フィリピン、ASEANでもワクチン接種の遅れが際立つ状況が続く

~ワクチンを巡り中国に配慮せざるを得ない一方、過度な「忖度」は状況一変を招くリスクも~

西濵 徹

要旨
  • 足下の世界経済は、主要国で感染一服やワクチン接種による景気回復期待の一方、新興国では感染再拡大による行動制限が景気に冷や水を浴びせるなど好悪双方の材料が混在する。フィリピンでは年明け以降に感染が再拡大して行動制限が再強化された結果、足下では新規陽性者数は鈍化している。ただし、地方部に感染拡大の動きがくすぶるほか、ワクチン接種は周辺国に比べても大きく遅れている。ドゥテルテ大統領は「脅し」を駆使して接種加速を目論むが、供給不足が続くなかでは早期の事態打開は難しい状況にある。
  • 来年5月に次期大統領選が行われるなど「政治の季節」が近付くなか、ドゥテルテ大統領は次期政権での影響力維持を模索する一方、その実現には早期の経済の立て直しが不可欠である。こうしたなか、27日に実施された現政権下で最後の施政方針演説では麻薬戦争を巡る成果を強調する一方、等距離外交を主張して経済面やワクチン確保で依存を強める中国に「配慮」するなど難しい立場をみせた。次期大統領選では与党内でも反発の動きが出ており、経済の立て直しが遅れれば立場が一変するリスクも孕んでいると言えよう

足下の世界経済を巡っては、米欧や中国といった主要国での新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)の感染一服に加え、ワクチン接種の進展を受けて経済活動の正常化が進むなど景気回復の追い風となる動きが進む一方、アジアを中心とする新興国や一部の先進国では感染力の強い変異株による感染再拡大を受けて行動制限が再強化されるなど景気に冷や水を浴びせる動きもみられるなど、好悪双方の材料が混在している。フィリピンにおいては、年明け以降に変異株による感染が再拡大する『第2波』が直撃したため、政府は行動制限の再強化を通じて感染封じ込めを図る姿勢を強めた結果、1日当たりの新規陽性者数は4月初旬を境に頭打ちするなど事態収束に向けた動きが前進している。なお、ASEAN(東南アジア諸国連合)ではマレーシア(注1)のほか、インドネシア(注2)、タイ(注3)と相次いで感染爆発に見舞われる動きが広がりをみせるなど、足下においては感染拡大の中心地となっているが、フィリピンについては『第2波』を巡る最悪期を過ぎつつあると捉えられる。ただし、足下における新規陽性者数の鈍化は首都マニラを中心とする都市部における鈍化の動きが影響している一方、地方においては感染拡大の動きがくすぶっており、医療インフラが脆弱な地方での感染拡大を受けて死亡者数は拡大傾向を強める展開が続くなど、依然として新型コロナ禍の克服に時間を要する状況にあると判断出来る。なお、主要国においてはワクチン接種の広がりが感染鈍化や経済活動の正常化による景気回復を後押しすることに繋がるなか、政府は国際的なワクチン供給スキーム(COVAX)のみならず、いわゆる『ワクチン外交』を積極化させている中国からの寄付などを通じて調達を活発化させており、年内に最大で7,000万人の国民に対するワクチン接種の実現を目指しており、ドゥテルテ大統領は先月のテレビ演説において『超法規的措置』を通じた事実上の強制接種に動く可能性をほのめかした(注4)。なお、同国で接種されているワクチンの約6割は中国製ワクチンが占める一方、世界的にワクチンの獲得競争が激化するなど調達に手間取るなど供給不足に陥っていることもあり、今月27時点における完全接種率(必要な接種回数をすべて受けた人の割合)は5.76%に留まっており、部分接種率(少なくとも1回は接種を受けた人の割合)も10.22%に留まるなど世界平均(それぞれ13.89%、27.36%)を大きく下回る。さらに、部分接種率についてはASEANの主要6ヶ国のなかでベトナムに次いで低い水準に留まるなど、地域のなかでもワクチン接種が遅れていることは明らかである。ドゥテルテ大統領による『脅し』も影響して、足下ではワクチン接種率は加速する動きがみられるものの、世界的に供給不足が続いていることを勘案すれば、早期に事態打開が進む可能性は極めて低いと捉えられる。

図表
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なお、フィリピンでは来年5月に次期大統領選の実施が予定されており、ドゥテルテ大統領の任期も1年を切るなど『政治の季節』が近付いている一方、現行憲法では現職のドゥテルテ氏の任期は1期までとされており次期大統領選に出馬することは出来ない。ただし、同国の大統領選では別に副大統領選が実施される特殊な制度が採られるなか、ドゥテルテ氏は副大統領選に出馬することが可能な一方、現在同国南部のダバオ市長を務めるドゥテルテ氏の長女(サラ・ドゥテルテ氏)が大統領選に出馬することで、ドゥテルテ氏が次期政権においても影響力を維持するとの見方が根強くある。直近の世論調査などでは、次期大統領選における有力候補者としてサラ氏の名前が挙がるなど、ドゥテルテ氏の支持者を中心に『サラ待望論』が強まっていることもこうした見方を後押ししている。他方、同国ではマルコス元大統領による長期独裁政権の下で大統領の血縁者や近親者が政財界を牛耳る「クローニー資本主義」が蔓延し、結果的に同国経済は長期に亘って低迷するなど『アジアの病人』と呼ばれるに至った経緯もあり、こうした動きに対する警戒感は根強い。いずれにせよドゥテルテ氏が次期政権への影響力を維持するためには、次期大統領選及び副大統領選においてそれぞれサラ氏及びドゥテルテ氏が勝利する必要があるなか、新型コロナ禍を経て著しく疲弊した同国経済の立て直しが急務となっている。こうしたなか、27日にドゥテルテ政権下で最後となる施政方針演説が行われ、これまでの政権運営を巡って自身が主導した麻薬撲滅作戦(麻薬戦争)の効果を評価しつつ「麻薬蔓延との戦いの道のりは長い」と述べて今後も継続する考えをみせるなど、人権団体の申し立てにより国際刑事裁判所が調査を開始している動きに対し反発する姿勢をみせた。他方、上述のように経済の立て直しが急務となるなか、「政府は新型コロナ禍の前の経済の活気を再び得られるべく民間企業の支援を約束する」と述べた上で、「経済的な『出血』を回避するにはさらなる都市封鎖を行う余裕はない」との考えを示す一方、周辺国で変異株による感染再拡大の動きが広がるなかで一段の行動規制に動く可能性も排除していない。また、外交面でドゥテルテ大統領はワクチン確保なども影響して中国に対する『配慮』をみせる動きもみられるなか、「フィリピンが大国の陰で決断して行動を起こす日々は終わった」として「すべての国と協力して効果的な連携を模索する」と述べるなど『等距離外交』を主張した。一方、中国との間で対立する南シナ海問題を巡って国際仲裁裁判所が2016年に下したフィリピン政府の主張を認める判決に関して「仲裁判断は国際法の一部であり、妥協を超えたもの」との認識を示しつつ、「中国とは敵ではなく、友好的な関係を維持している」とした上で直接的な衝突回避を目指す姿勢をみせており、完全な『板挟み』状態に置かれていると言える。ただし、政権による中国に対する『忖度』を隠さない動きを巡っては国民の間にも反発が根強い上、ドゥテルテ大統領が所属する与党・PDPラバン内でも同党幹部で元ボクシングチャンピオンのパッキャオ上院議員が大統領選への出馬を模索するなど『ドゥテルテ王朝』の形成に反発する動きもみられる。国民の間では依然としてドゥテルテ大統領に対する人気は高いものの、経済の立て直しもままならない状況が続いており、事態打開に向けた道筋が描けない状況が長期化すれば環境が一変するリスクにも注意する必要であり、足下で調整の動きを強める金融市場を取り巻く状況も厳しさを増すであろう。

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西濵 徹


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西濵 徹

にしはま とおる

経済調査部 主席エコノミスト
担当: アジア、中東、アフリカ、ロシア、中南米など新興国のマクロ経済・政治分析

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