タイ憲法裁が前進党への解党請求の審理開始、政局の行方は

~政局混乱の懸念に加え、バーツ安も再燃するなかで中銀の政策にも影響を与える可能性も~

西濵 徹

要旨
  • ここ数年のタイ政界では民主派の前進党を巡る動きに注目が集まる。同党の前身である新未来党は2019年の総選挙で第3党となるなど躍進したが、その後は解党命令を受けた。後継政党となった前進党は2023年の総選挙で第1党となるも妨害工作により政権樹立は叶わず、今年1月には同党が掲げた公約に違憲判決が下った。これを受けて選管は憲法裁に同党に対する解党命令を請求し、3日に憲法裁が請求を受理した。解党命令が下る可能性は高いが、同党支持者を中心に政府や保守派に対する反発は高まろう。
  • 一方、昨年発足したセター政権は経済の立て直しを優先に掲げるが、足下の景気は減速懸念がくすぶる。インフレがマイナスで推移するなかでセター首相は中銀に利下げを要求するが、中銀はインフレ懸念や政府のバラ撒き政策による副作用を警戒して慎重姿勢を崩さない。他方、経済団体も中銀に利下げを求めるなど政府を後方支援している。ただし、足下では食料品やエネルギーを中心とするインフレが顕在化しており、バーツ安の懸念も高まるなか、中銀は難しい政策の舵取りを迫られる状況に直面することになろう。

ここ数年のタイの政界においては、民主派の前進党を巡る動きに注目が集まっている。同党の前身である新未来党は2019年の総選挙において、長年に亘って同国政界における対立軸となってきた『タクシン派』と『反タクシン派』に替わる「第3極」を標ぼうするとともに第3党に躍り出た(注1)。しかし、その後は憲法違反を理由にタナトーン党首(当時)に対して議員資格をはく奪する決定がなされるとともに(注2)、翌年には政党法違反を理由に解党命令を受ける事態に追い込まれた。その後に同党所属議員を中心に前進党として事実上の後継政党を結党するとともに、昨年の総選挙においては反軍政のほか、不敬罪の緩和や徴兵制廃止といった急進的な公約を掲げて第1党となるなど一気に存在感を高めた(注3)。しかし、親軍派や王党派といった保守派を中心に同党が掲げる急進的な公約に対する拒否感が強く、同党のピター党首を首班にした政権樹立を目指したものの、妨害工作が活発化したほか、最終的には同党を排除した形で『タクシン派』のタイ貢献党を中心に親軍派や王党派の合従連衡によるセター政権が発足した(注4)。妨害工作を巡っては、憲法裁判所に対してピター党首の議員資格の有無、同党が掲げる公約が憲法違反に当たるか否かの判断を仰ぐ動きがみられたが、今年1月にはピター氏の議員資格が認められる一方(注5)、同党が掲げた公約とピター氏に対して違憲とする判決を下すなど政治活動が事実上封じられる結果となった(注6)。これを受けて、先月には選挙管理委員会が憲法裁判所に同党に対する解党命令を請求したため(注7)、その扱いに注目が集まったなかで憲法裁判所は3日に請求を受理したことを明らかにしている。憲法裁判所は同党に対して15日以内に文書で上申書を提出することを認めているものの、今後は選挙管理委員会による申し立てと同党による上申書の内容を踏まえて判決の期日を決定する見通しである。しかし、憲法裁の裁判官も選管の委員もともに2014年のクーデターを経て発足した『軍政』のプラユット政権が指名しており、いずれも国軍の意向が反映されやすいことを勘案すれば、解党命令が下される可能性は極めて高いと見込まれる。仮に解党命令が下されれば、ピター氏を含めた党役員は10年間の公民権停止となるほか、同党の所属議員も一定期間のうちに他党に移籍しなければ議員資格を失う見通しである。一方、同党支持者の間で高まっている政府や保守派に対する不満のマグマは一段と高まることは必至であり、反政府デモなど具体的な活動に繋がる事態となれば政局を巡る新たな火種となることは避けられない。

一方、昨年発足したセター政権はコロナ禍で疲弊した経済の立て直しを重視する姿勢をみせているものの、昨年の経済成長率は+1.9%に留まるとともに、昨年末にかけては景気減速の動きが顕在化したほか(注8)、足下においても中国経済の減速懸念が景気の足かせとなる展開が続いている。なお、ここ数年のインフレは商品高や米ドル高を追い風に大きく上振れしたほか、中銀は累計200bpの利上げを実施する一方、一昨年後半以降のインフレは頭打ちに転じたほか、昨年5月にプラユット前政権が実施したエネルギー補助金の影響で下振れしており、足下ではマイナスで推移している。よって、セター首相は中銀に対して再三利下げ実施を要求しているものの、中銀は足下のインフレが政策を通じて人為的に抑えられている上、食料品やエネルギーなど生活必需品を中心にインフレ圧力がくすぶるほか、セター政権によるバラ撒き志向の強い財政運営による副作用を警戒して静観する構えをみせている(注9)。今月初めには主要経済団体で構成されるタイ商業・工業・金融合同常任委員会(JSCCIB)が今年の経済成長率について従来見通し(+2.8~3.3%)を維持する一方、内・外需双方に下振れリスクがあることを理由に、政府に対しては景気刺激策を、中銀に対して利下げの実施を求める考えを明らかにするなど、政府を事実上後方支援する動きをみせる。しかし、上述のように足下のインフレがマイナスで推移している背景には政策を通じて人為的に抑えられていることが影響している上、足下では穀物などを中心とする食料インフレの動きが顕在化しているほか、中東情勢を巡る不透明感の高まりを受けて国際原油価格は上振れするなどエネルギー価格の上昇に繋がる動きが顕在化している。さらに、国際金融市場においては米FRB(連邦準備制度理事会)による利下げ観測を巡る見方を反映して米ドル高の動きが強まり、バーツ相場は昨年来の安値をうかがうなど輸入インフレの再燃が懸念される状況にある。こうしたなか、上述したように政局を巡る動きをきっかけに混乱が広がる事態となれば、金融市場にとってタイの政局混乱は『日常茶飯事』ではあるものの、バーツ安の動きが一段と加速することも考えられる。中銀は政府のみならず、経済団体からの『圧力』に晒される事態となっているものの、今後はバーツ相場の動向を睨みながら難しい対応を迫られる局面が続くと予想される。

図1 インフレ率の推移
図1 インフレ率の推移

図2 バーツ相場(対ドル)の推移
図2 バーツ相場(対ドル)の推移

以 上

西濵 徹


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西濵 徹

にしはま とおる

経済調査部 主席エコノミスト
担当: アジア、中東、アフリカ、ロシア、中南米など新興国のマクロ経済・政治分析

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