ブラジル・ボルソナロ政権、支持基盤である軍の離反が意味するもの

~次期大統領選に向けてボルソナロ政権のポピュリズム色が一段と強まる可能性~

西濵 徹

要旨
  • ブラジルでは新型コロナウイルスを「軽い風邪」と揶揄するボルソナロ大統領の下、連邦政府と地方政府の間で対応が異なる状況が続く。さらに、感染力の強い変異株の感染拡大を受けて状況は急速に悪化しており、政府は感染対策強化に向けて内閣改造を実施した。中国製ワクチンを確保すべく対中強硬派のアラウージョ前外相を交代し、これによりワクチン確保に目途が立つ可能性が出ている。他方、米バイデン政権との関係が微妙ななかでの対中接近は新たな火種を生む要因ともなり得るため、その動向に注意が必要である。
  • 一方、内閣改造ではアゼベド前国防相が交代する予想外の動きもみられた。ボルソナロ大統領が国軍を新型コロナ対応に投入する考えをみせる一方、国軍内に反発が出るなか、軍の政治的中立を重視した同氏が事実上更迭された。ただし、この対応に3軍トップが辞任するなど国軍の離反が強まる動きもみられ、来年に迫る次期大統領選での再選を目指すボルソナロ大統領の算段が狂う可能性もある。次期大統領選に向けてポピュリズム色を強める懸念も高まり、今後はレアル相場にとり調整圧力が強まる事態も懸念される。

ブラジルでは、新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)を「軽い風邪」と揶揄するボルソナロ大統領の下、連邦政府レベルでは感染抑制よりも経済活動を優先する姿勢が採られる一方、地方政府レベルでは感染対策を目的に様々な行動制限が課されるなど、ちぐはぐな対応が続いてきた。こうしたなか、足下では同国北部を起源とする感染力の強い変異株によって感染が再拡大する事態に陥っており、新規感染者数は過去最高を更新する展開が続いているほか、地方部などでは感染者数の急増を受けて病床がひっ迫するなど医療崩壊に陥るリスクが高まっている。累計の感染者数は1275万人弱と米国に次ぐ水準ながら、新規感染者数は世界最大となるなど急拡大している上、死亡者数も32万人強と米国に次ぐ水準ながら感染者数に対する死亡者数の比率は米国を大きく上回るなど、極めて状況は厳しいと捉えることが出来る。なお、同国は新型コロナウイルスの感染拡大の中心地のひとつとなってきたため、様々なワクチンの治験が実施されてきたほか、年明け以降にはワクチン接種が開始されるなど他の新興国と比較して早期に事態打開が進むと期待された。しかし、実際にはワクチン確保に手間取る状況が続いており、先月15日には新型コロナウイルス対策で批判の矢面に立たされてきたパズエロ前保健相を医師(心臓専門医)出身のケイロガ氏に交代するなど、対策の立て直しを迫られている。ボルソナロ政権では昨年、新型コロナウイルス対応を巡って大統領との意見の食い違いを理由に保健相が2代連続で辞任する事態に発展したため 、今回の交代により就任したケイロガ氏で保健相は4人目となっている。ただし、ケイロガ氏は就任会見早々、国民に対してマスク着用と手洗いの実施を呼び掛ける一方、経済活動を優先する観点から社会的距離(ソーシャル・ディスタンス)や都市封鎖(ロックダウン)を回避する姿勢を示しており、感染収束が進むかは見通しが立たない状況にある。こうしたなか、ボルソナロ大統領は先月29日に主要閣僚など6人を交代する内閣改造を実施し、外相、国防相、法務・公安相といった主要ポストの交代に踏み切った。外相ポストを巡っては、外交官出身のアラウージョ前外相は対中強硬派として知られるなかで中国製ワクチンの確保が遅れる結果を招いたとして、政権や親中派議員の間で同氏に対する批判が高まっていたことに対応したとみられる。後任の外相となるフランサ氏もアラウージョ氏同様に外交官出身ながら、ボルソナロ氏に近い上にアラウージョ氏と比較して中国に対するスタンスの軟化が予想されるなど中国製ワクチンの確保に繋がると期待される。ただし、同国では感染力が強い新たな変異株が発見されており、仮にワクチンが確保出来た場合においても事態収束が困難な状況に陥ることが懸念される。他方、近年のアマゾン開発などに関連する環境問題を巡って、米バイデン政権との関係は微妙とみられるなかで対中接近を進めることは両国間の軋轢を深める要因となることも予想され、新たな問題に発展する可能性にも留意する必要があろう。

図1
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内閣改造を巡っては、ボルソナロ大統領と同じ陸軍出身者であるアゼベド前国防相の交代が唐突であったことで意外との受け止めが強かった。なお、ボルソナロ大統領は国軍についてしばしば「私の軍」と公言する姿勢を示してきたほか、新型コロナウイルス対策に国軍を動員する考えをみせてきたことで国軍内ではボルソナロ大統領に対する批判が起こってきたとされる。こうしたなか、アゼベド前国防相は国軍の政治的中立性を重視する姿勢を示しており、現地報道によると国軍での政権批判に対してボルソナロ大統領が対応を求めたにも拘らず同氏が静観する構えをみせたことが今回の交代の背景にあるとの見方も出ている。事実、アゼベド前国防相が交代した翌日(先月30日)には陸海空3軍の司令官(プジョル陸軍司令官、バルボザ海軍司令官、ベルムデス空軍司令官)が辞任することを明らかにするなど、3軍の司令官が辞任するのは同国が軍政から民政に移管した1985年以降で初めてとなる異例の事態となっている。バルボザ氏の後任の国防相には陸軍出身(元陸軍大将)で大統領首席補佐官を務めたブラガネット氏を据えたほか、法務・公安相には連邦直轄区の公安長官であったトレスが就任するが、トレス氏はボルソナロ大統領の息子に近いとされるなど、近親者を据えることで求心力の向上を図ろうとの見方がくすぶる。ボルソナロ大統領による近親者の厚遇を巡っては昨年、警察人事に対する介入を理由に政権内で影響力及び権限の大きさから『スーパー閣僚』とされたモロ元法相が辞任する事態を招いたが 、今回の内閣改造はボルソナロ大統領の思惑とは逆に政権の求心力を低下させるリスクが懸念される。なかでも政権にとって最大の支持基盤となってきた国軍で政権に対する離反の動きが強まっていることは、来年に迫る次期大統領選での再選を目指すボルソナロ大統領にとっては選挙戦に向けて『躓き』となることが予想される。来年に迫る次期大統領選を巡っては先月、ルラ元大統領への大統領在任中の汚職事件に関する有罪判決が無効とする判断が下され 、ルラ元大統領が次期大統領選に出馬することが可能になったことでその布石を打つ動きをみせており、ボルソナロ政権の政権運営がポピュリズム(大衆迎合)色を強めることが懸念されている。国際原油価格の底入れに伴うエネルギー価格の上昇圧力を警戒してボルソナロ大統領は今年2月、燃料価格政策を巡る対立を理由に国営石油公社のCEOを突如更迭して後任にボルソナロ大統領と近い元陸軍大将で前国防相のシルバエルナ氏を据えたが 、先月末にはシルバエルナ氏との方針の違いを理由に同社CFOをはじめとする幹部4人が退社するなど、同社のガバナンスが大きく揺らぐ動きもみられる。同国では先月、中銀が物価上昇及び通貨レアル安への懸念に対応して約6年ぶりの利上げ実施を決定するなど金融政策の正常化プロセスに突入したが 、政府は物価抑制策としてディーゼル燃料に対する課税を一時凍結する方針を示しており、物価抑制に繋がる可能性がある一方で財政状況の悪化を招く動きもみられ、元々財政赤字と経常赤字の『双子の赤字』を抱えるなど経済のファンダメンタルズ(基礎的条件)が脆弱ななかでその度合いが一段と強まることも懸念される。国際金融市場においては米長期金利の上昇をきっかけに新興国通貨にとっては『向かい風』となる状況にあるなか、こうした政策面でのリスクが嫌気されてリラ安基調が強まる展開が続いており、来年の次期大統領選に向けては一段と視界不良状態に陥ることも懸念されよう。

図2
図2
図3
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以 上

西濵 徹


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西濵 徹

にしはま とおる

経済調査部 主席エコノミスト
担当: アジア、中東、アフリカ、ロシア、中南米など新興国のマクロ経済・政治分析

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