「米ドル一強」のなかで新興国経済はどうなるか?

~生活必需品のインフレに加えて輸入インフレの懸念、為替介入による「時間稼ぎ」にも限界はある~

西濵 徹

要旨
  • 足下の国際金融市場では、米国のインフレの粘着度の高さを理由に米FRBの政策運営の見方が変化して米ドル高が再燃している。商品高による世界的なインフレの動きは一巡しているが、足下では異常気象などによる食料インフレ、中東情勢の悪化などによるエネルギー価格の上昇が顕在化している。こうしたなか、米ドル高の再燃は新興国にとって自国通貨安による輸入インフレを招く懸念が高まっている。世界経済を巡る不透明感がくすぶるなか、多くの新興国は通貨安圧力に直面するなかで為替介入による「時間稼ぎ」に動いているが、一部の新興国は国際金融市場の動揺への耐性が乏しい状況にある。足下の国際金融市場は落ち着いているが、当面の新興国経済や金融市場には慎重な見方を維持しておく必要があろう。

足下の国際金融市場においては、米国におけるインフレの粘着度の高さがあらためて確認されているほか、こうした状況を反映して米FRB(連邦準備制度理事会)による政策運営に対する見方が変化していることを受けて米ドル高圧力が再び強まっている。ここ数年の国際金融市場では、米FRBをはじめとする主要国中銀による金融引き締めを追い風に米ドル高の動きが強まるとともに、こうした流れを反映した資金流出に直面した新興国のなかには事実上のデフォルト(債務不履行)に追い込まれる国も現れた。さらに、ここ数年はウクライナ戦争をきっかけとする供給不安を理由に、穀物や原油、天然ガスをはじめとする商品市況が上振れして全世界的なインフレを招く動きがみられた。しかし、一昨年末以降はこうした国際商品市況の上振れの動きが一巡したことも追い風に、商品高を理由とするインフレの動きが後退してきた。そうしたなか、新興国のなかでも比較的早期に利上げに舵を切るとともに、結果的に大幅な利上げを実施してきた中南米諸国では、インフレが頭打ちに転じたことで実質金利(政策金利-インフレ)のプラス幅が拡大したことを受けて利下げに転じる流れがみられた。これらの国々については、米FRBに先んじる形で利下げに動いたにも拘らず、実質金利のプラス幅拡大により投資妙味が向上したことも追い風に、昨年後半にかけて米ドル高圧力が強まるなかでもこれらの国々の通貨は比較的堅調な推移をみせてきた。その一方、足下ではアジアを中心にエルニーニョ現象をはじめとする異常気象を理由に穀物価格が上振れしていることに加え、パナマ運河や紅海における海運の混乱も影響して輸送コストが上振れするなかで幅広い地域で食料インフレの動きが顕在化する動きがみられる。そして、昨年来の中東情勢の緊迫化を理由とする供給懸念の高まりを反映して国際原油価格は底入れしており、足下では緊迫化の度合いが高まるなかで上昇ペースを強めるなどエネルギー価格の上昇が懸念される状況にある。よって、多くの新興国で足下のインフレは比較的落ち着いた動きをみせているものの、食料品やエネルギーなど生活必需品を中心とするインフレが顕在化している。また、上述のように足下の国際金融市場では米ドル高の動きが再燃するなか、食料品やエネルギー資源を輸入に依存する新興国においては自国通貨安による輸入インフレの動きが強まることが懸念される。結果、利下げで先行してきた中南米諸国においても足下では利下げ局面を休止させる動きが広がりをみせているほか、アジアにおいてもインフレが鈍化しているにも拘らず自国通貨安を警戒して利下げに動くことが出来ない国が散見されている。なお、一部の新興国では相対的に高い経済成長が期待されることも追い風に株式指数は比較的堅調な推移をみせており、最高値を更新する動きもみられる一方、米ドル高が再燃している動きを反映して通貨は頭打ちの様相を強めるなど対照的な状況がみられる。ただし、こうした動きの背後には新興国通貨安により米ドル建で換算した株価指数に下押し圧力が掛かることで割安感が生じていることが影響している可能性に留意する必要がある。他方、自国通貨安による輸入インフレが警戒されるなかで当局が為替介入を通じて自国通貨の安定に動く流れもみられるなど、新興国を取り巻く環境は急速に厳しさを増している様子がうかがえる。足下の世界経済を巡っては、コロナ禍やウクライナ戦争を機に全世界的に分断の動きが広がっていることに加え、近年の世界経済をけん引してきた中国経済の勢いにも陰りが出るなかで世界貿易は低迷するなど経済構造面で輸出依存度が相対的に高い新興国経済の足かせとなりやすい状況が続く。そして、中国人観光客数に依存してきた国々にとっても、中国経済の減速懸念は関連産業やサービス輸出の足かせとなる展開が続いている。このように景気に対する不透明要因が山積するなか、新興国経済にとってはインフレが落ち着いた動きをみせていることも重なり景気下支えを図る観点で金融緩和に動く誘因は多く、金融引き締めは避けたいのが実情と考えられる。こうしたなかで多くの新興国は為替介入による『時間稼ぎ』に動いていると捉えられるものの、外貨準備高の原資となる外貨準備高を巡ってはIMF(国際通貨基金)が国際金融市場の動揺への耐性の有無として示すARA(適正水準評価)に照らして「適正水準(100~150%)」を下回ると試算されるなど耐性が乏しい国も少なくない。国際金融市場は比較的落ち着いた推移をみせているものの、中東情勢を巡って不透明な動きが続いているほか、中国景気についても見通しが立ちにくい状況が続いており、仮に何らかの動揺に繋がる動きが顕在化すれば新興国経済を取り巻く状況は急速に悪化する事態も考えられる。当面の新興国経済、および金融市場については慎重にみておく必要があると捉えられる。

以 上

西濵 徹


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西濵 徹

にしはま とおる

経済調査部 主席エコノミスト
担当: アジア、中東、アフリカ、ロシア、中南米など新興国のマクロ経済・政治分析

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