ブラジルで再び盛り上がる大統領への「弾劾」要求

~ワクチン調達を巡る不正疑惑への関与が噴出、ブラジル政界は再び混乱に陥るか~

西濵 徹

要旨
  • 昨年来のブラジルは新型コロナウイルスの感染拡大の中心地となってきたが、対策のちぐはぐさも影響して感染収束にほど遠い状況が続く。ワクチン接種は進んでいるが、中国との関係悪化を受けて原材料やワクチン供給が細る動きもみられる。ボルソナロ大統領自身はワクチンに懐疑的であるが、来年の次期大統領選での再選を目指してワクチン調達を積極化させるなど、対応のちぐはぐさが一段と際立つ可能性もある。
  • 連邦議会上院の調査では、政権の新型コロナ禍対応を巡る不手際が相次いで発覚している上、先月末にはワクチン調達を巡る不正疑惑も噴出した。ワクチンを巡る疑惑にボルソナロ大統領が関わった疑惑も出て刑事告発が行われたほか、弾劾を求める声も出ている。足下のレアル相場や株式相場は商品市況の動きを反映して比較的堅調に推移するが、景気の自律回復の道筋も描けないなかで一変するリスクを孕んでいる。

昨年来のブラジルは、新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)のパンデミック(世界的大流行)を受けて感染拡大の中心地の一角となったほか、足下においても感染力の強い変異株の流入により感染が再拡大する展開が続くなど事態収束にほど遠い状況にある。足下における累計の感染者数は185万人と世界で最も多い米国の半分強に留まる一方、死亡者数は51.5万人に達するなど米国の8割強となっており、感染者数に対する死亡者数の比率は他国と比較して突出している。こうした背景には、同国の医療インフラの脆弱さに加え、同国のボルソナロ大統領は自身が罹患したにも拘らず新型コロナウイルスを「ただの風邪」と揶揄する姿勢を示すとともに、地方政府レベルで都市封鎖(ロックダウン)や社会的距離(ソーシャル・ディスタンス)規制などが採られる一方で連邦政府レベルでは経済活動を優先するなど、ちぐはぐな対応が続いたことも影響したと考えられる。さらに、欧米や中国など主要国においてはワクチン接種の進展により経済活動の正常化が図られる動きがみられるなか、同国は感染拡大の中心地となったことで様々なワクチンの治験が行われるとともに、年明け以降は接種が開始されており、先月29日時点における完全接種率(必要な接種回数をすべて受けた人の割合)は12.28%、部分接種率(少なくとも1回は接種を受けた人の割合)は34.21%とともに世界平均(それぞれ10.80%、23.29%)を上回るなど大きく進展している。こうした動きが進む一方、ボルソナロ大統領はワクチンに対して懐疑的な見方を示すとともに、ワクチンの供給元である中国を揶揄する姿勢をみせた結果、足下では中国からのワクチンの原材料輸入が急激に先細りしている上、中国メーカーがブラジルの提携先との関係解消に動くなど、ワクチン調達が難しくなる事態に直面している。こうしたことも影響して、足下における人口100万人当たりの新規感染者数(7日移動平均)は頭打ちする兆候がみられるも依然として300人を上回る水準で推移するなど他国と比較して突出した動きが続くなど事態収束がみえない展開となっている。他方、政府はワクチン接種の加速による早期の集団免疫獲得や経済活動の正常化を目指して、米製薬メーカーに対してワクチンを前倒しで納入するよう求める動きを強めるなどドタバタ劇をみせている。こうした背景には、同国では来年10月に次期大統領選及び連邦上下院議会選挙が予定されるなど『政治の季節』が近付いており、現職のボルソナロ大統領としては早期の経済活動の正常化を通じて景気回復を図ることで再選を図りたいとの意図が影響していると考えられる。

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ただし、新型コロナウイルス対応を巡っては連邦議会上院が設置した調査委員会(CPI)において、米国の製薬メーカーがボルソナロ大統領に対してワクチン供給の打診を行う数十件のメールを送付していたにも拘らず、ボルソナロ大統領がこれらのメールを事実上無視する対応をみせるなど、そうした対応がワクチン調達の遅れに繋がったことが明らかにされた。さらに、CPIはボルソナロ大統領が新型コロナウイルス対策として利用を推奨した抗マラリア薬を巡って、効果が否定されていたにも拘らず保健当局が関係書類の修正(偽装)により有効性を証明しようとしていたことも明らかにしており、政府の不手際が暴露される事態となっている。また、同国において接種されているインド製ワクチンの調達を巡って、保健当局が安価で提示された米国製ワクチンを排除する形で前倒しでの認可審査が行われるとともに割高で調達されたほか、賄賂が保健当局の高官に渡ったことが明らかになり、ボルソナロ大統領は当該高官の解任を発表した。一方、このインド製ワクチンの調達劇を巡る不正疑惑にボルソナロ大統領が関わったとの疑惑も噴出しており、野党の上院議員が最高裁判所に対してボルソナロ大統領を刑事告発する事態に発展し、検察当局も捜査を開始するなど新たな問題となる可能性も高まっている。なお、ボルソナロ大統領を告発した野党議員はCPIの幹部であり、CPIは元々来月にも調査を終了する見通しであったものの、調査延長に動くほか、最終報告の内容によっては連邦議会による弾劾や刑事訴追を求める可能性も高まっている。ボルソナロ大統領を巡っては、退役軍人で長年に亘って連邦下院議員を務めてきたものの、既存政党と距離を採る姿勢をみせてきたため、2016年に当時のルセフ大統領への弾劾決定に発展するなど同国政界を大きく揺るがした疑獄事件などとは無縁であったほか、そのことが前回大統領選での勝利に繋がる一端になったとみられる。しかし、大統領就任後の同氏は息子をはじめとする縁故者を優遇する動きをみせてきたが、新型コロナウイルス対策を巡る不手際をきっかけに元々ボルソナロ政権に対して否定的な姿勢をみせてきた左派政党や労働組合、学生団体などが主導して政権への抗議集会が全土で繰り広げられる動きがみられたが、不正疑惑の噴出を受けてボルソナロ大統領の弾劾を求める声も上がっている。他方、ボルソナロ大統領を熱烈に支持する右派層は事実上の『岩盤支持層』となっており、ボルソナロ大統領が支持層を扇動する形で政治行動を活発化させる動きもみられるなど、『政治の季節』を控えて政治活動が一層活発化する兆候もみられる。この背景には、来年の次期大統領選に左派層からの熱烈な支持を集めるルラ元大統領の出馬が取りざたされていることも影響しており、選択肢が『極右』と『左派』という両極に振れる異常事態となりつつある 1。足下の金融市場においては、こうした政治的なゴタゴタに対する懸念はあるものの、主要国を中心とする世界経済の回復期待が原油をはじめとする国際商品市況を押し上げる展開が続くなか、南米有数の資源輸出国であるブラジルへの資金流入が促されやすくなっており、通貨レアル相場は堅調な動きをみせている上、主要株価指数も上値が抑えられるも依然高値圏で推移している。レアル相場を巡っては、中銀が金融政策の正常化を加速化させていることも追い風になっているとみられるが 2、足下のインフレ加速の動きは国際商品市況の底入れの動きに加え、『100年に一度』レベルの大干ばつの影響で電気をはじめとするエネルギー価格に大幅な押し上げ圧力が掛かるなどコスト・プッシュ型である一方、景気のけん引役となってきた家計消費など内需は弱含む展開が続いており3 、中銀の金融引き締めは景気の逆風となることは避けられない。今後の国際金融市場は徐々に『カネ余り』の手仕舞いも予想されるなか、ブラジル経済が自律的な景気回復を模索することが出来なければ、足下の活況が一変する可能性を孕んでいることに留意する必要性が高まろう。

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以 上

西濵 徹


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西濵 徹

にしはま とおる

経済調査部 主席エコノミスト
担当: アジア、中東、アフリカ、ロシア、中南米など新興国のマクロ経済・政治分析

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