ベトナム、外需が景気をけん引も、内需を取り巻く状況は急速に悪化

~景気減速により政府・共産党への批判が強まれば、監視国家色が一段と強まるリスクに要注意~

西濵 徹

要旨
  • ベトナムは、昨年以降の新型コロナウイルスのパンデミックに際して、感染封じ込めに比較的成功するなど感染対策の「優等生」と称された。さらに、米中摩擦の漁夫の利を得る形で早期に景気回復を実現した。しかし、5月以降は変異株の流入による感染再拡大に直面しており、足下では感染動向も急速に悪化している。ワクチン接種も周辺国に比べて大きく遅れており、家計消費など内需を巡る環境に不透明感が高まっている。
  • 感染再拡大による景気への悪影響が懸念されたが、4-6月の実質GDP成長率は前年比+6.61%と底入れしている。世界経済の回復が外需を押し上げる一方、原油価格の底入れによる物価上昇や感染再拡大による行動制限の再強化は内需の下押し圧力となる対照的な動きがみられる。足下では企業マインドに大きく下押し圧力が掛かっている上、人の移動も鈍化するなど景気は減速が避けられなくなっている。政権は表面的に落ち着いているが、批判が強まる懸念もあり、監視国家色を強める新たなリスクにも要注意と言えよう。

ベトナムを巡っては、昨年以降の新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)のパンデミック(世界的大流行)に際して、当初の感染拡大の中心地となった中国と国境を接していることも影響して感染が拡大する事態に見舞われた。しかし、当局による感染封じ込めに向けた出入国制限のほか、主要都市を対象に都市封鎖(ロックダウン)を実施するなどの対応をみせた結果、昨年半ば以降は海外からの帰国者のみに感染が確認される一方、市中感染は抑えられるなど感染対策の『優等生』と見做されてきた。このように感染封じ込めが図られたことで経済活動の正常化が進んだことに加え、ここ数年に亘る米中摩擦の激化の背後でベトナムは中国に代わる生産拠点として注目を集めるなど『漁夫の利』を得るとともに、欧米や中国など主要国における感染一服やワクチン接種を受けた景気回復も追い風に外需を巡る環境も大きく改善した。結果、昨年は多くの国がマイナス成長に陥る事態に見舞われたにも拘らず、ベトナムの経済成長率は+2.91%とプラス成長を維持するとともに、実質GDPの水準も新型コロナ禍の影響が及ぶ直前を上回るなど克服していることも確認された(注1)。しかし、年明け以降はインドをはじめとするアジア新興国において感染力の強い変異株による感染再拡大の動きが広がりをみせるなか、5月にベトナムでも変異株の流入が確認されるとともに、その後は新規感染者数が拡大ペースを強めるなど、上述のように感染対策の『優等生』と呼ばれた状況は一変している(注2)。なお、足下では1日当たりの新規感染者数が1,000人を上回るなど拡大ペースが一段と加速している上、そうした動きに伴う医療インフラへの悪影響も影響して死亡者数も拡大傾向を強めるなど感染動向は急速に悪化している。足下における累計の感染者数は2万人強、死亡者数も100人弱に留まる上、人口100万人当たりの新規感染者数(7日間移動平均)も10人未満に留まるなど、ASEAN(東南アジア諸国連合)内で感染状況が急速に悪化しているマレーシア(注3)、インドネシア(注4)、タイ(注5)などと比較すれば依然として落ち着いていると捉えられる。他方、足下では欧米や中国など主要国を中心にワクチン接種が経済活動の正常化を後押しする動きがみられるものの、アジア新興国では総じてワクチン接種が遅れるなか、ベトナムは南シナ海問題を巡って中国と対立していることを受けて中国によるいわゆる『ワクチン外交』の対象外となってきたこともワクチン接種が遅れる一因となっている。こうしたことから日本政府はベトナムに対して無償供与しているほか、先月初めにはベトナム政府が中国製ワクチンの緊急使用に対する承認を行ったため、先月末には中国政府はベトナム国内在住の中国国民のほか、中国で働くないし勉強する計画のあるベトナム人、中国との国境付近に住むベトナム人を対象にワクチンを無償供与するなどの動きもみられる。ただし、今月6日時点における完全接種率(必要な接種回数をすべて受けた人の割合)は0.24%、部分接種率(少なくとも1回は接種を受けた人の割合)も3.79%と世界平均(それぞれ11.58%、24.48%)を大きく下回っており、集団免疫獲得の道のりは極めて遠く、家計消費をはじめとする内需の不透明要因となる状況が続くと見込まれる。

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年明け以降のベトナム経済を巡っては、世界経済の回復が外需の追い風になることが期待される一方、昨年半ば以降の国際原油価格の底入れなどを背景とするインフレ圧力の昂進が家計部門の実質購買力の下押し圧力となるなど、内需を取り巻く環境の悪化を受けて景気は踊り場を迎える展開をみせてきた。さらに、上述のように5月には変異株による感染再拡大を受けて行動制限が再強化される事態となったため、景気に冷や水を浴びせることが懸念されたものの、4-6月の実質GDP成長率は前年同期比+6.61%と前期(同+4.65%)を上回る伸びとなるなど景気の底入れが進んでいることが確認された。なお、当研究所が試算した季節調整値に基づく前期比年率ベースの成長率も2四半期ぶりのプラス成長に転じるなど底打ちしているものの、昨年後半は2四半期連続で二桁成長となるなど大きく底入れしてきたことを勘案すれば勢いに乏しい状況にある。また、分野別では農林漁業関連をはじめとする第1次産業の生産が拡大に転じたほか、世界経済の回復を追い風に輸出に押し上げ圧力が掛かっていることを反映して製造業をはじめとする第2次産業の生産は大きく拡大している一方、サービス業などの第3次産業の生産は低迷しており、感染再拡大を受けた行動制限の再強化に伴う内需への悪影響が景気の重石になっているとみられる。このように、足下のベトナム経済は比較的堅調な動きをみせているものの、外需の好調さが景気を押し上げる一方、内需を巡る状況は急速に悪化するなど対照的な状況にあると判断出来る。こうした状況を示唆するように、世界経済の回復による外需を取り巻く環境の改善は製造業の企業マインドを押し上げる動きに繋がってきたものの、足下では国内における感染状況の急激な悪化を受けてマインドは大きく悪化しており、好不況の分かれ目となる水準を下回るなど景気に急ブレーキが掛かっているとみられる。さらに、足下では行動制限の再強化を受けて人の移動に一段と下押し圧力が掛かる動きが確認されるなど、家計消費をはじめとする内需は鈍化しているとみられ、足下の感染動向が急速に悪化していることを勘案すれば、景気に対する不透明感が高まることは避けられない。同国では1月の共産党大会を経てチョン体制は異例の3期目に突入しており、政治情勢は表面的には安定しているものの、党内ではこれまで重視されてきた南北バランスが崩れるなど新たな軋轢が生じる動きもみられる(注6)。こうしたなか、新型コロナウイルス対策に手間取る展開が長引くとともに景気減速が顕在化する事態となれば、国民の間で政府及び共産党に対する不満が高まることが予想される。なお、近年の同国では当局がインターネット上の言論に対する監視の動きを強めるとともに、政府や共産党に対する批判を封じ込める動きなどもみられるなか、今後はそうした『陰の部分』が一段と強まることが懸念されるほか、海外からの批判に晒される可能性に注意する必要があろう。

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以 上

西濵 徹


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西濵 徹

にしはま とおる

経済調査部 主席エコノミスト
担当: アジア、中東、アフリカ、ロシア、中南米など新興国のマクロ経済・政治分析

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