ブラジル、大統領の新型コロナ禍対応の「過失」追及の動きが強まる

~議会上院調査委は大統領など政府高官の訴追を勧告、政治混乱に拍車が掛かる可能性は大~

西濵 徹

要旨
  • 昨年来のブラジルは新型コロナウイルスの感染拡大の中心地の一角となる展開が続いた。これは、ボルソナロ大統領を中心に連邦政府は経済活動を優先する一方、地方政府は強力な感染対策を課すなどちぐはぐな対応も影響した。連邦議会上院の調査委員会は感染対策を巡る政府の責任を問う動きをみせており、来年の次期大統領選を前に野党支持者を中心に反政府デモが活発化している。他方、大統領支持者もデモを展開するなど分断が深刻化しており、こうした政治の懸念も理由に金融市場は弱含む展開が続いている。
  • 調査委員会の報告書では、ボルソナロ大統領をはじめ多数の政府高官に対する訴追が勧告されている模様である。今後は調査委員会で採決されるが、仮に半数以上が賛成した場合においても、ボルソナロ大統領が訴追される可能性は極めて低いと見込まれる。ただし、野党は大統領への圧力を強めると予想される。足下の感染動向は峠を越えているが、足下の新規陽性者数は底打ちする兆しがみられる。次期大統領選に向けて分断の動きが一層進むことも予想され、政治的混乱がこれまで以上に強まることも考えられる。

昨年来のブラジルでは、新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)のパンデミック(世界的大流行)を受けて感染が広がるとともに、感染拡大の中心地の一角となるなど深刻な感染動向に見舞われる展開が続いた。この背景には、新型コロナウイルス感染症を「ただの風邪」と揶揄するボルソナロ大統領の下で連邦政府レベルでは経済活動を優先する対応が続いた一方、地方政府レベルでは社会的距離(ソーシャル・ディスタンス)規制や都市封鎖(ロックダウン)など積極的な行動制限が図られるなど、ちぐはぐな感染対策も影響したとみられる。なお、足下における累計の陽性者数は2,166万人強と米国、インドに次ぐ水準の一方、死亡者数は60万人を上回るなど米国に次ぐ水準であり、地方部を中心とする医療インフラの脆弱さも理由に陽性者数に対する死亡者数の比率は他の国々と比較して突出している。こうしたなか、連邦議会上院ではボルソナロ政権による新型コロナ禍対応に関する調査委員会(CPI)が設置され、ボルソナロ大統領のワクチン調達を巡る不手際のほか、ボルソナロ大統領が利用を推奨した抗マラリア薬に対する不正が暴露される事態となった。同国では来年10月に次期大統領選が予定されるなど『政治の季節』が近付いており、野党支持者を中心にボルソナロ大統領に対する弾劾を求める声が強まるとともに(注1)、全土でボルソナロ政権を非難するデモが展開される動きがみられた。さらに、昨年来の歴史的大干ばつも影響して足下のインフレ率は大きく昂進しており、金融市場においてはボルソナロ政権によるポピュリズム的な政策運営を警戒して通貨レアル相場は調整するなど物価に悪影響を与える懸念が高まるなかで中銀は金融引き締めの動きを強めている(注2)。ただし、こうした物価高と金利高の共存により家計部門を取り巻く状況は厳しさを増しており、反政府デモが勢いづく一因となっている。一方、ボルソナロ大統領や支持者はこうした動きに対抗する形でデモを展開しており、来年の大統領選に向けては一段と『分断』が意識される可能性が高まっている。また、このところの原油をはじめとする国際商品市況の上昇は南米有数の資源国である同国経済の追い風になることが期待される一方、足下では中国経済の減速が意識されるなかで主力の輸出財である鉄鉱石価格が調整するなど逆風が吹いており、政治的な混乱への警戒も相俟って主要株式指数は調整の動きを強めるなど、極めて厳しい状況に直面している。

図表
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こうしたなか、連邦議会上院に設置された調査委員会が作成した報告書の内容が明らかにされた。報道に拠ると、ボルソナロ大統領に対して多くの国民の死亡に繋がったことの過失による人道に関する罪及び偽証罪など、計9つの罪で訴追することを勧告している模様である。また、ボルソナロ大統領のみならず3人の息子に加え、ケイロガ保健相をはじめとする多数の現職及び元職の政府高官66人、2社を対象に計23の罪を犯したことを理由に刑事訴追を勧告するなど、ボルソナロ大統領の家族や政府全体として様々な過失があったとしている。今後のスケジュールとしては、26日に委員会による報告書の採決が予定されており、半数を上回る委員が賛成すれば連邦検察が訴追するか否かを判断することになる。ただし、現検事総長のアラス氏はボルソナロ政権下で任命されている上、ここ数年同国政界を揺さぶった検察による政官財への大規模捜査(ラヴァ・ジャット作戦)に元々批判的な姿勢をみせるなど『大統領寄り』とみられてきたことを勘案すれば、ボルソナロ大統領が実際に訴追される可能性は極めて低いとみられる。他方、政治の季節が近づくなかで上述のように反政府デモが活発化していることを勘案すれば、調査報告書の内容がそうした動きに火を点けることは避けられそうにない。なお、ブラジル国内における感染動向を巡っては、6月末を境に新規陽性者数は頭打ちしているほか、新規陽性者数の減少により医療インフラのひっ迫感が後退していることも追い風に死亡者数も鈍化するなど、感染動向は大きく改善している。さらに、連邦政府や地方政府によるワクチン接種の積極化の呼びかけも追い風に、今月19日時点における完全接種率(必要な接種回数をすべて受けた人の割合)は50.38%と半分を上回るとともに、部分接種率(少なくとも1回は接種を受けた人の割合)も73.64%に達するなど大きく前進するなど、新型コロナ禍を巡る状況は峠を越えていると捉えられる(注3)。他方、足下ではワクチン接種が進んでいる主要国においても感染力の強い変異株によるブレークスルー感染の動きがみられるほか、同国をはじめとする南半球は夏に突入するなど改善を期待する向きもあるが、昨年は年末にかけて感染動向が悪化したことを勘案すれば過度な楽観視は禁物である。足下においては頭打ちの動きを強めてきた新規陽性者数が底打ちする動きがみられるなか、ワクチン接種の加速化も追い風に足下においては経済活動が活発化しており、基本的な感染対策が疎かになることで感染が再拡大するリスクが高まる可能性もある。さらに、政治的な対立の激化がこれまで以上に進むことも予想されるなど、ブラジルを巡る状況は予断を許さない展開が続くであろう。

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以 上

西濵 徹


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西濵 徹

にしはま とおる

経済調査部 主席エコノミスト
担当: アジア、中東、アフリカ、ロシア、中南米など新興国のマクロ経済・政治分析

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