「強気のプーチン」も、その足下には不安要因が忍び寄る

~ワクチン接種も進まず欧米との関係も見通せないなか、「反プーチン」の勢いも徐々に増す展開~

西濵 徹

要旨
  • 昨年のロシア経済は新型コロナウイルスのパンデミックの影響で深刻な景気減速に見舞われたが、後半以降は底入れしてきた。国内の新規感染者数は昨年末を境に頭打ちするも、死亡者数は拡大が続くなど依然事態収束にほど遠い状況にある。政府はワクチン接種を呼び掛けるも足下では目標を下回るなか、プーチン大統領は秋の集団免疫獲得に向けて国民に積極的な接種を呼び掛けるが、その実現は依然見通せない。
  • 欧米諸国との関係が急速に悪化するなか、その一因となっているナワリヌイ氏の処遇を巡っては全土に抗議デモが広がりをみせる一方、欧米の制裁強化懸念に対してプーチン大統領は強硬姿勢を示すなどけん制している。他方、金融市場では欧米との関係悪化がルーブル相場の重石となるなか、中銀は先月利上げ実施に追い込まれたが、景気回復が道半ばのなかでの金融引き締めは景気に冷や水を浴びせる懸念もある。プーチン大統領の強気姿勢が吉と出るか凶と出るかは極めて不透明な状況にあると判断出来よう。

昨年のロシア経済を巡っては、新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)のパンデミック(世界的大流行)により輸出の半分以上を占める欧州景気が深刻な減速に見舞われたことに加え、主力の輸出財である原油をはじめとする国際商品市況の低迷も相俟って外需に急ブレーキが掛かったほか、国内での感染拡大を受けて外出禁止令など強力な感染対策を講じたことで内需も低迷した結果、経済成長率は▲3.0%と5年ぶりのマイナス成長となった。しかし、昨年半ば以降は当初の感染拡大の中心地となった中国での感染収束による経済活動の正常化に加え、欧米などでも感染拡大の一服を受けた経済活動の再開が進むなど世界経済の回復に繋がる動きがみられたほか、同国内でも強力な感染対策を追い風に新規感染者数が鈍化したため経済活動の再開が図られるなど景気は底入れしてきた。なお、政府が経済活動の再開に踏み切ったのは、強力な感染対策などに伴い経済が疲弊して政権に対する不満が高まったことを受けて、第2次世界大戦における対独戦勝記念パレード(昨年は75周年)、憲法改正を巡る国民投票といった国威発揚に繋がるイベントをてこに国民の間にまん延する不満の『ガス抜き』を図るとともに、体制固めを狙ったものと捉えることが出来る1 。他方、昨年末にかけては感染力の強い変異種により感染が再拡大する『第2波』が顕在化して新規感染者数は『第1波』を大きく上回るとともに、死亡者数も拡大傾向を強めるなど状況は急速に悪化した。しかし、政府は景気への影響を懸念して行動制限には及び腰の姿勢をみせた結果、昨年末にかけては早くも底入れした景気が踊り場を迎えた。なお、昨年末を境にその後の新規感染者数は頭打ちして経済活動は活発化しているほか、世界経済の回復期待の高まりや国際原油価格の底入れの動きも相俟って景気は再び勢いを取り戻す動きがみられる。その一方で足下における1日当たりの新規感染者数は依然として1万人弱で推移するなど『高原状態』が続いている上、新規感染者数の鈍化にも拘らず死亡者数は拡大傾向を維持するなど事態収束にはほど遠い状況にある。ロシアでは積極的なワクチン開発が行われて昨夏には世界で初となる新型コロナウイルス対応ワクチン(スプートニクV)が認可されたほか、政府は『ワクチン外交』を展開するツールとして用いるなどの動きもみられる。さらに、政府は積極的なワクチン接種を通じて早期の集団免疫獲得を目指しており、3月中に2,000万人を対象にワクチン接種を実施する計画を掲げていたものの、4月20日時点における接種人数は完全接種(必要な接種回数をすべて受けたもの)と部分接種(少なくとも1度は接種を受けたもの)を併せても1,656万人強に留まるなど目標に満たない状況にある。なお、完全接種率は4.27%と世界平均(2.72%)を大きく上回るなど医療従事者などを対象としたワクチン接種は進んでいるとみられるものの、部分接種率は7.09%と世界平均(6.59%)をわずかに上回る程度に留まっており、国民の間に依然としてロシア製ワクチンに対する疑念がくすぶっていることが影響していると考えられる。こうしたことから、プーチン大統領は21日に実施した恒例の「年次教書演説」において広く国民に対してワクチン接種を呼び掛ける姿勢を示すとともに、ワクチン接種の加速により「秋ごろまでには集団免疫が獲得出来る」と述べるなど、上述のようにワクチン接種が遅れていることにいら立ちを示した格好である。国立の研究所などが実施した臨床試験ではロシア製ワクチンの有効性が極めて高い(97.6%)との分析結果が発表されるなど、ワクチン接種の加速を後押しする材料はみられるものの、足下では新興国を中心に感染力の強い変異株による感染再拡大の動きが強まっている上、ロシア製ワクチンは一部の変異株に対する有効性が低いとの研究結果もあるなど見通しは不透明である。それ以上に、国民の間にくすぶるロシア製ワクチンへの不信感の払拭に向けた取り組みが何より求められる状況は変わっていないと言えよう。

図1
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他方、ここ数年に亘ってロシアは欧米諸国との関係が悪化するなど幅広い経済活動の足かせとなる状況が続いているが、その一因となっている野党指導者のナワリヌイ氏を巡っては、今年1月に療養したドイツから帰国した直後にロシア当局に逮捕され、2月にはドイツ療養中の出頭義務を怠ったことを理由に過去に下された執行猶予付きの有罪判決が取り消されて懲役2年8ヶ月の実刑判決が下され、首都モスクワ近郊の刑務所に収監された。ナワリヌイ氏を巡っては、収監後に治療を拒否されたことに抗議してハンガーストライキを行う一方、刑務所内で結核の感染が拡大していることを受けて結核に感染した模様であり、刑務所内の結核病棟に移送されるも充分な治療を受けることが出来ない状況が続いているとされる。こうした事態を受けて、21日にはナワリヌイ氏の支持者を中心に首都モスクワやサンクトペテルブルク、ウラジオストクなど各地でナワリヌイ氏の釈放と適切な治療を求めて抗議集会が実施される事態となり、当局はモスクワ中心部などを封鎖する厳戒態勢を敷くとともに、多数の参加者の身柄を拘束するなど強硬姿勢をみせている。ナワリヌイ氏の処遇を巡っては、米バイデン政権が『人権問題』を理由にロシアに対する追加的な経済制裁の実施を辞さない姿勢を示しているほか、EU(欧州連合)も一段の経済制裁の実施を示唆する動きをみせており、急速に悪化しているロシアの対外関係が一層厳しい状況に追い込まれる可能性が高まっている。さらに、ロシアと欧米の関係を巡っては、ロシアがNATO(北大西洋条約機構)への加盟を急ぐウクライナとの国境付近に大規模な軍部隊を集結させており、ウクライナがEUに対して一段の対ロシア制裁の発動を呼び掛ける事態となるなど緊張が高まっている。プーチン大統領は21日に実施した年次教書演説において、欧米を念頭に「ロシアに対する非友好的且つ根拠のない行動が繰り返行われているが、ロシアは他国との良好な関係を望んでおり、引き返すことが不可能な状況は醸成したくない」としつつ、「ロシアは挑発行為に対しては直ちに同様の手段で反撃する」と述べるなど強硬な姿勢を改めて示した。その上で「いかなる国も『レッドライン(超えてはならない一線)』を超えてはならない」とする一方、「ロシア軍は常に発展しており、戦略的兵器や世界安定に関する問題について協議する用意がある」と述べるなど硬軟取り混ぜた姿勢をみせた。EU内では原油のみならずビジネス面でも関係が深いドイツにおいて、今秋の連邦議会選挙後には長年に亘って『実利主義的』な対応をみせてきたメルケル現首相が交代するなど「ポスト・メルケル」を巡る動きが活発化しているが、その行方如何では両国関係が大きく振れる可能性もあるなど、ロシア経済にとっても無視し得ない状況にある。国際金融市場においては、OPECプラスが来月から協調減産枠の段階的縮小に動く決定を行ったものの 2、その後の国際原油価格は比較的堅調な推移が続いていることを受けて主要株式指数は堅調な動きをみせている一方、これまで国際原油価格との連動性が高い傾向がみられたルーブル相場は弱含むなど対照的な展開が続いている。このところのルーブル安の進展に伴い足下のインフレ率は中銀が定めるインフレ目標を上回る水準となるなか、中銀は先月の定例会合で2年強ぶりの利上げ実施とともに政策スタンスの中立化を決定するなど金融引き締めを余儀なくされている3 。プーチン大統領は年次教書演説で金融当局に対して物価抑制を厳命する姿勢をみせたが、景気回復が道半ばにも拘らず物価上昇により国民の不満が高まるなかでの金融引き締めは景気に冷や水を浴びせる可能性もある。プーチン大統領の支持率は依然高水準ながら、以前に比べてその影響力に陰りもみられるなかでの強気姿勢は吉と出るか凶と出るか、極めて不透明な状況にあると判断出来よう。

図2
図2
図3
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以 上

西濵 徹


本資料は情報提供を目的として作成されたものであり、投資勧誘を目的としたものではありません。作成時点で、第一生命経済研究所が信ずるに足ると判断した情報に基づき作成していますが、その正確性、完全性に対する責任は負いません。見通しは予告なく変更されることがあります。また、記載された内容は、第一生命保険ないしはその関連会社の投資方針と常に整合的であるとは限りません。

西濵 徹

にしはま とおる

経済調査部 主席エコノミスト
担当: アジア、中東、アフリカ、ロシア、中南米など新興国のマクロ経済・政治分析

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