アルゼンチン・ミレイ政権が始動、「初手」はショック療法から

~宣言通りの「ショック的」な手法を矢継ぎ早に打ち出す、壮大な社会実験の行方が注目される~

西濵 徹

要旨
  • アルゼンチンでは今月、先月の大統領選で勝利したミレイ氏が大統領に正式に就任した。リバタリアンを標ぼうする同氏は経済のドル化、中銀廃止など極端な政策を公約に掲げるなか、その動向に国内外から注目が集まる。これらの政策実現は技術的、政治的(法律的)にハードルが高いと見込まれる一方、議会対策面では友党を併せて多数派を形成するなど、比較的安定した政策の滑り出しを図ることが期待される。
  • なお、ミレイ氏は経済政策を巡って「ショック的な手法」を用いる考えを示すなか、すでにショック療法的な構造改革を目指した大統領令の公布に動いている。歳出削減や省庁再編、ペソ相場の大幅切り下げや政策金利変更、幅広い規制緩和などを矢継ぎ早に打ち出している。議会手続きを経ないやり方に問題を呈する向きがある一方、金融市場は構造改革への期待の方が上回っている模様である。ただし、当面はインフレのさらなる昂進も予想されるなか、壮大な社会実験の行方には世界的に注目が集まることになろう。

アルゼンチンでは今月、先月の大統領選で勝利した右派ポピュリスト政党の自由の前進から出馬したハビエル・ミレイ氏が大統領に正式に就任した(注 )。ミレイ氏は元々、リバタリアン(自由至上主義)を標ぼうする経済学者であり、金融機関などでエコノミストとして勤めた後、2010年代以降はテレビ番組のコメンテータとして国民の間で知名度を上げた経歴を有する。2021年の議会選を前に右派ポピュリスト政党である自由の前進に参画して下院議員に初当選するなど政治キャリアは極めて浅い一方、『型破り』とされる政治スタイルや極端な主義主張にも拘らず、高い知名度を追い風に国民に浸透を図ってきた。一方、ミレイ氏は選挙公約に経済危機にあえぐ同国経済の立て直しの『奇策』として通貨ペソ廃止による経済のドル化と中銀廃止といった、その実現性や有効性に疑義が生まれる政策を打ち出した。経済のドル化については、ここ数年の同国は通貨ペソへの信認が大きく失墜するなかで物価高が収まらない展開が続いている上、公定レートと非公式レートの乖離が主力の輸出財である農産品や鉱物資源の輸出意欲を減退させているほか、海外からの投資受け入れの足かせとなるなか、その『突破口』となることにより経済の立て直しを目指しているものと理解できる。ただし、ここ数年の景気低迷や商品市況の低迷に加え、国民の間でもペソへの信認が低下するなかで事実上の資金逃避の動きが活発化していることも追い風に、先月末時点における外貨準備高は168億ドルに留まり、仮に経済の米ドル化を標ぼうしても充分な資金供給を行うことが出来ない状況にある。また、外貨準備高の水準はIMF(国際通貨基金)が国際金融市場の動揺への耐性の有無を示す基準とするARA(適正水準評価)に照らして過去数年に亘って「適正水準(100~150%)」とされる規模を大きく下回る推移が続いてきたものの、足下における減少の動きを反映すれば一段と厳しい状況にあることが示唆される。こうしたなかで『最後の貸し手』の役割を担う中銀を廃止することは、仮に国際金融市場の動揺を受けて同国金融市場にも悪影響が波及した場合における対応を事実上放棄するに等しく、事態収拾もままならない状況に陥る可能性も考えられる。他方、こうした奇策の実現には憲法改正など法的な手続きが必要であり、議会上下院双方で自由の前進をはじめとする与党連立は少数派に留まることが足かせになることが懸念された。しかし、現状は中道右派陣営などが与党連立には加わらないとしつつ『友党』となる形が採られるなど、辛うじて多数派を形成することに成功しており、政権運営に当たって盤石とは言えないまでも比較的安定した滑り出しが期待される状況にある。

図1
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他方、ミレイ氏は財政健全化を目的に公共支出の大幅削減のほか、国営企業の民営化による公的部門の縮小も公約に掲げており、緊急の大統領令による省庁改編を実施して18あった省を9つに統廃合するとともに、これに伴い閣僚数も9つに大きく減らしている。また、ミレイ新大統領は就任に際して「漸進的な構造調整ではなく、ショック的な調整こそが必要」と述べるなど大胆な政策運営を志向する姿勢をみせたものの、経済政策を担うカプト経済相は10個の柱からなる政策を公表している。具体的には、①連邦政府による締結後1年未満の有期雇用契約の未更新(前政権関係者による既得権益の破棄)、②政府広告の1年間停止、③省庁削減(管理職や政治任用ポストの削減)、④連邦政府による州政府への自由裁量交付金の縮小、⑤連邦政府による公共事業の新規入札中止、⑥エネルギー・公共交通機関関連の補助金削減、⑦職業訓練と補助金給付による雇用支援を維持しつつ、貧困世帯向け支援を直接給付に限定、⑧公定レートの大幅切り下げ(1ドル=800ペソ)、⑨輸入手続きの透明性向上、⑩貧困世帯向け支援の強化(支給額の5割増)、といった政策を通じて歳出削減に取り組むとしている。さらに、カプト経済相の盟友であるバウシリ氏が新総裁に就任した中銀も政策金利を28日物中銀債(Leliq)金利から翌日物リバースレポ金利に変更することで政策運営の透明性を高める姿勢をみせる一方、この変更に伴い政策金利は100%に引き下げられた。その一方、資本取引規制や上述のペソ相場の大幅切り下げに伴い輸入代金の支払いが出来ない事態に陥っている輸入業者を対象にドル建の中銀債発行により、事実上の民間債務の国有化で事態打開を図る方針を示している。

図2
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また、ミレイ大統領も経済改革を目的とする300項目を超える法改正を定めた大統領令を公布しており、不動産関連やサプライチェーン、国有企業、労働法制、関税、農業・鉱業・エネルギー関連、航空関連、商慣習、通信、観光関連など幅広い分野の規制緩和に取り組む方針を明らかにするなど、2018年のペソ・ショックやコロナ禍を経て疲弊状態が続く経済の立て直しを優先させる取り組みをみせる。なお、ミレイ政権による一連の政策運営を巡っては、すべての大統領令が議会手続きを経ずに公布されていることへの疑問を呈する向きがみられる一方、金融市場においては主要株価指数(メルバル指数)が上昇ペースを強める動きをみせるなど、経済改革への期待が上回る状況が続いている。ただし、今後は補助金削減に伴うエネルギー価格や公共交通機関の料金引き上げのほか、通貨ペソ相場の大幅切り下げに伴う輸入インフレ、貧困世帯向け支援の拡充なども重なり、足下で100%を大きく上回る推移が続くインフレがさらに上振れすることも予想されるほか、そのことが国民生活やマクロ経済に悪影響を与える事態も懸念される。ミレイ政権による経済政策は宣言通りの『ショック療法』からスタートしているものの、こうした対応が奏功するか否かを判断するには少々時間を要することは避けられない一方、同国経済が直面する問題や国民の4割が貧困状態に陥っていることを勘案すれば、時間を掛ける余裕はないのも事実であろう。その意味では、ミレイ政権が打ち出す『壮大な社会実験』の行方は他の困難に直面する国々にとってもその行方が気になるところになることは間違いない。

図3
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図4
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以 上

西濵 徹


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西濵 徹

にしはま とおる

経済調査部 主席エコノミスト
担当: アジア、中東、アフリカ、ロシア、中南米など新興国のマクロ経済・政治分析

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