ブラジル、新型コロナ禍は峠を越えるも、物価や政治など難題は山積

~物価高と金利高が景気に冷や水を浴びせる懸念に加え、政治を巡る不透明さも引き続き問題に~

西濵 徹

要旨
  • 昨年来のブラジルは新型コロナ禍に際して感染対策のちぐはぐさも影響して感染拡大の中心地となってきた。ただし、足下で新規陽性者数は頭打ちしており、死亡者数も鈍化するなど感染動向は改善しており、ワクチン接種も比較的進んでいる。こうした状況を反映して人の移動は活発化しており、企業マインドも改善するなど景気回復を示唆する動きもみられる。来年の次期大統領選を控えるなか、こうした状況は経済活動を優先するボルソナロ大統領の追い風になると期待される一方、新たな疑惑が噴出するなど厳しい状況が続く。
  • 同国は電力エネルギーの大宗を水力に依存するが、昨年来の大干ばつを受けて火力発電の再稼働に追い込まれており、原油高も重なりインフレ圧力を招いている。中銀は3月以降断続的に利上げを実施するなどタカ派姿勢を強めているが、レアル安も重なりインフレ率は加速しており、物価高と金利高の共存が景気に冷や水を浴びせる懸念もある。こうした事態は政権支持率の低下を招き、次期大統領選に向けて左派政党は攻勢を掛ける一方、ボルソナロ大統領はポピュリズム的な政策運営のみならず、選挙結果如何で政治暴動を示唆する危うい動きをみせる。今後のブラジルは政治の動きにこれまで以上に注意が必要と言える。

昨年来のブラジルを巡っては、新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)のパンデミック(世界的大流行)を受けて感染拡大の中心地となる展開が続いてきたものの、新型コロナウイルスを「ただの風邪」とするボルソナロ大統領の下で連邦政府レベルでは経済活動を優先して行動制限に及び腰の姿勢が続く一方、地方政府レベルでは社会的距離(ソーシャル・ディスタンス)規制や都市封鎖(ロックダウン)の実施など積極的な行動制限が採られるなど、ちぐはぐな感染対策も感染動向を悪化させる一因になってきた。足下における累計の陽性者数は2,156万人強、死亡者数も60万人とともに米国に次ぐ水準にある上、感染者数に対する死亡者数の比率は他国と比べて突出した状況にあるなど極めて厳しい状況に見舞われているものの、新規陽性者数は6月末を境に頭打ちしており、新規陽性者数の減少による医療インフラに対する圧力の後退を受けて死亡者数の拡大ペースも鈍化しており、感染動向は改善に向かいつつある。他方、欧米や中国など主要国においてはワクチン接種の加速化が経済活動の正常化を後押ししている上、同国は感染拡大の中心地となったことで様々なワクチンの治験が行われてきたほか、年明け以降は接種が開始されるなど新興国のなかでは比較的早期にワクチン接種が進む動きがみられた。ただし、ボルソナロ大統領は自身が新型コロナウイルスにり患したにも拘らず、ワクチンに対して懐疑的な見方を示して接種を拒否している一方(先月のニューヨークでの国連総会への参加に際して夕食時に入店拒否にあったほか、今月初めにはサッカー観戦を断られている)、連邦政府(保健当局)や地方政府は国民に対して積極的なワクチン接種を呼び掛けるなど、感染対策同様にちぐはぐな対応が続いてきた。さらに、ワクチン調達を巡って保健当局による贈収賄疑惑が噴出している上、ボルソナロ大統領の関与が疑われており、来年に次期大統領選が控えるなど『政治の季節』が近付くなかで野党支持者を中心に大統領の弾劾を求める声が高まっているほか(注1)、足下では上述のように感染動向が改善する兆しがみられるにも拘らず政権支持率は就任後最低を更新するなど厳しい状況に直面している。とはいえ、連邦政府及び地方政府がワクチン接種を積極化させていることも追い風に、今月9日時点における完全接種率(必要な接種回数をすべて受けた人の割合)は46.41%と国民の4割以上がワクチン接種を終えているほか、部分接種率(少なくとも1回は接種を受けた人の割合)も72.55%と国民の7割以上が少なくとも1回はワクチン接種を受けるなど、新興国のなかでは接種が比較的進んでいると捉えられる。こうしたことに加え、ボルソナロ大統領を中心に連邦政府は経済活動を優先する姿勢をみせてきたことも追い風に人の移動は底入れしているほか、欧米など主要国を中心とする世界経済の回復も追い風に企業マインドは製造業、サービス業ともに改善するなど景気回復を示唆する動きがみられる。こうした状況は、上述のように昨年来の新型コロナ禍を経ても経済活動を優先するとともに、来年の次期大統領選での再選を目指すボルソナロ大統領にとって望ましい環境と捉えられる一方、最高裁は検察による大統領の新型コロナ禍対応を巡る疑惑の捜査を許可しており、さらなる疑惑が噴出するなど難しい事態に直面している。

図 1 新型コロナの新規陽性者数・累計死亡者数の推移
図 1 新型コロナの新規陽性者数・累計死亡者数の推移

図 2 ワクチン接種率の推移
図 2 ワクチン接種率の推移

なお、ブラジルは電力供給の大宗を水力発電に依存する構造を有するものの、昨年以降は『100年に一度』とも称される大干ばつに見舞われるなど水不足が顕在化するなか、電力供給に向けて火力発電の再稼働を余儀なくされている。足下では昨年後半以降における原油をはじめとする国際商品市況の上昇がエネルギー価格の上昇を通じて世界的にインフレが顕在化する動きが広がっているが、同国においても原油価格の上昇に伴うエネルギー価格の上昇は物価を押し上げている。結果、3月にはインフレ率が中銀の定めるインフレ目標(3.75±1.50%)を上回る水準となったことを受けて、中銀は3月に約6年ぶりの利上げ実施を決定するなど、2016年以降は昨年来の新型コロナ禍も相俟って4年強に亘って利下げ局面を維持してきた流れから一転して金融引き締めに動くなど、正常化に向けて大きく舵を切った(注2)。さらに、過去数年に亘って同国の通貨レアル相場は下落する展開をみせてきた結果、輸入物価を通じてインフレ圧力が強まってきたことも重なり、その後もインフレ率は加速感を強めていることを受けて、中銀は断続的に利上げ実施を決定するなど『タカ派』姿勢を強める事態となっている。年明け以降の景気を巡っては、主要国を中心とする世界経済の回復の動きや国際商品市況の上昇の動きが景気を押し上げることが期待される一方、足下の物価上昇を招く一因となっている大干ばつは農林漁業関連を中心とする生産活動の重石となっているほか、インフレに伴う実質購買力の下押しに加え、中銀による利上げ実施は新型コロナ禍を経て疲弊した家計及び企業部門の需要の重石となるなど、景気の足かせとなってきた(注3)。ただし、上述のように足下では感染動向の改善を受けて企業マインドは底入れするなど景気回復に繋がる動きがみられる一方、インフレ率のみならず、足下ではコアインフレ率もともに中銀のインフレ目標を上回るなど物価を巡る状況は一段と厳しさを増している。こうした事態を受けて、中銀は先月の定例会合においても5会合連続の利上げ実施を決定するとともに、利上げ幅も2会合連続で100bpとするなど急速にタカ派姿勢を強めるとともに、先行きの追加利上げを示唆する考えをみせた(注4)。その後も国際原油価格の高止まりにも拘らず通貨レアル相場は弱含む展開をみせていることを受けてインフレ率も一段と加速しており、物価高と金利高が共存する状況が続いており、景気に冷や水を浴びせることが懸念される。足下においてボルソナロ政権に対する支持率が低下している背景には、新型コロナ禍により低所得者層や貧困層を取り巻く状況が一段と悪化するなか、物価高と金利高の共存によりこうした層への圧力が強まっていることも影響しており、先月末には反政府デモの一部がサンパウロ証券取引所を一時占拠するなどの混乱も表面化した。来年の次期大統領選を巡っては、最大野党の左派・労働者党が労働者階級などから根強い人気を誇るルラ元大統領を中心に結集する動きをみせており、ボルソナロ大統領は右派であるにも拘らず、左右双方の『ポピュリスト』が争う構図になるとともに、双方がバラ撒き型の政策運営を強めるなど経済のファンダメンタルズ(基礎的条件)の脆弱さを招くリスクが高まっている。さらに、ボルソナロ政権の下では同国においても分断の様相が色濃くなるなか、次期大統領選の結果如何では政治暴動が起こる可能性も指摘されており、民主主義がリスクに晒される懸念もくすぶっており、今後のブラジルは「政治」がこれまで以上に鍵を握ると考えることが出来よう。

図 3 製造業・サービス業 PMI の推移
図 3 製造業・サービス業 PMI の推移

図 4 インフレ率の推移
図 4 インフレ率の推移

図 5 レアル相場(対ドル)と主要株式指数(ボベスパ)の推移
図 5 レアル相場(対ドル)と主要株式指数(ボベスパ)の推移

以 上

西濵 徹


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西濵 徹

にしはま とおる

経済調査部 主席エコノミスト
担当: アジア、中東、アフリカ、ロシア、中南米など新興国のマクロ経済・政治分析

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