モルディブ、いよいよ「親中」へ一気に舵を切る環境が整った

~総選挙はムイズ政権を支える与党が大勝利、親中姿勢加速で中印対立の舞台となる可能性~

西濵 徹

要旨
  • インド洋の島国であるモルディブでは、昨年の大統領選で「親中」を謳うムイズ氏が勝利した。ここ数年の同国を巡っては、地理的な関係も影響して伝統的に関係が深いインドと、近年接近を強める中国が綱引きを展開する動きがみられる。中国によるインフラ支援の背後では「債務の罠」とも呼べる動きが顕在化する一方、コロナ禍からの経済立て直しが遅れるなかで親中姿勢に傾く動きが強まっている。21日に実施された総選挙でもムイズ政権を支える与党が大勝利を収め、大統領と議会のねじれ状態が解消されるなど親中姿勢が加速すると見込まれる。他方、同国を舞台にした中印両国の対立は一段と激化すると見込まれる。

インド洋の島国であるモルディブでは、昨年9月に実施された大統領選において、PNC(人民国民会議)から出馬したモハメド・ムイズ氏がMDP(モルディブ民主党)から出馬した現職のイブラヒム・モハメド・ソーリフ氏に勝利し、5年ぶりに政権交代が行われた。ここ数年の同国を巡っては、地理的にインドに隣接するなかで伝統的に関係が深い一方、アジアから中東へのシーレーン(海上交通路)の要衝に当たるなかで中国が展開する外交政策(一帯一路)を通じて関係深化が図られており、中印両国による『綱引き』の舞台となっている。なお、同国は1965年の英保護領からの独立以来「非同盟中立」を外交政策の基本方針に掲げており、特定の国と安全保障条約を締結していないものの、地理的にインドに隣接することを理由に同国にはインド軍が駐留するなどの関係を有する。同国にインド軍が駐留してきた背景には、1988年に発生したクーデターに際して当時の同国は軍を配備しておらず、事態の鎮静化を目的にインドが軍隊を派兵して当時のガユーム大統領を救出するとともに、首都マレの支配権奪還に成功したことがきっかけとなった。他方、ガユーム氏の下での権威主義体制に基づく長期独裁政権が長期化するなかで民主化運動が活発化したことを受け、2008年に独立後初めて実施された大統領選ではガユーム氏(DRP(モルディブ人民党))が敗北し、30年に及んだ独裁政権が崩壊した。ナシード氏(MDP)が大統領に就任して政権交代がなされたものの、刑事裁判所裁判長の逮捕・拘束をきっかけとする職権濫用疑惑を機に与野党間の対立が激化し、反政府デモの動きが事実上のクーデターに発展したことを受けて2012年にナシード氏は辞任に追い込まれた(副大統領であったハサン氏(JP(共和党))が大統領に昇格)。翌13年の大統領選でナシード氏は再び立候補して第1回投票ではトップになるも最高裁判所が選挙結果を無効と判断し、やり直し投票でもトップになるも得票率は半数を下回り、決選投票を経てヤミーン氏(PPM(モルディブ進歩党))が勝利して再び政権交代がなされた。なお、上述の経緯も影響して歴代政権は『インド第一』政策を採ってきたものの、ヤミーン氏の下では一転して中国に接近する姿勢に舵が切られるとともに、中国による一帯一路戦略に基づく形で巨額のインフラ投資を受け入れたほか、2015年には中国とのFTA(自由貿易協定)締結に動く一方、2016年に英連邦からの離脱を宣言した。ヤミーン政権下では中国からのインフラ整備に掛かる支援受け入れを追い風に比較的高い経済成長を実現したものの、いわゆる『債務の罠』とされる債務負担の増大が問題化して野党からの批判が強まり、ヤミーン氏は2018年の大統領選での再選を目指すもソーリフ氏に敗れて再び政権交代が行われた。ソーリフ氏はヤミーン政権による親中姿勢からの転換を目指し、従来からのインドや欧米などどの関係重視を訴えるとともに2020年に英連邦への復帰を果たすなどの動きがみられた。しかし、コロナ禍により主力産業である観光産業が壊滅的な打撃を受けるとともに、その後の経済の立て直しの動きも遅れるなか、ソーリフ氏は昨年の大統領選での再選を目指したものの、上述のようにヤミーン前大統領の支持を受けたムイズ氏に敗れて再び政権交代が行われた。なお、ムイズ氏はハサン、ヤミーン両政権下で住宅インフラ相を務めて中国からの支援受け入れを積極化させた経緯があり、ヤミーン氏同様に親中に舵を切るとともに、同国に駐留するインド軍の完全撤退を要求するなどの動きをみせている。事実、ムイズ政権下では中国との関係を巡って「包括的戦略協力パートナーシップ」に格上げする一方、インドとの間では同国に駐留するインド軍を先月から順次撤退させて来月までに完了させることで合意するなどインドに対する依存度の低下を目指す動きを着実に前進させている。さらに、中国との間で二国間の防衛協力強化に向けた話し合いを進めるなど、インド洋の安全保障環境を巡って新たな火種となる可能性が高まる動きも顕在化している。そして、ムイズ氏は大統領退任後にマネーロンダリングの罪で逮捕、起訴され実刑判決を受けたヤミーン氏の釈放を公約に掲げたなか、大統領就任後に収監を解いて自宅軟禁状態に移行させるとともに、今月には高等裁判所が実刑判決を破棄して再審を認める決定を行うなど、ヤミーン氏の政界復帰への足掛かりが築かれる動きもみられる。こうしたなか、21日に実施された人民議会(定数93)総選挙では、ムイズ大統領を支える与党PNCが66議席と単独で半数を大きく上回る議席を獲得する大勝利を収めている。選挙前の人民議会はソーリフ前政権を支えるMDPが多数派を形成するなど大統領と議会との『ねじれ状態』となっていたものの、今回の選挙ではMDPは議席を大幅に減らしたことでねじれ状態が解消されており、ムイズ政権による政策運営にとって追い風となることが期待される。他方、この結果を受けて同国は親中姿勢を一気に加速させるととともに、インド洋を巡る中印対立の火種となる舞台となる可能性が高まっていると判断できる。

以 上

西濵 徹


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西濵 徹

にしはま とおる

経済調査部 主席エコノミスト
担当: アジア、中東、アフリカ、ロシア、中南米など新興国のマクロ経済・政治分析

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