ロシア、感染再拡大で大都市部は躓くも、中銀は物価対策を迫られる

~政権は下院選へ求心力回復に躍起の一方、地域ごとに景況感に違いが出るなど政策対応は困難に~

西濵 徹

要旨
  • 足下の世界経済は、主要国でワクチン接種による経済活動の正常化が景気回復を促すと期待される一方、新興国では変異株による感染再拡大が景気に冷や水を浴びせる懸念など好悪双方の材料が混在する。ロシアでは、国民の間の同国製ワクチンへの疑念に伴い接種率は低水準に留まるなかで感染が再拡大している。政府は接種計画の実現が難しいとの見方を示すなど、経済活動の正常化に時間を要するとみられる。
  • 足下のロシア経済は外需の回復や原油価格の上昇に加え、財政及び金融政策による下支えも重なり底入れしている。他方、インフレ率は中銀の定める目標を上回るなか、中銀は23日の定例会合で4会合連続の利上げ実施に動いた。物価高が国民の不満に繋がるなかでプーチン大統領は中銀に物価抑制を厳命するなか、中銀は先行きも追加引き締めに含みを持たせており、景気に冷や水を浴びせる可能性も考えられる。
  • 政権及び与党にとって9月に予定される連邦議会下院選挙での党勢維持が課題となるなか、政権は財政出動による経済立て直しを図る姿勢をみせる。首相による択捉島訪問も足場固めの側面がある。他方、中銀及び財政当局は財政出動によるインフレ昂進を警戒するなど逆行する動きもみられる。感染動向が異なる大都市部と地方では人の移動に違いが出ており、政策対応はこれまで以上に困難さが増すと予想される。

足下の世界経済を巡っては、米欧や中国など主要国を中心にワクチン接種を追い風とする経済活動の正常化を背景に景気回復が期待される一方、アジアを中心とする新興国や一部の先進国で感染力の強い変異株による新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)の感染が再拡大して行動制限の再強化を迫られるなど景気に冷や水を浴びせる動きがみられるなど、好悪双方の材料が混在している。ロシアにおいても先月以降は変異株による感染再拡大の動きが強まっているほか、新規感染者の急拡大に伴い医療インフラに対する圧力が強まったことも影響して死亡者数も再び拡大傾向を強めるなど、感染動向は急速に悪化している。なお、上述のように主要国においてはワクチン接種の広がりが感染動向を抑える動きがみられるなか、ロシアは世界で初めて新型コロナウイルスワクチン(スプートニクV)の生産、承認が行われるなどワクチン生産の面では世界的にも先行しているにも拘らず、依然として新型コロナ禍を脱することが出来ずにいる。こうした背景には、ロシア国内ではロシア製ワクチンのみ接種可能な状況にある一方、国民の間にワクチンの有効性に対する不透明感がくすぶるなかでワクチン接種が進んでいないことも影響している。プーチン大統領が国民に対してワクチン接種を呼び掛けているほか、医療従事者などを中心に積極的なワクチン接種が図られていることもあり、今月25日時点における完全接種率(必要な接種回数をすべて受けた人の割合)は15.65%と世界平均(13.78%)を上回る一方、部分接種率(少なくとも1回は接種を受けた人の割合)は23.75%と世界平均(27.17%)を下回っており、一般国民の間にワクチン接種が広がっていないことは明らかである。こうした事態を受けて、プーチン大統領はテレビ演説などを通じて広く国民に対してワクチン接種を呼び掛ける動きをみせているほか、感染拡大の中心地となっている首都モスクワなどでは飲食業やサービス業の従事者を対象に事実上の強制接種が図られるとともに、飲食店の利用がワクチン接種済の人に限定されている上、自動車や住居などの景品提供を通じた誘導措置が採られる動きもみられる。こうしたことから、足下では部分接種率の上昇ペースが加速する動きがみられるものの、接種ペースが加速したことで供給が追い付かず中断する例も続出するなど容易に事が進まない動きもみられる。ワクチン接種を巡っては、部分接種率が40%を上回ると感染者数が急減する『閾値』と捉える動きがみられるものの、その水準に到達するにはしばらく時間を要すると見込まれるなど、早期に事態打開を図ることは依然として難しい状況にある。政府は今秋までに人口の60%を対象にワクチン接種を完了させる計画を掲げてきたものの、先月末に計画実現は難しいとの見通しを示しており、集団免疫の獲得による経済活動の正常化には時間を要すると予想される。

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なお、足下のロシア経済を巡っては、輸出の半分を占める欧州の景気回復は景気を押し上げる動きに繋がるとともに、世界経済の回復を追い風とする国際原油価格の底入れを追い風に交易条件が上昇するなど国民所得を押し上げている上、当局による財政及び金融政策の総動員を通じた下支え策も相俟って、景気は底入れの動きを強めている。他方、過去数年に亘る欧米諸国との関係悪化などをきっかけに通貨ルーブル相場の調整が進んだことを受けた輸入物価の押し上げのほか、国際原油価格の上昇によるエネルギー価格の上振れなどが重なり、昨年末以降のインフレ率は中銀の定めるインフレ目標を上回る水準となるなどインフレが顕在化している。こうしたことから、中銀は今年3月に2年強ぶりの利上げ実施に動くとともに金融政策のスタンスを「中立的」に引き上げる『正常化』に舵を切ったほか(注1)、その後も4月、6月(注2)と相次いで利上げを実施するなど、景気の底入れが進む背後でインフレ圧力が強まっていることに対応してきた。ただし、6月のインフレ率は前年比+6.50、コアインフレ率も同+6.55%と一段と加速して、ともに中銀の定めるインフレ目標(4%)を上回る水準で推移するなどインフレ懸念が高まっていることから、中銀は23日に開催した定例会合で政策金利を4会合連続で引き上げる(5.50%→6.50%)とともに、引き上げ幅を100bpと4月及び6月(50bp)から引き上げるなど一段の金融引き締めに動いた。会合後に公表された声明文では、「今年の経済成長率を+4.0~4.5%、インフレ率を+5.7~6.2%」と従来見通し(それぞれ+3.0~4.0%、+4.7~5.2%)から引き上げるとともに、先行きの政策運営を巡って「状況が見通しに沿う形で進展すれば今後もさらなる利上げ実施の必要性を検討する」とするなど追加利上げの可能性に含みを持たせた。また、会合後に記者会見に臨んだ同行のナビウリナ総裁は今回の決定について「50bp及び75bpの利上げも検討されたが、インフレ率を目標に戻すべく積極的な引き締めを決定した」との見方を示した上で、足下の政策について「物価動向を勘案すれば依然緩和的で景気が損なわれることはない」としつつ、「今回の利上げが今次サイクルのなかで最後とするか判断するのは時期尚早」と述べるなど、一段の金融引き締めに動く姿勢を示した。なお、このように中銀が急進的な金融引き締めに動いている背景には、プーチン大統領が今年4月に実施した年次教書演説において中銀に対して物価抑制の実現を厳命しており(注3)、足下の物価上昇が広く国民の間で政権に対する不満要因のひとつとなっていることも影響していると考えられる。

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プーチン大統領を巡っては、昨年実施された憲法改正により事実上の『永世大統領』化が可能になったほか(注4)、今年4月には大統領選出に関連する法改正も実施されたことで、プーチン氏は2024年及び2030年に実施予定の大統領選にも立候補することが可能になっている。他方、プーチン政権に対する支持率は世界的にみれば依然として高水準で推移しているものの、長期に亘る景気低迷に加え、昨年以降における新型コロナ禍に伴う景気減速などを理由に低下傾向を強めており、着実に足下を揺るがす懸念は高まっている。こうしたなか、9月に実施予定の連邦議会下院選挙においてプーチン政権を支える与党・統一ロシアの党勢維持、ないし拡大を目指すべく、プーチン政権は年次教書演説に併せて国民生活の悪化対策を名目に子育て世帯を対象とする支援拡充に加え、労働市場の回復などを通じて疲弊した経済の活性化を図る方針を示したほか、リハビリ関連を中心とする医療インフラや地方部の生活インフラの近代化を実施する考えを示すなど財政出動に動く姿勢をみせている。なお、今月26日にはミュシュスチン首相が北方領土の択捉島を訪問し、外国からの投資誘致に向けた特区を設置する構想を明らかにしているが、下院選での極東地域の足場固めを図ったものと捉えることが出来る。他方、足下においてインフレが顕在化するなか、中銀のみならず財政当局もさらなる財政出動がインフレ圧力を加速させることを警戒する姿勢をみせており、プーチン政権が財政出動や経済の立て直しを通じて与党の得票率向上を目指す動きが抑えられる可能性も出ている。また、先月以降は首都モスクワなど大都市部を中心に変異株による感染再拡大の動きが広がったことを受けて、モスクワでは一時的にエッセンシャルワーカー(社会生活人って必要不可欠なライフラインを維持する仕事の従事者)を除くすべての労働者を対象に自宅待機を求める『非労働日』とする事実上の都市封鎖(ロックダウン)が行われるなど、景気に冷や水を浴びせる動きもみられた。事実、足下の企業マインドを巡っては、サービス業については引き続き好不況の分かれ目を上回る水準を維持する一方、首都モスクワでの都市封鎖実施も影響して製造業のマインドは頭打ちの動きを強めて好不況の分かれ目を下回る水準となるなど、対照的な状況に見舞われている。こうした状況は人の移動にも影響を与えており、感染再拡大の中心地となっている首都モスクワやサンクトペテルブルクといった大都市部の人の動きは足下においても下押し圧力が強まるなど様々な経済活動に悪影響が出ている可能性がある一方、南部のリゾート地であるソチでは人の移動が活発化する動きがみられるなど対照的な状況にあるなど、政策対応はこれまで以上に困難さが増していると捉えられる。その意味では、ロシアの政治及び経済を取り巻く状況には不透明要因が山積していると判断出来る。

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以 上

西濵 徹


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西濵 徹

にしはま とおる

経済調査部 主席エコノミスト
担当: アジア、中東、アフリカ、ロシア、中南米など新興国のマクロ経済・政治分析

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