タイ選管、憲法裁に民主派野党・前進党に対する解党命令を請求

~解党命令が下ればバーツ相場の混乱要因に、利下げ圧力に晒される中銀は難しい対応を求められる~

西濵 徹

要旨
  • タイ選管は12日、民主派の最大野党である前進党への解党命令を憲法裁に請求することを明らかにした。同党は昨年の総選挙で第1党に躍進するも、その急進的な公約を巡って保守派から様々な圧力を受けている。今年1月に憲法裁は同党に違憲判決を下したことを受け、選管は同党が国家転覆を図ったとの十分な証拠があるとして全会一致での解党命令請求に踏み切った。他方、タクシン派のセター政権の樹立を受け、タクシン元首相は帰国から半年ほどで社会復帰を果たすなど「特別扱い」が如実である。仮に解党命令が下れば、前進党支持者を中心に保守派やタクシン派への反発が強まる可能性も考えられる。バーツ相場の新たな波乱要因となる懸念もあり、政府からの利下げ圧力に直面する中銀は難しい対応を迫られよう。

タイ選挙管理委員会(選管)は12日、民主派の最大野党である前進党に対する解党命令を憲法裁判所(憲法裁)に請求することを明らかにした。同党を巡っては、昨年実施された議会下院(人民代表院)総選挙において、反軍政のほか、不敬罪の緩和や徴兵制廃止といった急進的な公約を掲げて第1党となるなど大躍進を果たした(注1)。しかし、親軍派や王党派など保守派を中心に同党が掲げる急進的な公約への忌避感が根強く、その後は同党や当時のピター党首を中心とする政権樹立に対する『妨害工作』が活発化した。具体的には、選管がピター氏について総選挙への立候補資格自体が無効であり、当選も無効である旨の判断を憲法裁に仰いだほか、保守派弁護士は同党が掲げる公約(不敬罪の緩和)が王政批判による事実上の国家転覆を企図したものに当たるとして憲法裁にピター氏と同党が憲法違反に当たるか否かの判断を求める動きがみられた。結果、同党を中心とする政権樹立はとん挫するとともに、いわゆる『タクシン派』のタイ貢献党を中心に親軍派や王党派が合従連衡することによりセター政権が発足する事態となった(注2)。なお、ピター氏の立候補資格を巡っては、憲法裁が今年1月に選管の訴えを棄却するとともに、一時停止措置が下された議員資格の回復を認める判断を行った(注3)。一方、直後に憲法裁は同党が掲げた選挙公約に対して「憲法違反」に当たると判断した上で、総選挙の際に党首であったピター氏にも同様に違憲と判断した上で意見表明や宣伝活動の中止を命じた(注4)。この憲法裁による判断を受けて、保守派の政治活動家などを中心に選管に対して同党に対する解散(解党)請求を申し立てが行われ、その是非に関する検討がなされてきた。なお、選管を巡っては国軍が影響力を有するとともに、上述した前進党への対応にみられるように民主派の排除に事実上加担する動きをみせてきた傾向がある。今回の憲法裁への請求決定に関連して、選管は「国王を元首とする民主主義体制の転覆を図ったと判断できる十分な根拠がある」とする声明を発表した上で、同党に対する解散命令請求を全会一致で下された旨を明らかにしている。今後、憲法裁は選管による請求を受理した上で同党に対する解党の是非を判断するものの、現在の憲法裁は軍事政権下において選出された裁判官で占められるなど親軍派や王党派をはじめとする保守派の影響力が強い上、上述のように同党が掲げた選挙公約に対して違憲と判断していることを勘案すれば、解散命令が下される可能性は高いと見込まれる。他方、セター政権の樹立に当たっては、政権樹立を前にタイ貢献党の実質的なオーナーであるタクシン元首相が海外逃亡生活から帰国し、裁判所での審問を経て汚職や権力濫用などの罪で禁固刑を受けて収監されるも体調不良を理由に病院での療養に移行し、その後に国王からの恩赦で減刑されるなど『特別待遇』を受けている。さらに、タクシン氏は先月に仮釈放されるなど帰国から半年ほどで社会復帰が進んでおり、上述のように事実上の『弾圧』状態に晒される前進党とは対照的な状況が浮き彫りとなっている。仮に前進党に対する解党命令が下されれば、同党の指導者などは政治活動を10年に亘って禁じられる可能性がある一方、昨年の総選挙で同党は第1党になるなど都市部の若年層を中心に支持を集めたことを勘案すれば、同党支持層を中心に親軍派や王党派のみならず、タクシン派に対しても反発が強まることが考えられる。タイの政局を巡っては混乱が日常茶飯事ながら、反政府デモなど具体的な活動に発展すれば、足下で米ドル高の一服を受けて底入れの動きをみせるバーツ相場の新たな波乱要因となる可能性は高い。同国経済はASEAN(東南アジア諸国連合)内でもコロナ禍からの景気回復が遅れるなか、セター政権は足下のインフレがマイナスで推移していることも追い風に中銀に利下げ実施を求めて『圧力』を掛ける一方、中銀は政府が掲げるバラ撒き政策の副作用を警戒して慎重姿勢を崩さないなど対立が深まる動きがみられるなか、中銀はバーツ相場を睨みつつ難しい対応を迫られることになろう。

図 バーツ相場(対ドル)の推移
図 バーツ相場(対ドル)の推移

以 上

西濵 徹


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西濵 徹

にしはま とおる

経済調査部 主席エコノミスト
担当: アジア、中東、アフリカ、ロシア、中南米など新興国のマクロ経済・政治分析

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