フィリピン経済はようやく「コロナ禍前」に、経済成長率も目標クリアが射程に

~先行きは物価高と金利高の共存、世界経済の減速懸念など国内外で不透明要因が山積となる懸念~

西濵 徹

要旨
  • 世界経済はスタグフレーションに陥る懸念が高まっている。一方、米FRBなどのタカ派傾斜は新興国で資金流出を招くなか、商品高による経常赤字の拡大や物価高に直面するフィリピンも資金流出に直面する。資金流出に伴うペソ安阻止に向け中銀は大幅利上げを実施したが、足下のインフレ率は中銀目標を大きく上回る推移が続く。米ドル高の一服によりペソ安圧力は後退したが、一段の利上げを迫られる懸念はくすぶる。
  • 物価高と金利高の共存は景気のけん引役である家計消費など内需への悪影響が懸念されるが、7-9月の実質GDP成長率は前期比年率+12.33%と堅調な推移を維持した。実質GDPの水準はコロナ禍前を回復しており、国境再開やペソ安は外需を押し上げるとともに、移民送金の堅調さは家計消費を下支えしている。一方、金利高は設備投資や不動産投資に冷や水を浴びせるなど内需の動きに跛行色がうかがえる。結果、輸出が輸入を上回るペースで拡大して純輸出の成長率寄与度がプラスに転じたことも景気を押し上げた。
  • 先行きは国境再開など行動制限の緩和による経済活動の活発化、マルコス政権によるインフラ投資拡充の動きも景気を押し上げると期待されるが、物価高と金利高の共存や世界経済の減速懸念は景気の足を引っ張ると懸念される。今年の経済成長率は政府目標(6.5~7.5%)のクリアが射程に入る一方、来年については国内外で景気の下押しに繋がる材料が山積するなど、不透明感が高まることは避けられそうにない。

足下の世界経済を巡っては、中国当局による『動態ゼロコロナ』戦略への拘泥が行動制限を通じて中国経済の足かせとなっている上、サプライチェーンの混乱により中国経済との連動性が高いアジア新興国をはじめとする国々に悪影響が伝播する動きがみられる。さらに、ウクライナ情勢の悪化による供給懸念を受けた幅広い商品市況の上振れは世界的なインフレを招くなか、米FRB(連邦準備制度理事会)など主要国中銀はタカ派傾斜を強めており、物価高と金利高の共存はコロナ禍からの回復が進んだ欧米などの景気に冷や水を浴びせる兆候がうかがえる。結果、世界経済はスタグフレーションに陥る可能性が急速に高まっている。その一方、米FRBなどによるタカ派傾斜の動きは世界的なマネーフローに影響を与えており、経済のファンダメンタルズ(基礎的条件)の脆弱な新興国を中心に資金流出が強まる動きがみられる。フィリピンにおいては、商品高による輸入増を受けて経常赤字は拡大幅が拡大するなど対外収支が悪化している上、一昨年来のコロナ禍対応を目的とする歳出増を理由に財政状況も悪化するなか、商品高を受けた食料品やエネルギーなど生活必需品を中心とするインフレに直面するなど、経済のファンダメンタルズは脆弱さを増している。他方、同国経済を巡ってはコロナ禍からの回復が周辺のASEAN(東南アジア諸国連合)諸国と比べて遅れたことに加え、今年は5月に6年に一度の正副大統領選が実施されるなど『政治の季節』が近付いたことも重なり、中銀は年明け以降も金融緩和による景気下支えを優先させる姿勢をみせてきた。しかし、商品高によりインフレが上振れするなか、米FRBなどのタカ派傾斜による資金流出を受けた通貨ペソ安は輸入物価を通じて一段のインフレ昂進を招く懸念が高まったため、中銀は5月に3年半ぶりとなる利上げ実施に踏み切るなど政策転換を余儀なくされた。中銀は物価及び為替の安定を目的に6月も漸進的な利上げに動くも、米FRBなどとの『タカ派度合い』の違いを理由に資金流出は一段と加速したため、中銀は政権交代に伴う新体制発足直後の7月に緊急での大幅利上げに動いたほか(注1)、その後もペソ安圧力が収束しないなかで8月(注2)、及び9月(注3)と立て続けの大幅利上げを余儀なくされるなど対応に苦慮する事態に直面してきた。ただし、直近10月のインフレ率は前年比+7.7%と2008年12月以来の高い伸びとなっているほか、ペソ安による輸入物価の押し上げに加え、感染一服による経済活動の正常化も追い風にコアインフレ率も同+5.9%に加速するなど、ともに中銀の定めるインフレ目標(2~4%)を上回る推移が続いている。なお、ペソ相場を巡っては先月末以降、中銀のメダリャ総裁が米FRBに追随する形での大幅利上げに含みを持たせるとともに、その後も物価抑制の観点から積極的な利上げの必要性に言及したほか、ペソ相場の安定に向けて内外金利差を維持することが不可欠と述べるなど、今月17日の定例会合での大幅利上げを示唆する動きをみせている。結果、足下においては米ドル高圧力の後退も重なりペソ安の動きに一服感が出ているものの、ペソ相場は依然最安値圏で推移するなど輸入物価への悪影響はくすぶる。よって、同国においても物価高と金利高の共存が景気に冷や水を浴びせる可能性は高まりつつあると判断出来る。

図表1
図表1

図表2
図表2

図表3
図表3

なお、上述のようにフィリピン経済は周辺のASEAN諸国と比較してコロナ禍からの景気回復が遅れてきたほか、物価高と金利高の共存は経済成長のけん引役である家計消費をはじめとする内需に悪影響を与えることが懸念される。さらに、足下では世界経済、なかでも最大の輸出相手である中国経済の減速は外需の足かせとなることが懸念されており、4-6月は前期比年率ベースで▲0.46%(改定値)と8四半期ぶりにわずかながらマイナス成長となるなど景気にブレーキが掛かる動きがみられたことから(注4)、内外需双方に対する下押し圧力が増すことも考えられる。こうした状況ながら、7-9月の実質GDP成長率は前期比年率+12.33%と2四半期ぶりのプラス成長に転じるとともに、3四半期ぶりの二桁%成長となるなど大幅に拡大している上、中期的な基調を示す前年同期比ベースの成長率も+7.6%と前期(同+7.5%(改定値))から伸びが加速するなど、景気の底入れが進んでいる。実質GDPの水準もコロナ禍の影響が及ぶ直前である2019年末時点と比較して+2.7%上回るなど、同国経済はマクロ面でようやくコロナ禍の影響を克服したと捉えられる。国境再開の動きに加えてペソ安の進展も追い風に外国人観光客は堅調に底入れの動きを強めているほか、世界経済の減速懸念を強めているにも拘らずペソ安による価格競争力の向上の動きは財輸出を押し上げており、財・サービスの両面で輸出が景気の底入れを促している。また、前期においてはGDPの1割に相当する海外移民労働者からの送金が頭打ちの動きを強めたほか、物価高と金利高の共存により実質購買力に下押し圧力が掛かったことも重なり家計消費は下振れした。しかし、足下では物価高と金利高の共存による影響は一段と強まる一方、米国における雇用の堅調さや商品市況の底堅さを追い風に流入額は堅調な推移をみせており、家計消費は再び大きく押し上げられて景気の底入れを促している。一方、政権交代直後のタイミングが重なったことでインフラ関連などの公共投資の進捗が大きく後退したほか、政府消費の動きにも一服感が出ている。また、中銀による相次ぐ大幅利上げを受けて企業部門による設備投資意欲に冷や水を浴びせる格好となったほか、不動産投資が手控えられた動きも影響して総じて固定資本投資に大きく下押し圧力が掛かった。結果、輸入の拡大ペースは輸出を下回る水準に留まったことで、純輸出の成長率寄与度が前期比年率ベースで3四半期ぶりのプラスに転じたことも成長率の押し上げに繋がっている。

図表4
図表4

図表5
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図表6
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先行きについては、国境再開をはじめとする行動制限の一段の緩和を受けて外国人観光客数の底入れに加え、幅広い経済活動の活発化が進むことが期待される。さらに、6月に発足したマルコス(フェルディナンド・マルコス・ジュニア)政権はドゥテルテ前政権が主導したインフラ投資計画(ビルド・ビルド・ビルド)を受け継ぐとともにその拡充を図る方針をみせており、その進捗は固定資本投資を押し上げるとともに景気下支えに資すると見込まれる。一方、上述のように世界経済はスタグフレーションの懸念を強めており、堅調な推移が続いた海外移民送金の下振れを招くことが懸念されるほか、物価高に加え、中銀は先行きも一段の金融引き締めを示唆するなど実質購買力の下押しに繋がるなど家計消費の逆風となることが懸念される。また、世界経済の減速は財輸出の重石となるとともに、周辺国と比較してインフラ不足が慢性化するなかで金利上昇も相俟って企業部門による設備投資が手控えられることも予想されるなど、先行きの景気の足を引っ張ることも考えられる。今年の経済成長率は9月までの時点で+7.7%となるなど、同国政府が掲げる成長率目標(6.5~7.5%)を上回る水準にあることを勘案すれば、通年ベースでも目標をクリア出来る可能性は高まっている。一方、経済活動の正常化の動きが足下におけるインフレ昂進の一因となっていることを勘案すれば、先行きもしばらくインフレが一段と加速の度合いを強めることも予想され、結果的に中銀は物価安定を目的に大幅な金融引き締めを余儀なくされる可能性がある。来年以降は世界経済の減速も懸念されるなか、同国経済を取り巻く状況は国内外双方で不透明感が増すことは避けられそうにない。

以 上

西濵 徹


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西濵 徹

にしはま とおる

経済調査部 主席エコノミスト
担当: アジア、中東、アフリカ、ロシア、中南米など新興国のマクロ経済・政治分析

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