ルラ政権発足でブラジルを取り巻く状況はどうなるか

~バラ撒き志向による財政懸念、多極化外交の標ぼうによる中露接近など、中南米情勢にも大きく影響~

西濵 徹

要旨
  • ブラジルでは1日にルラ大統領が就任し、12年ぶりに大統領に返り咲くとともに、約6年半ぶりに左派政権が誕生した。ルラ政権はバラ撒き政策を志向する上、公的部門も肥大化するなど、財政健全化が急務のなかで国際金融市場は警戒感を強めている。主要閣僚には有力な左派政治家が就任しており、歳出拡大、及び歳入減少に繋がる動きも予想されるなど、財政運営面では極めて難しい舵取りを余儀なくされるであろう。
  • ルラ政権では環境重視のほか、外交政策面では多極化外交を志向しており、ボルソナロ前政権下での欧米重視姿勢から中国をはじめとする新興国との相対化が進むと予想される。中南米で広がるピンクの潮流を追い風に中露が存在感を高めているが、そうした動きに伴い地政学リスクも意識されやすくなる。他方、潜在成長率の低下も予想されるなか、同国経済を取り巻く状況はこれまで以上に厳しさが増す懸念も高まろう。

ブラジルでは、昨年10月に行われた『泥仕合』の様相を呈した大統領選において、2003年から2期8年に亘って大統領を務め、左派政党のPT(労働者党)を中心とする政党連立(ブラジルの希望)から出馬したルラ氏が勝利し(注1)、今月1日の就任式を経て正式に大統領に就任した。これによりルラ氏は12年ぶりとなる大統領への返り咲きを果たすとともに、ここ数年中南米諸国において『ピンクの潮流』とも『左派ドミノ』とも呼ばれる動きが広がりをみせるなか、域内最大の経済規模を擁するブラジルにもその波が到来した格好である。なお、同国ではルラ氏と後任のルセフ元大統領の下で左派政権が続いたものの、2016年にルセフ氏に対する弾劾が決定し(注2)、中道政党のPMDB(ブラジル民主運動党)所属のテメル元副大統領が大統領に昇格したことで左派政権は終わりを迎えた。さらに、2018年の前回大統領選では極右政党のPSL(社会自由党)から出馬したボルソナロ氏が勝利したことで一段と右派に振れる動きがみられたものの(注3)、一転して約6年半ぶりに左派政権が返り咲くこととなった。ルラ氏については大統領選前の世論調査において一貫してトップで推移してきたため、その勝利そのものは既定路線であったものの、経済政策を巡っては低所得者向け給付をはじめとする『バラ撒き』政策を志向しており、財政健全化が急務となるなかでそうした政策運営が行われることが懸念された。さらに、勝利後に編成された政権移行チームの企画・予算編成、及び管理担当にマンテガ元財務相を指名したことで、国際金融市場においては米ドル高に一服感が出ているにも拘らず、財政規律が緩むことを警戒してレアル相場は上値が抑えられてきた(注4)。さらに、その後に発表された閣僚人事を巡っては、国家のスリム化を目的にボルソナロ前政権で削減された閣僚数が大幅に増加されており(22→37)、政権運営に必要な中道政党に対する『論功行賞』を目的に政府部門が肥大化する事態を招いている。また、財務相に前回大統領選にPTの候補として出馬するもボルソナロ氏に敗れたアダジ元教育相(元サンパウロ市長)が就任し、ボルソナロ前政権が実施した低所得者層向け給付を継続した上で、6歳以下の児童を対象に追加給付を行うなど手厚く実施される。さらに、BNDES(ブラジル開発銀行)総裁にはメルカダンテ元官房長官が就任し、ルラ政権が環境関連インフラの投資拡充を目指すなかでその実働部隊としての活発が進むほか、ルラ氏の支持層が多い同国北東部に重点化が図られることも予想される。ボルソナロ前政権下で燃料価格を巡る方向性を理由に度々人事介入が行われた(注5)ペトロブラス(国営石油公社)のCEO(最高経営責任者)にプラテス上院議員が就任している上、ルラ氏がボルソナロ前政権下で実施された燃料税免除措置の延長を指示するなど、燃料価格の引き下げに向けた圧力が強まることも考えられる。

図表1
図表1

就任式では通常、現職の大統領が後任の大統領に直接懸彰を授与する儀式が行われるが、ボルソナロ氏は大統領選後に敗北を認めない姿勢を維持するとともに、退任直前の先月末に同国を離れて米国に滞在して就任式を欠席したため、ルラ氏は黒人の少年や少数民族の族長などから懸彰の授与を受ける異例の対応が採られた。なお、ルラ大統領は就任式において政策運営に関連して、財政運営面では堅実な姿勢を示す一方、貧困対策の強化による社会経済格差の縮小を目指すほか、ボルソナロ前政権下ではほぼ無策の状態が続いた少数民族の保護、女性の権利向上といった問題にも注力する考えを示した。さらに、ボルソナロ前政権下では度々アマゾンでの大規模火災発生のほか、大雨によるダム決壊による大洪水など自然に関する問題が顕在化したことを受けて、自然保護を重視するとともに世界有数の食糧生産国である同国を環境大国にするという意欲を示した。環境政策を巡っては、担当閣僚である環境相に環境保護政党REDE(持続可能性ネットワーク)所属で環境活動家のシルバ上院議員が就任したことにも現れており、同党が主張する持続可能性を重視した開発といった視点がこれまで以上に重視されると見込まれる。他方、ボルソナロ前政権下の外交を巡っては、ボルソナロ前大統領が『ブラジルのトランプ』と度々揶揄されたこともあり、米国のトランプ前大統領との蜜月関係も背景に対欧米外交を重視する姿勢が採られたものの、ルラ氏は『多極化外交』を志向する考えを示してきた。前回の政権運営時にルラ氏は米国と距離を置く姿勢を示してきたが、就任式では米国、欧州、中国などと対話を強化するとともに、BRICSの強化を通じてアフリカ諸国とも協力する方針を示すなど、外交関係の相対化を目指すことが予想される。ここ数年の中南米におけるピンクの潮流を受けて、伝統的に米国の裏庭と称されることが多いこの地域ではロシア、そして中国が存在感を高める動きがみられ、ウクライナ問題を巡って姿勢を明確にしない国が多くみられるが、今後もそうした流れが強まることは避けられそうにない。さらに、ルラ氏が前回大統領を担った2000年代のブラジルは『右肩上がり』の状況にあり、バラ撒き政策による歳出増圧力が強まるなかでも資源高も追い風に歳入が歳出を上回るペースで拡大することで結果的に財政は比較的堅調に推移してきた。しかし、商品市況を巡る不透明感が強まる一方、過去の政策運営を受けて社会保障の手厚さが増して歳出の硬直化が進んでいるほか、一段のバラ撒きによる歳出増も予想されるなか、インフラ投資などを巡って中国が主導する一帯一路との親和性が急速に高まる可能性は高く、中南米における地政学リスクを高めることも考えられる。他方、ここ数年のブラジルは少子高齢化が急速に進んでいる上、生産年齢人口の頭打ちが意識されつつあるほか、社会保障の拡充に伴う定年年齢の低下も重なり労働力の確保が困難になることも予想されるなど、潜在成長率の低下に繋がる動きがみられる。そうしたなかでルラ政権が志向するバラ撒き政策はクラウディング・アウトを招くとともに、過剰消費を惹起することにより対外収支構造を脆弱にするリスクも高まり、そのことが潜在成長率の一段の低下を招く可能性にも注意が必要になる。

以 上

西濵 徹


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西濵 徹

にしはま とおる

経済調査部 主席エコノミスト
担当: アジア、中東、アフリカ、ロシア、中南米など新興国のマクロ経済・政治分析

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