マレーシア・ナジブ元首相、有罪確定で政局を巡る動きが激化も

~イスマイルサブリ首相は総選挙の前倒し示唆の模様、政局を巡る動きが喧しさを増す可能性大~

西濵 徹

要旨
  • ここ数年のマレーシアではナジブ元首相による巨額汚職事件が政界を左右してきた。同事件は2018年の政権交代の一因となる一方、その後は与野党を巻き込む政局争いで政権交代が相次いだ。昨年発足したイスマイルサブリ政権はナジブ氏が影響力を持つUMNOが主導権を持ち、来年に控える次期総選挙の行方に注目が集まった。ただ、ナジブ氏が有罪判決を受けるなど禊が済まず、総選挙は先延ばしされるとみられた。
  • こうしたなか、最高裁はナジブ氏の控訴を棄却して禁錮12年及び2.1億リンギの罰金刑が確定したため、次期総選挙への出馬は不可能になる。ナジブ氏は恩赦による釈放を模索するとみられる。他方、コロナ禍からの景気回復の遅れが総選挙実施の足かせとなってきたが、足下は3四半期連続の二桁プラス成長が続くなど景気は底入れするなか、イスマイルサブリ首相は景気の先行き不透明感も理由に年内の総選挙実施を示唆した模様である。代議院の任期満了まで1年を切るなかで与野党を問わず準備が進む動きがみられるなか、先行きは代議院の解散時期を巡り神経戦の様相が強まるほか、政局争いの激化も予想される。

ここ数年のマレーシアにおいては、ナジブ元首相及び家族による政府系ファンド(1MDB)を舞台にした巨額の汚職事件が政界を巡る動きを左右する展開が続いてきた。事件の発覚をきっかけにした政権支持率の低下は、2018年の連邦議会下院(代議院)総選挙において1957年の建国以来初となる政権交代の一因になったと捉えられる。しかし、政権交代を経て誕生したマハティール元政権は与党連合内における政局争いの激化を理由に2年足らずで崩壊したほか(注1)、その後に与野党間の合従連衡を経て誕生したムヒディン前政権も与党連合内の政局争いを受けて昨年崩壊を余儀なくされた(注2)。その後はムヒディン前政権下と同じ与党連合の枠組を維持する一方、ナジブ元政権下で与党であったUMNO(統一マレー国民組織)所属でムヒディン前政権の副首相であったイスマイルサブリ氏が首相に就任した(注3)。しかし、イスマイルサブリ現政権が発足した後も政局を巡るゴタゴタが続く一方、コロナ禍により同国経済が深刻な景気低迷に見舞われたため、コロナ禍対応の注力を目的に国王が調停する形で与野党間の政局争いが一時休戦に持ち込まれる異例の動きに発展した(注4)。他方、イスマイルサブリ政権にとっては政局争いの休戦によりコロナ禍対応への注力が可能となる一方、代議院の任期が来年6月に迫るとともに、来年9月中旬までに次期総選挙を実施する必要があり、政権延命に向けては早期の景気回復の実現が不可欠と捉えられる。ただし、最大与党となったUMNOではナジブ元首相が隠然たる影響力を有する上、イスマイルサブリ氏は首相ながら同党では副総裁と党内序列は3位に過ぎないなど党内での発言力は強くない。ナジブ元首相を巡っては、昨年同氏が陣頭指揮を取った地方選において同党を軸とする与党連合が相次いで圧勝を果たすなど党内での影響力向上が図られたものの、昨年末に同氏が関わった汚職事件を巡る控訴審では控訴が棄却されるとともに、一審判決が支持されて禁錮12年と2.1億リンギの罰金刑が下されるなど(注5)、ナジブ氏が描いた禊を経た上での次期総選挙での復権というシナリオは崩れた。ただし、ナジブ氏は次期総選挙での復権を果たすべく上訴を決定するなど徹底抗戦に動く一方、上述のようにイスマイルサブリ首相は与党内での発言力が強くないなかで次期総選挙の日程を巡っては、任期満了のギリギリまで持ち越されると予想された。

こうしたなか、23日に連邦裁判所(最高裁)はナジブ元首相が関わったとされる汚職事件に対して、ナジブ氏による控訴を棄却するとともに、昨年末の二審判決を支持して禁錮12年と2.1億リンギの罰金刑とする判決を下し、ナジブ氏は即日収監された。汚職事件の捜査を巡っては、ナジブ元政権下で行われた検察当局の捜査はすべてがうやむやにされ、早期に捜査が打ち切られるなどの問題が露見したものの、政権交代後のマハティール元政権下で一転して捜査が進むとともにナジブ氏が起訴されるなど、司法の独立性に疑念が生じさせる動きが散見された。さらに、その後の政権交代を経てUMNOが与党に復帰すると、裁判手続きを経てナジブ氏以外への訴追が取り下げられたほか、政府も米金融会社との和解に応じるなど、事件をナジブ氏個人の問題への矮小化する動きもみられた。他方、判決は一貫してナジブ氏の有罪が示されるなど、司法の独立性は担保されてきたほか、今回最高裁も同様の判断を下したことにより、司法の独立性は確保されたと捉えられる。なお、この判決を受けてナジブ氏の有罪が確定するとともに、次期総選挙に出馬することが不可能となる上、ナジブ氏を巡っては今回の判決を通じて有罪が確定した罪以外にも1MDBに関連する計35の罪で起訴されており、仮に有罪判決が続く事態となれば収監期間や罰金額が大幅に膨れ上がる可能性がある。ただし、上述のようにナジブ氏が陣頭指揮を取った地方選で与党連合が圧勝を果たすなど国民からの人気は依然高いとみられるなか、有罪確定により次期総選挙への出馬は不可能となったものの、国王からの恩赦による釈放などを通じて政界復帰を模索する可能性は高いと見込まれる。また、昨年の同国経済はコロナ禍の影響が色濃く残る展開が続いたため、イスマイルサブリ首相にとっても前倒しで次期総選挙を実施する妙味が低かったとみられる。しかし、年明け以降は感染再拡大による悪影響が懸念されたものの、ワクチン接種の進展も追い風に経済活動の正常化を優先させているほか、国境再開など『ポスト・コロナ』に向けた動きが前進しており、4-6月の実質GDP成長率も前期比年率+14.66%と3四半期連続の二桁プラス成長が続くなど景気は底入れしており、実質GDPの水準もコロナ禍前を上回るなどコロナ禍を克服している(注6)。こうしたなか、報道によるとイスマイルサブリ首相が景気の先行き不透明感を理由に、年内にも次期総選挙を行う可能性を示唆する動きをみせている模様である。代議院は任期満了まで残すところ1年を切るなかで与野党はすでに次期総選挙を見据えた動きを強めており、代議院の解散権は首相の助言に基づく形で国王が決定するなど事実上首相が有するなか、その判断に注目が集まっている。先行きの景気を巡っては、外需面では中国による『ゼロ・コロナ』戦略への拘泥に加えて米国経済の減速懸念が足かせとなり得る上、内需面では商品市況の上振れによる物価上昇に加え、国際金融市場における通貨リンギ安は輸入物価を通じてインフレを一段と昂進させる懸念もくすぶるなど、内・外需双方で下押しに繋がる材料は山積している。その意味では、仮にすぐ次期総選挙が実施されればイスマイルサブリ政権及び与党連合の追い風となる材料は多いとみられる一方、その時期によっては一変する可能性も予想されるなど、神経戦の様相を呈すると見込まれる。一方、野党ではマハティール元首相(祖国闘士党(プンジュアン))やアンワル元副首相(希望連合(PH))が捲土重来を期す動きをみせているほか、与党連合内でもムヒディン前首相が率いるマレーシア統一プリブミ党(PPBM)も党勢拡大を目指す動きをみせており、与野党を問わず政局の動きが激化すると考えられる。

図表1
図表1

図表2
図表2

以 上

西濵 徹


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西濵 徹

にしはま とおる

経済調査部 主席エコノミスト
担当: アジア、中東、アフリカ、ロシア、中南米など新興国のマクロ経済・政治分析

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