景気足踏みからの再加速が期待されたベトナムに「変異株」の波到来

~ワクチン接種が極めて遅れるなか、その対応は現体制にも影響を与え得るなど注目される~

西濵 徹

要旨
  • ベトナム経済を巡っては、米中摩擦による「漁夫の利」に加え、世界経済の回復や国内での感染収束を受けた経済活動の正常化も相俟って、昨年の経済成長率はプラスを維持するなど新型コロナ禍の影響を克服している。ただし、年明け以降は外需の回復が続く一方、感染再拡大や物価上昇などの影響で内需に下押し圧力が掛かり足踏み状態に直面した。他方、その後は海外経済の回復の動きに加え、雇用の改善や感染鈍化などに伴い企業マインドは底入れするなど、景気は足踏み状態から再び加速感を強めることが期待された。
  • ただし、足下ではアジアで感染力の強い変異株による感染再拡大の動きが広がるなか、ベトナムでも今月に入って以降感染が再拡大する「第4波」が直撃している。部分的に行動制限を課す動きが広がるなか、人の移動に再び下押し圧力が掛かるなど景気は再び足踏み状態となる可能性が高まっている。23日の国会議員選では非党員や自薦候補の動向が注目されるなか、感染動向如何では「優等生」と評された現体制への批判が高まる可能性もある。ワクチン接種が遅れるなかで如何なる感染対策を打ち出すかも注目される。

ベトナム経済を巡っては、ここ数年の米中摩擦の激化による『漁夫の利』を得るとの期待に加え、昨年来の新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)のパンデミック(世界的大流行)に際して比較的早期の感染収束を受けて経済活動の正常化が図られるとともに、経済構造面でASEAN(東南アジア諸国連合)内でも輸出依存度が相対的に高いことで世界経済の回復の動きが景気の追い風となっている。結果、昨年の経済成長率は多くの国がマイナス成長を余儀なくされたにも拘らず、ベトナムは+2.91%とプラス成長を維持するとともに、10-12月の実質GDP成長率も前年同期比+4.48%と底入れの動きを強めるなど新型コロナ禍の影響を克服していることが鮮明となっている1 。年明け以降については、中国経済は踊り場を迎える一方、欧米など主要国においては感染収束が進んで景気の底入れが図られるなど、外需を取り巻く状況は一段と改善している一方、昨年後半以降における原油をはじめとする国際商品市況の底入れなどを反映してインフレ圧力が強まり、家計消費など内需に下押し圧力が掛かるなど内・外需を巡って対照的な動きがみられる。1-3月の実質GDP成長率は前年同期比+4.48%と前期と同じ伸びで推移しているものの、当研究所が試算した季節調整値に基づく前期比年率ベースの成長率は3四半期ぶりのマイナス成長に転じるなど、底入れの動きを強めてきたベトナム経済は早くも足踏み状態を迎えたと捉えることが出来る。内訳をみると、外需の堅調さを反映して製造業をはじめとする第2次産業で底堅い動きがみられる一方、家計消費など内需の鈍化を受けてサービス業など第3次産業の生産は減少に転じているほか、異常気象などの影響で農林漁業など第1次産業の生産にも下押し圧力が掛かるなど、外需が景気を下支えしている様子が鮮明になっている。なお、その後の経済指標の動きをみると、欧米をはじめとする主要国に加え、中国経済も堅調な動きをみせていることを追い風に外需は一段と底入れの動きを強めているほか、インフレ率の加速にも拘らず雇用・所得環境の改善を追い風に家計消費も底堅い動きをみせている上、政府及び中銀は財政及び金融政策を総動員して景気下支えを図っており、内需も底堅さがうかがえる。さらに、同国経済の堅調さに加え、上述のように新型コロナ禍をいち早く克服したことも相俟って対内直接投資が活発化する動きもみられるなか、製造業の企業マインドは一段と上昇しており、上述のように年明け以降のベトナム経済は足踏み状態が続いたものの再加速することが期待された。

図1 実質GDP成長率(前年比)の推移
図1 実質GDP成長率(前年比)の推移

図2 製造業PMIの推移
図2 製造業PMIの推移

ただし、足下ではインドにおいて感染力の強い変異株による感染再拡大の動きが広がりをみせるなか、同様の動きはASEAN周辺国にも及んでいる上、ベトナムにおいても今月に入って以降感染が再拡大する『第4波』が顕在化しており、新規感染者数は過去最大を更新するなど急速に状況が悪化している。なお、感染再拡大にも拘らず本日(5月24日)時点における累計の感染者数は依然として5000人強に留まっている上、死亡者数も42人と周辺国に比べれば感染状況は極めて低水準に抑えられており、感染爆発によって医療ひっ迫などが問題となっているインドなどと比較すれば極めて良好な状態にあると捉えられる。しかしながら、感染が急拡大していることを受けて、その中心地となっている北部では数ヶ所の工業団地に対して一時閉鎖が命じられるなど、部分的ながら経済活動を制約する動きが広がりをみせている。なお、感染が急拡大していることを受けて、年明け直後の『第3波』を受けて下押し圧力が掛かった状況からの底入れがみられた人の移動に再び下押し圧力が掛かるなど景気は足踏み状態を余儀なくされる可能性も高まっている。なお、同国では23日に5年に一度の国会議員選挙が実施されたが、投票に際しては検温やマスクの着用、社会的距離(ソーシャル・ディスタンス)規制の実施などを徹底する厳戒態勢が敷かれるなど物々しい動きがみられた。同国はベトナム共産党による一党支配が続くなか、国会議員選挙への立候補には共産党による事前審査をクリアする必要があるなど共産党が容認した候補のみが出馬出来る仕組みとなっている。よって、国会議員選挙を経ても共産党による一党支配が崩れる可能性は皆無である一方、近年は非党員や共産党及び政府組織などからの推薦を受けない『自薦候補』がわずかながら当選しており、国会内での議論が活発化するといった動きもみられる。今回の選挙では、定数500議席に対して868人が立候補しており、うち非党員は74人、自薦候補は9人が含まれており、非党員や自薦候補の動向が注目される。なお、上述のように共産党による一党独裁状態は揺るぎない状況が続いているものの、今年1月に開催された5年に一度の共産党大会ではチョン書記長が1976年の南北ベトナム統一以降で初めて3期目に突入したほか、いわゆる『トロイカ体制』を構成する国家主席、首相、国会議長人事を巡って北部と南部という出身地のバランスを採るバランスが崩れる動きもみられた2 。新型コロナ禍という未曽有の事態に対処する観点から体制維持を図るとともに、今後5年間の政策運営ではFTA(自由貿易協定)の促進や国営企業の民営化、対内直接投資(FDI)の活発な取り込みを通じて高成長を目指すなどの動きは一見望ましいものと捉えられる一方、党内人事を巡っては『ポスト・チョン』の行方に加え、南北対立といった新たな火種もくすぶるなど中長期的にみればリスクともなり得る。実のところ、ベトナムは南シナ海問題などに伴う中国との対立を理由に、中国による『ワクチン外交』の対象から外れており、22日時点における完全接種率(必要な回数をすべて接種した人の割合)は0.03%、部分接種率(少なくとも1回は接種した人の割合)も1.01%と極めて低いなど、ワクチン接種による早期の集団免疫の獲得は期待しにくい状況にある。感染動向の行方はこれまで世界的に『優等生』と評されてきた現体制の足下を揺るがす可能性も予想され、同国の対応が有効に機能するか否かを注視する必要があろう。

図3 新型コロナの新規感染者・死亡者(累計)の推移
図3 新型コロナの新規感染者・死亡者(累計)の推移

図4 COVID-19コミュニティ・モビリティ・レポートの動向
図4 COVID-19コミュニティ・モビリティ・レポートの動向

図5 対内直接投資流入額の推移
図5 対内直接投資流入額の推移

以上


西濵 徹


本資料は情報提供を目的として作成されたものであり、投資勧誘を目的としたものではありません。作成時点で、第一生命経済研究所が信ずるに足ると判断した情報に基づき作成していますが、その正確性、完全性に対する責任は負いません。見通しは予告なく変更されることがあります。また、記載された内容は、第一生命保険ないしはその関連会社の投資方針と常に整合的であるとは限りません。

西濵 徹

にしはま とおる

経済調査部 主席エコノミスト
担当: アジア、中東、アフリカ、ロシア、中南米など新興国のマクロ経済・政治分析

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