば国際金融市場はこのところの政治動向を完全に無視していたと捉えられる。しかし、仮に新憲法において資源関連セクターに対する国家関与が強められる内容が盛り込まれる事態となれば、世界的な銅の供給に多大な影響が出ることが予想されるほか、そのことが同国経済に与える影響も無視できない。さらに、財政状況の急激な悪化を受けて主要格付機関が現状『投資適格級』としている格付を引き下げる動きに繋がれば、投資対象としての評価が一変するとともに、対外収支の脆弱性が一段とクローズアップされることで危機的状況に追い込まれるリスクも高まる。その意味では、チリの政治状況は多くの人にとって『対岸の火事』のような状況にあると捉えられるものの、その行方は周辺の中南米諸国の動向にも波及しかねないだけに、これまで以上に注視する必要が高いと判断出来る。

図3
図3

図4
図4


以 上

西濵 徹

西濵 徹

にしはま とおる

経済調査部 主席エコノミスト
担当: アジア、中東、アフリカ、ロシア、中南米など新興国のマクロ経済・政治分析

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