タイ、前進党のピター氏が議員復帰へ、政局の行方はどうなるか

~来週に控える憲法裁の判断如何では政局が再び混乱の様相を強める可能性~

西濵 徹

要旨
  • タイでは、昨年の総選挙で民主派の前進党が第1党となるなど躍進したものの、親軍派や保守派による妨害のほか、いわゆる「司法クーデター」により同党のピター党首の首相就任が妨害された。その後はタクシン派の貢献党のセター氏が首相に就任したが、経済政策を重視するも足下では景気失速が懸念されるなかで中銀に利下げを要求するなど「焦り」を強める。こうしたなか、24日に憲法裁はピター氏の立候補資格を認めた上で議員資格の回復を決定し、ピター氏は昨年の議員資格停止後に辞職した党首に返り咲きを果たす可能性が高まっている。他方、憲法裁判所は月内にもピター氏と前進党が掲げる選挙公約が国家転覆罪に該当するか否かの判断を下す予定であり、同党の行方を左右する。政局混乱や民主化の後退も懸念される一方、足下ではバーツ安が再燃する動きがみられるなか、中銀が首相からの圧力に抗うことが出来るか重要な局面を迎えることも予想される。

タイでは、昨年実施された議会下院(人民代表院)総選挙において『反軍政』や急進的な政権公約(不敬罪の緩和、徴兵制の廃止など)を掲げる民主派の前進党が第1党となるなど大躍進を果たして勝利を収めた。その後、同党のピター党首は首相となるべく様々な政党との連立協議を進めるも多数派を形成出来ず、親軍派や保守派を中心に同党に対する拒否感が根強いことも影響して、首班指名選挙では同氏が唯一の立候補者となるも選出されないといった『妨害工作』が展開された(注1)。その上で、親軍派や保守派は同党やピター氏に対して揺さぶりを掛けるべく、選挙管理委員会が憲法裁判所に対してピター氏の総選挙への立候補資格の無効を訴えるとともに、直後に憲法裁判所は訴えを受理した上で審理中におけるピター氏の議員資格を一時停止する決定を行った。さらに、保守派の弁護士も同党が掲げる公約(不敬罪の緩和)が事実上の王政批判による国家転覆に当たるとして、憲法裁判所に対してピター氏と同党が憲法違反か否かの判断を求める訴えを行うなど『圧力』を強めた。タイ政界においては度々『司法クーデター』とも称される憲法裁判所による政治介入が問題視されてきたが、今回も一連の動きによりピター政権が発足する可能性はなくなり、その後は政党間の合従連衡の動きが再び活発化し、いわゆる『タクシン派』で総選挙において第2党となったタイ貢献党を中心とするセター政権が発足した(注2)。セター首相は財務相を兼任するとともに、経済政策を重視することによりコロナ禍で疲弊した経済の立て直しを目指す姿勢をみせるものの、足下では景気の失速が意識される動きがみられるなかで中銀に対して利下げを要求するなど『焦り』にも似た動きをみせている(注3)。その後もセター首相は足下の同国経済が危機的状況にあることを理由に、デジタル通貨による現金給付策に加えて一段の景気対策に動く方針を明らかにする一方、中銀のセタプット総裁は足下の同国経済が直面する構造的問題を勘案すれば『カンフル剤』的な景気刺激策に依存する状況を諫める考えを示すなど、両者の間で認識の隔たりが一段と拡大している様子がうかがえる。こうしたなか、憲法裁判所は24日にピター氏に対する議員資格の一時停止措置について無効とするとともに、議員資格の回復を認める判断を下した。現行憲法ではメディア企業の株式保有者による選挙への立候補を禁じており、選挙管理委員会はピター氏が当該規定に抵触することを理由に立候補資格がなく、当選そのものを無効とする判断を憲法裁判所に仰いだ。しかし、憲法裁判所は今回の決定についてピター氏が株式を保有する企業が同氏による立候補の時点でメディア事業の実態がなかったとして、選挙管理委員会の訴えを棄却した格好である。この決定を受けて、ピター氏は早期に議員復帰を果たす考えを示した上で、議員資格停止後の昨年9月に同氏は前進党党首を辞任したものの、今後は4月に実施予定の同党の年次総会を経て再び党首に返り咲きを果たす可能性が高まっている。他方、憲法裁判所は月内にも上述したピター氏と前進党が掲げる選挙公約が国家転覆罪に該当するか否かの判断を下す予定であり、その判断内容如何ではピター氏や同党を取り巻く状況が厳しさを増す可能性はくすぶる。こうした背景には、上述した憲法裁判所によるピター氏の議員資格を巡る判断については、親軍派や保守派による妨害工作や司法クーデターを受けて民主派の間に不満が高まる動きがみられるなか、一定の配慮をみせることにより『ガス抜き』を図ったとの見方がくすぶる。一方、仮にピター氏や前進党に対して違憲との判断とともに解党命令が下される事態となれば、政治活動は困難になる一方で同党支持者は親軍派や保守派などに対する反発を強める一方、政府は様々な形で圧力を強めることにより、民主化の度合いが大きく後退することも予想される。足下のバーツ相場は米ドル高が再燃していることを追い風に頭打ちに転じており、金融市場は同国における政局の混乱には慣れっこになっていると判断出来るものの、セター首相が中銀に対して利下げ実施に向けた圧力を強めるなかで中銀は『最後の砦』となれるか、重要な局面を迎える事態も考えられる。

図表1
図表1

以 上

西濵 徹


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西濵 徹

にしはま とおる

経済調査部 主席エコノミスト
担当: アジア、中東、アフリカ、ロシア、中南米など新興国のマクロ経済・政治分析

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