フィリピン、物価高に加え、海外経済の不透明感で景気に急ブレーキ

~4-6月は前期比年率▲0.46%と8四半期ぶりのマイナス成長、先行きも課題山積の状況が続く~

西濵 徹

要旨
  • フィリピンでは6月にマルコス新政権が発足した。政権内では主導権争いが表面化する動きがみられる一方、経済政策はテクノクラートが主導するなど穏当な政策運営が期待される。他方、商品高による物価高が顕在化するなかで中銀は5月以降小幅利上げに動くも、金融市場環境の変化に伴うペソ安が進むなか、政権交代に伴い就任した中銀のメダリャ新総裁は緊急大幅利上げに動いた。ペソ相場は落ち着きを取り戻したが、物価高と金利高の共存は経済成長のけん引役である家計消費に悪影響を与えることは必至である。
  • 同国経済はASEANなど周辺国と比較してコロナ禍からの回復が遅れるなか、足下では物価高と金利高の共存に加え、中国などの景気減速懸念が外需の足かせとなることが懸念された。4-6月の実質GDP成長率は前期比年率▲0.46%と8四半期ぶりのマイナス成長となるなど景気に急ブレーキが掛かった。財輸出の低迷に加え、移民送金の鈍化や物価高による実質購買力の下押しが家計消費の重石となる一方、公共投資の進捗が固定資本投資を押し上げており、足下の景気は公的需要に依存している。実質GDPの水準もコロナ禍の影響が及ぶ直前を引き続き下回るなど、同国経済は依然コロナ禍の真っ只中と捉えられる。
  • 先行きは物価高と金利高の共存に加え、世界経済の減速懸念が景気の重石となることは避けられない。政府は今年の成長率目標を+6.5~7.5%とするなか、年前半はこれを上回るなどハードルは高くないが、内・外需双方で下押しに繋がる材料が山積しており、最終的には目標の下限に近付く可能性は高いと見込まれる。

フィリピンでは6月、5月に実施された大統領選及び副大統領選において圧勝を果たしたフェルディナンド・マルコス・ジュニア(ボンボン・マルコス)氏、サラ・ドゥテルテ=カルピオ氏がそれぞれ就任して正式に政権が発足した。ただし、選挙ではタッグを組んだ両氏だが、サラ氏は自身の選挙地盤である同国南部のダバオ市で別に就任式を開催するとともに、政権運営を巡って主導権争いが激化する動きがみられるなど早々から鍔迫り合いが表面化する動きがみられた(注1)。なお、マルコス氏は大統領選に際して政策綱領を公表しないなど政策運営の不透明感が懸念されたものの、経済政策を担う担当閣僚にはドゥテルテ政権で経済政策を担ったテクノクラートが据えられており、極めて穏当な政策運営が行われるほか、ドゥテルテ前政権の路線を継承することが期待される。ただし、同国経済は一昨年来のコロナ禍からの回復の動きがASEAN(東南アジア諸国連合)諸国のなかでも比較的遅れるなか、幅広い国際商品市況の上振れを理由とする生活必需品を中心とする物価上昇を受けてインフレ率は加速しており、経済成長のけん引役である家計消費など内需を取り巻く状況は厳しさを増している。よって、中銀は5月に3年半ぶりの利上げ実施に舵を切ったほか(注2)、6月の定例会合でも追加利上げに動いたものの(注3)、中銀は利上げによる景気への悪影響を警戒して小幅利上げに留める対応を続けた。他方、国際金融市場においては米FRB(連邦準備制度理事会)など主要国中銀のタカ派傾斜を受けて世界的なマネーフローが変化しており、経済のファンダメンタルズ(基礎的条件)の脆弱な新興国で資金流出圧力が強まることが懸念される。同国は経常赤字と財政赤字の『双子の赤字』に加え、上述のようにインフレも顕在化するなどファンダメンタルズは脆弱さの度合いを強めており、中銀によるタカ派の度合いの違いも影響して通貨ペソ相場は約17年ぶりの水準に調整するなど厳しい状況に直面した。こうした事態を受けて、6月末の新政権発足と同時に中銀総裁に就任したメダリャ氏は先月14日に緊急会合を招集するとともに、75bpもの大幅利上げの実施を決定するなど物価及び為替の安定を目的にタカ派姿勢を強める姿勢を示した(注4)。ただし、こうした中銀によるタカ派傾斜を受けてその後のペソ相場は一転頭打ちする動きをみせており、中銀の緊急利上げ実施は一定の効果を挙げていると捉えられる一方、物価高と金利高の共存は家計消費など内需の足かせとなることが懸念されるなど、同国経済は難しい状況に直面している。

図 1 インフレ率の推移
図 1 インフレ率の推移

図 2 ペソ相場(対ドル)の推移
図 2 ペソ相場(対ドル)の推移

同国経済を巡っては、家計消費をはじめとする内需が経済成長のけん引役となるなか、度々感染拡大に直面するとともに行動制限を余儀なくされたこともあり、ASEAN諸国やアジア新興国などと比較してその回復の度合いは遅れてきた。こうした状況に加え、その後は上述のようにインフレが顕在化するとともに、中銀も小幅ながら繰り返し利上げを実施するなど家計消費を取り巻く状況は厳しさを増す動きがみられた。一方、年明け直後にかけては感染力の高い変異株による新型コロナウイルスの感染再拡大による悪影響が懸念されたものの、比較的早期に感染収束が進むとともに、外国人観光客の受け入れ再開に動くなどサービス輸出の回復が期待された。ただし、最大の輸出相手である中国においては当局による『ゼロ・コロナ』戦略への拘泥が中国国内・外においてサプライチェーンの混乱を招くなど財輸出の重石となることが懸念されるなど、外需を取り巻く環境に好悪双方の材料が混在する動きがみられた。こうしたなか、4-6月の実質GDP成長率は前期比年率▲0.46%と前期(同+6.05%)から8四半期ぶりのマイナス成長に転じるなど、景気回復の動きに一服感が出ている様子が確認されている。中期的な基調を示す前年同期比ベースの成長率も+7.4%と前期(同+8.2%)から伸びが鈍化しており、底入れの動きを強めてきた景気が一転して頭打ちの様相を強めている。外国人観光客の堅調な流入を反映してサービス輸出は拡大が続く一方、中国経済の減速などが重石となり財輸出に大きく下押し圧力が掛かっているほか、外需を巡る不透明感を理由に企業部門の設備投資意欲は乏しい状況が続いている。さらに、感染一服による行動制限の緩和を受けたペントアップ・ディマンドの発現が一巡したことに加え、米国経済の減速懸念の高まりを受けてGDPの1割に相当する海外移民労働者からの送金が頭打ちするなか、物価高と金利高の共存により実質購買力に下押し圧力が掛かっていることを反映して家計消費は下振れしている。他方、大統領・副大統領選の実施に伴う政府消費の押し上げに加え、ドゥテルテ前政権が主導したインフラ投資計画(ビルド・ビルド・ビルド)の進捗などを反映して建設関連を中心に固定資本投資も押し上げられるなど、足下の景気は公的需要に大きく依存していると捉えられる。また、分野別では農林漁業関連の生産は堅調な動きをみせる一方、財輸出の低迷を反映して製造業の生産は急速に鈍化しているほか、家計消費の下振れを受けてサービス業の生産は減少に転じており、景気に急ブレーキが掛かっている。さらに、実質GDPの水準はコロナ禍の影響が及ぶ直前の2019年末時点と比較して▲0.34%下回るなど、同国経済は依然コロナ禍の影響を脱する状況が出来ていないと捉えられる。

図 3 実質 GDP 成長率(前期比年率)の推移
図 3 実質 GDP 成長率(前期比年率)の推移

図 4 海外移民による送金流入額の推移
図 4 海外移民による送金流入額の推移

先行きについては物価高と金利高の共存に加え、コロナ禍からの世界経済の回復をけん引した欧米など主要国経済に不透明感が高まっている上、中国経済を巡っても引き続き当局のゼロ・コロナ戦略への拘泥が足かせとなる可能性がくすぶるなど、内・外需双方で下押し圧力に繋がる動きが山積している。マルコス大統領は異例となる農相の兼任により、同国経済にとって喫緊の課題となっているインフレ抑制に向けた政策を主導する姿勢をみせているものの、その元凶の一端となっているウクライナ問題を巡る動きは見通しが立たない状況にある上、異常気象の頻発に伴い多くの国で農業生産に悪影響が出るなどの動きもみられるなか、物価安定に道筋を付けられるかは見通しが立ちにくい。米国など主要国で景気減速懸念が高まることは移民送金の重石となるとともに、家計消費の動向に直結することで物価高と金利高の共存と相俟って家計消費の足かせとなることは避けられそうにない。政府は今年の経済成長率目標を+6.5~7.5%とするなか、今年前半時点における成長率は+7.7%とこれを上回るなどハードルは決して高くないと判断出来るものの、不透明要因が山積している状況を勘案すれば下限に近付く可能性に留意する必要があろう。

以 上

西濵 徹


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西濵 徹

にしはま とおる

経済調査部 主席エコノミスト
担当: アジア、中東、アフリカ、ロシア、中南米など新興国のマクロ経済・政治分析

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