ブラジル大統領選、「泥仕合」の末にルラ元大統領が勝利

~左派ドミノの流れは域内大国ブラジルに到来、今後の外交及び経済政策の行方には要注意~

西濵 徹

要旨
  • ブラジルでは30日に大統領選の決選投票が行われた。事前の予想通りルラ元大統領とボルソナロ現大統領による決選投票となったが、第1回投票ではボルソナロ氏が予想外の善戦を繰り広げた。世論調査では両者の支持率が僅差となるなか、選挙戦は中傷合戦の「泥仕合」の様相をみせた。元々低所得者に支持が厚いルラ氏は中道派に支持を広げる一方、ボルソナロ氏は右派への引き締めを図るとともに、低所得者給付の拡充などで最終盤にかけて猛追する動きをみせた。決選投票の結果は大接戦の末にルラ氏が勝利した。ルラ氏は経済界からの不安に対応する姿勢をみせる一方、外交面では中南米で「左派ドミノ」が広がるなかで中国及びロシアへの接近を強める可能性が考えられる。一方、経済政策ではバラ撒き政策による財政悪化が懸念され、連邦議会で少数派であることも重なり、政策運営は困難を極めることも予想される。

ブラジルでは30日、大統領選挙の決選投票が行われた。今月2日に行われた第1回目の投票においては、総勢11人の候補者による選挙戦が行われるも、事前の世論調査では終始ルラ元大統領と現職のボルソナロ大統領の2名の支持率が他の候補者を大きく引き離すなど事実上の一騎打ちの展開をみせてきた。また、第1回投票直前の世論調査では、最終盤においてもルラ氏がボルソナロ氏を10~15pt程度リードする展開が続いたため、一部では決選投票を待たずにルラ氏が第1回目の投票において勝利するとの見方も示されていた。しかし、第1回投票の結果はルラ氏の得票率が48.43%と1位となる一方、ボルソナロ氏の得票率は43.20%と両者の得票率の差は5pt程度に縮小するなど、最終盤にかけてボルソナロ氏がルラ氏を猛追したことが明らかになった(注1)。ルラ氏は2003年から10年末まで大統領を務めて左派政権を率いるとともに、低所得者層向け現金給付(ボルサ・ファミリア)の実施などで低所得者層を中心に人気が厚い一方、退任後に在職中の汚職疑惑で有罪判決を受けて収監されたことで4年前の前回大統領選への出馬が不可能となった経緯がある(注2)。しかし、昨年に連邦最高裁が手続き上の問題を理由にルラ氏に対する有罪判決を一転無効とする決定を下したことでルラ氏は今回の大統領選への出馬が可能になるとともに(注3)、ルラ氏も出馬の意向を表明して左派勢力の結集を目指した。また、ルラ氏は低所得者層からの支持が厚い一方、中道派からは左派に寄った政策運営への懸念がくすぶるため、副大統領候補にルラ氏のかつての『政敵』であった中道派のアルミキン氏(元サンパウロ州知事)を据えるなど支持基盤の拡大を目指す動きをみせたことでルラ氏の支持率がトップとなる一因になったと考えられる。一方、ボルソナロ氏は『ブラジルのトランプ』と揶揄されるなど、その言動のみならず政治手法も米国のトランプ前大統領を真似ており、一昨年来のコロナ禍対応を巡って『ただの風邪』と述べるなど行動制限に及び腰の対応を続けた結果、同国は度々世界的な感染拡大の中心地となったことがある。また、一昨年の大干ばつを受けた火力発電の再稼働に加え、原油をはじめとする国際商品市況の上振れの動きは食料品やエネルギーなど生活必需品を中心とするインフレを招いており、低所得者層や貧困層などは厳しい状況に直面している。よって、ボルソナロ政権は昨年末にルラ元政権下で実施されたボルサ・ファミリアを新制度(アウリシオ・ブラジル)に拡充して『衣替え』を図るなど低所得者層及び貧困層への支持拡大に取り組むとともに、インフレ抑制に向けて国営石油公社(ペトロブラス社)人事に介入するなどの動きもみせた(注4)。さらに、副大統領候補に政権で国防相を務めたブラガ・ネット氏(元陸軍大将)を据えるなど、コロナ禍対応を巡って政権の支持基盤とされる国軍が離反する兆しが出たことから(注5)、政権支持層である右派への引き締めを強化する動きもみられた。なお、ルラ氏とボルソナロ氏の決選投票は事前の予想通りであったものの、両者の得票率が事前予想に比べて僅差となったため、決選投票に向けては両陣営が互いにSNSやテレビ演説などを通じて中傷合戦を繰り広げるなど『泥仕合』の様相を強めた。両陣営による中傷合戦を巡っては多数の偽ニュース(フェイク・ニュース)が含まれるなど先鋭化してきたため、選挙管理を統括する高等選挙裁判所が両陣営に自制を求めるなど異例の動きもみられた。さらに、1985年の民政移管後に実施された大統領選では、第1回目投票で勝利した候補がいずれも決選投票を制する一方、1997年に大統領の再選が可能となって以降は現職大統領が勝利しており、ルラ氏、ボルソナロ氏どちらが勝利しても前例のない結果となる。このように泥仕合の様相が激化するとともに、直前の世論調査では支持率が僅差となるなかで決選投票を迎えたが、結果(開票率99.99%時点)はルラ氏の得票率が50.90%、ボルソナロ氏の得票率が49.10%と大接戦でルラ氏が勝利し、12年ぶりに大統領への返り咲きを果たした。ただし、ボルソナロ氏は上述のトランプ氏同様に選挙結果を巡る不正を主張しており、今後は選挙結果を受け入れず、支持者がデモを実施する可能性も予想される。一方、ルラ氏は勝利宣言において「今回の勝利は党派やイデオロギーを超えた民主的な活動のためのもの」、「唯一の勝者は国民」とした上で「すべての国民のために統治する」とし、「喫緊の課題は食糧危機への対応であり、すべての国民が3食摂れるようになって食糧輸出が可能になる」と述べるなど、自国優先を掲げる姿勢をみせた。一方、政権交代を見据えて「立法府や司法府との対話を再開する」ほか、左派的な政策運営に対して経済界や右派から懸念が出ていることに対応して「経済界や政府及び労働者との対話も再開する」と述べた。これら以外にも公平な貿易の取り組みによる格差是正のほか、アマゾンでの違法伐採の禁止といった自然保護を訴えるなど、ボルソナロ政権下での政策が転換される可能性が高いとみられる。また、ここ数年の中南米諸国では『左派ドミノ』とも呼べる動きが広がりをみせているが、域内大国の同国で左派政権が返り咲きを果たすことで、外交面では米国との距離が広がる一方、地域への接近の動きをみせる中国やロシアなどと距離が近付くなど域内外の外交関係に影響が出ることは必至をみられる。他方、経済政策面ではルラ氏もボルソナロ氏もどちらの公約も『バラ撒き』合戦であったことを勘案すれば、経済政策、なかでも財政運営の面では課題を抱える状況が一段と深刻化するリスクもくすぶる。このところの商品高の動きは鉱物資源や穀物などを輸出する同国経済にとって追い風となることが期待される一方、足下の世界経済を巡ってはスタグフレーションが意識されている上、ルラ氏が以前に政権を担っていた頃とまったく状況が異なるなかで過去と同様のバラ撒き政策を志向すれば財政状況は急速に悪化することも懸念される。金融市場では原油など商品市況の堅調さにも拘らず、こうした政策運営を懸念して通貨レアル相場は上値の重い展開をみせており、商品高や賃金上昇などの動きがインフレ圧力を招くなかでレアル安による輸入物価の押し上げも一段のインフレ昂進を招く懸念もくすぶる。中銀は26日の定例会合において政策金利を2会合で据え置くなど利上げ局面の小休止を維持しているが、今後の物価動向に応じた再利上げにも含みを持たせるなど難しい対応を迫られることは間違いない(注6)。また、大統領選第1回投票と同時に実施された連邦議会上下院選挙では、上院、下院ともにルラ氏が属する労働者党(PT)を中心とする連立(ブラジルの希望)は少数派に留まるなど議会対応も苦慮することが予想される。ルラ次期政権の政策運営は困難に直面する可能性は高いと考えられる。

図表1
図表1

以 上

西濵 徹


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西濵 徹

にしはま とおる

経済調査部 主席エコノミスト
担当: アジア、中東、アフリカ、ロシア、中南米など新興国のマクロ経済・政治分析

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