企業に求められる「ビジネスと人権」の取組み

~人権への関心の高まりと企業の果たす役割の重要性~

奥脇 健史

要旨
  • 消費者や投資家等の人権に対する意識が高まる中、世界的に「ビジネスと人権」への関心が高まっている。企業は自社だけでなく、サプライチェーン上の人権配慮も求められている。企業が人権尊重の取組みを推進することは、自社に好影響を与えると考えられる一方、取組みが不十分と判断された場合には経営リスクにもなりうる。
  • 「ビジネスと人権」における企業の取組みの指針となるものとして、国連の「ビジネスと人権に関する指導原則」が挙げられる。同原則では、企業に①人権方針によるコミットメント、②人権デュー・ディリジェンスの実施、③救済措置のプロセスの導入を求めており、国際機関等が提示している指針に沿って、企業は人権尊重の取組みを推し進めていくことが求められる。
  • 日本においては、2020年10月に「『ビジネスと人権』に関する行動計画」が策定されるなど、日本政府も「ビジネスと人権」の取組みを推し進めている。欧州を中心に、諸外国では企業の人権配慮を義務付ける法整備が進んでいる中で、グローバルで活動する日本企業においても各国の制度への対応が求められている。
  • 欧州が中心となって取組みをリードする姿勢を示す中、日本の国際的なプレゼンス向上、SDGsの達成のためにも、自社の従業員だけでなく、サプライチェーン上の取引先や世界中の消費者等にも影響を与えうる企業の果たす役割は大きなものとなっている。多様な主体との対話、連携を図りながら、「ビジネスと人権」に関する取組みが推進されていくことが望まれる。
目次

1. 注目が高まる「ビジネスと人権」

世界的に「ビジネスと人権」への関心が高まっている。足もとでは、企業は自社だけでなく、自社の調達先、取引先等を含むサプライチェーン上において、強制労働の防止措置などの人権配慮が求められている。実際に、欧米を中心に企業のサプライチェーン上における人権配慮を義務付ける法整備が進んでいるほか、他国の人権侵害に対し経済制裁を課す事例もみられている。10月22日に行われたG7貿易大臣会合では、閣僚声明と併せてG7で初めて「強制労働」に関する付属文書が採択され、グローバルサプライチェーンにおける強制労働の防止や責任ある企業行動について言及がなされた。日本においては、2020年10月に「『ビジネスと人権』に関する行動計画」(National Action Plan:NAP)が策定されたほか、今年6月に改訂されたコーポレートガバナンス・コードでは、補充原則2-3①に「人権の尊重」が明記された。

企業における「人権の尊重」はESGの「S(社会)」にあたる主要な要素であるとともに、SDGs(持続可能な開発目標)の達成においても重要な取組みである。消費者や投資家等の人権に対する意識が高まっている中、コロナ禍における労働者に対する人権侵害の増加や中国の新疆ウイグル自治区における人権侵害の疑いなども注目を集めている。また、近年、米中対立の激化が進む中、今年誕生したバイデン政権が人権重視の姿勢を示し、早くから同様の姿勢を示していた欧州と接近していることも、国際的な動きの加速に寄与している。

企業が人権尊重の取組みを推し進めることは、企業のブランドイメージに対してポジティブな影響を与えるほか、世界的にESG投資が増加している中、自社への投資を呼び込むことにもつながっていくと考えられる。生命保険協会が機関投資家向けに行ったESG投資に関するアンケートでは、およそ3割の企業が「人権」を主要テーマとしていると回答している(資料1)。逆に、人権に関するリスクを放置した場合や人権への対処が不十分とみなされた場合などには、ストライキや訴訟などのリスクのほか、自社の評判が悪化するリスク、不買運動、ダイベストメント(投資引揚げ)など企業の経営リスクになりうる(資料2)。

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このように、足もとで人権に対する意識の高まりが国際的に加速する中、グローバルサプライチェーンに組み込まれている日本企業は従前以上に自社のビジネスにおける人権尊重の取組みの推進、見える化が求められている。また、人権尊重の取組みを推し進めていくことは国際競争力の向上につながり、ひいてはSDGsの達成にもつながっていくと考えられる。

2.「ビジネスと人権」と人権デュー・ディリジェンス

企業が人権尊重の取組みを推し進めていくにあたり、その指針となるものとして、2011年に国連にて採択された「ビジネスと人権に関する指導原則」(以下「指導原則」)が挙げられる。指導原則の枠組みには3つの柱があり、人権を保護する国家の義務と救済へのアクセスと並んで、「人権を尊重する企業の責任」が挙げられている(資料3)。

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指導原則における企業の人権の尊重とは、「企業が他者の人権を侵害することを回避し、関与する人権への負の影響に対処すべきこと」を意味しており、国家のみならず、企業も人権を尊重する主体として責任を果たすことが求められている。指導原則において企業が求められていることとしては、大きく①人権方針によるコミットメント、②人権デュー・ディリジェンスの実施、③救済措置のプロセスの導入がある。

中でも、世界的に企業に対して人権デュー・ディリジェンスの導入を求める動きが進んでおり、欧州各国を中心に法制度による義務化が進んでいる。「人権デュー・ディリジェンス」とは、「企業活動が、直接的・間接的に、労働者を含むステークホルダーの人権に対して及ぼす負のインパクト(人権リスク)を評価し、そのリスクの高さに応じて対処・検証、情報開示を行うプロセス」のことである(国立国会図書館資料)。企業が配慮すべき人権リスクには、賃金の不足・未払いやハラスメント、強制労働など様々なものがあり、自社が直接引き起こしているものだけでなく、第三者等を通じて間接的に助長しているものや関与しているものなど、サプライチェーン上の活動による人権侵害も含まれる(資料4)。

人権デュー・ディリジェンスにおいては、指導原則等の国際的な指針に基づき、企業は社内外の専門家などを通じて、事業による人権への負の影響を調査・分析するとともに、特定された顕在的・潜在的な負の影響への対応として、教育・研修による啓発や社内環境・制度の整備、サプライチェーンの管理等を実施する必要がある。さらに、労働組合などステークホルダーとの意見交換を含むモニタリングによって再発状況を監視しつつ対応を続け、その状況について報告書等を通じて外部に情報公開していくことが求められている(資料5)。なお、指導原則においては企業のサプライチェーンに多数の企業体がある場合には、企業がそれらすべてにわたって人権への負の影響に対するデュー・ディリジェンスを行うことが困難になることを考慮し、その場合には、関係する供給・受給先や特定の事業、サービス、製品などから、人権リスクが最も大きくなる分野を特定し、優先的に取り上げるべきとしている。また、サプライチェーン上のリスクを発見した場合には、取引を停止することが必ずしも購入先地域の人権向上に結び付くとは限らないことから、取引を機械的に停止するのではなく、問題解決のためステークホルダーと対話していくことが求められる。

OECDは2018年に「責任ある企業行動のためのOECDデュー・ディリジェンス・ガイダンス」を採択し、公表している。当文書は人権デュー・ディリジェンスに関する企業の理解促進や政府及びステークホルダー間の共通の理解促進が意図されており、デュー・ディリジェンスの概要のほか、そのプロセスと支える手段についての概要及びQ&Aなどが掲載されている(資料6)。

企業は指導原則や「責任ある企業行動のためのOECDデュー・ディリジェンス・ガイダンス」等の国際的な指針に沿って、人権尊重の取組みを推し進めていくことが求められる。

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3. 各国の「ビジネスと人権」に関する取組み

世界各国では指導原則に基づき、「ビジネスと人権」に対する国家の取組みとして、NAPの策定を進めている。指導原則が採択された2011年以降、2013年に初めてイギリスがNAPを策定したことに続き、2021年11月時点で20か国以上が公表している。前述の通り、日本においては昨年10月に策定、公表が行われた。日本政府はNAPを、指導原則の着実な履行の確保を目指すものとし、NAPの策定及び実施を通じて① 国際社会を含む社会全体の人権の保護・促進、②「ビジネスと人権」関連政策に係る一貫性の確保、③日本企業の国際的な競争力及び持続可能性の確保・向上、④SDGsの達成への貢献を目指すとしている。「ビジネスと人権」に関して、今後日本政府が取組む各種施策が記載されているほか、企業に対し、企業活動における人権問題の特定、予防・軽減、対処、情報共有を行うこと、人権デュー・ディリジェンスの導入促進への期待が表明されている。既に企業による人権デュー・ディリジェンスの取組みが進む中、今後さらにその動きは加速するものと考えられる。

諸外国では、欧州諸国を中心にNAPの策定とともに、企業に対して人権デュー・ディリジェンスを義務付ける法整備が進められている。例えば、世界に先駆けてNAPを策定したイギリスでは、2015年に「現代奴隷法」が策定された。同法では、イギリス国内で事業を行う一定規模以上の企業を対象に、毎年度、自社の事業、サプライチェーン上において、強制労働などの防止に向けて行った方策について公表を義務付けている。また、欧州諸国だけでなく、オーストラリアにおいても「現代奴隷法」が策定されており、一定規模以上の企業に対して、サプライチェーン上の現代奴隷リスクの調査方法と軽減措置の報告を義務付けている(資料7)。

各国の法律においては外国企業が対象に含まれるケースもあるほか、違反した場合には制裁等が課せられる可能性もある。そのため、既に法律が施行されている国で活動する日本企業においては、各国の法制度に合わせた形で人権デュー・ディリジェンスの取組みの開示などの対応がなされている。今後も各国においてNAPの策定がさらに進み、人権に関する規制を導入する動きが加速すると考えられる中、企業は対応が求められることとなる。

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4. 企業に求められる多様な主体との対話と連携

以上の通り、世界各国で人権に対する動きが加速する中、グローバルに活動する日本企業においても、従前以上に企業行動としての人権尊重の取組みの推進が重要となっている。企業は、前述の「ビジネスと人権に関する指導原則」における3つの柱、①人権方針によるコミットメント、②人権デュー・ディリジェンスの実施、③救済措置のプロセスの導入を図っていく必要がある。

もっとも、取組みを進めていくにあたり、自社のビジネスにおける人権リスクの特定や優先順位の把握など、困難な点もあると考えられる。また、各国では施行されて日が浅い法制度があることや今後法整備が進んでいく国・地域もあるなど対応すべき事項の把握が困難であるというのも実情であろう。取組みを進めていくにあたっては、企業が国際的な指針の理解を深めていくことのほか、NGO等も含む社内外の専門家やステークホルダーとの情報交換・対話を実施していくことも重要であると考えられる。情報交換・対話を通じて、各国・地域の法制度や情勢、世論等の把握や自社の優先すべきリスクの特定、自社の取組みに対する客観性の確保などが期待できる。また、自社のHPや各種報告書を通じて、積極的に消費者や投資家に向けて自社の取組みを発信していくことが重要である。人権デュー・ディリジェンスには外部への情報発信が含まれており、実際に取組みが進んでいる企業であっても、情報の開示が行われていない場合には取組みが不十分であると認識されるリスクがある。完全な状態での公開だけでなく、実際に取組んでいることを段階的に開示していくことも手段として考えられる。

また、政府、省庁等との連携も重要となる。足もとでは、2021年7月には経済産業省にて「ビジネス・人権政策統括調整官」と「ビジネス・人権政策調整室」の設置を行うなど、政府、省庁等が産業界への情報提供の強化や企業の対応状況の調査を進めている。各省庁のホームページにおいては、「ビジネスと人権」に関する足もとの動向、企業の取組みに資する教材の提供、事例の公表なども行われている(参考文献等を参照)。国際的な基準に日本の声を反映させていくためにも、引き続き官民や企業間での連携を進めていくことが肝要であろう。

そして、企業の人権担当者等だけでなく、従業員一人ひとりが人権に対する意識を高め実際にビジネスの現場で働く、またそうした視座を持って取引先や顧客等と接することで、企業の取組みが底上げされていくと考えられる。

欧州が中心となって取組みをリードする姿勢を示す中、日本の国際的なプレゼンス向上、SDGsの達成のためにも、自社の従業員だけでなく、サプライチェーン上の取引先や世界中の消費者等にも影響を与えうる企業の果たす役割は大きなものとなっている。多様な主体との対話、連携を図りながら、「ビジネスと人権」に関する取組みが推進されていくことが望まれる。


【参考文献等】

  • 国際連合「ビジネスと人権に関する指導原則」

 https://www.unic.or.jp/texts_audiovisual/resolutions_reports/hr_council/ga_regular_session/3404/

  • OECD「多国籍企業行動指針」日本語版仮訳

 https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/csr/pdfs/takoku_ho.pdf

  • OECD「責任ある企業行動のためのOECDデュー・ディリジェンス・ガイダンス」

 https://mneguidelines.oecd.org/OECD-Due-Diligence-Guidance-for-RBC-Japanese.pdf

  • 外務省「ビジネスと人権ポータルサイト」

 https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/bhr/index.html

  • 外務省「「ビジネスと人権」に関する取組事例集」

 https://www.mofa.go.jp/mofaj/files/100230712.pdf

  • 外務省「ビジネスと人権とは?」

 https://www.mofa.go.jp/mofaj/files/100116940.pdf

  • 法務省「今企業に求められる「ビジネスと人権」への対応」

 https://www.moj.go.jp/JINKEN/jinken04_00188.html

  • 法務省「ビジネスと人権」に関する企業研修」

 https://www.moj.go.jp/JINKEN/jinken04_00188.html

  • 経済産業省「ビジネスと人権~責任あるバリューチェーンに向けて~」

 https://www.meti.go.jp/policy/economy/business-jinken/index.html

  • 日本貿易振興機構「「サプライチェーンと人権」に関する政策と企業への適用・対応事例」

 https://www.jetro.go.jp/world/scm_hrm/

  • 国際労働機関「多国籍企業及び社会政策に関する原則の三者宣言」(本文和訳)

 https://www.ilo.org/tokyo/helpdesk/WCMS_577671/lang--ja/index.htm

  • 労働政策研究・研修機構2021年7月「フォーカス:ビジネスと人権 ―アメリカ、イギリス、ドイツ、フランスの取り組みの状況」

 https://www.jil.go.jp/foreign/labor_system/index.html

  • 生命保険協会「生命保険会社の資産運用を通じた「株式市場の活性化」と「持続可能な社会の実現」に向けた取組について(2021年 4 月)」

 https://www.seiho.or.jp/info/news/2021/20210416_4.html

  • ビジネスと人権に関する行動計画に係る関係府省庁連絡会議「『ビジネスと人権』に関する行動計画」

 https://www.mofa.go.jp/mofaj/files/100104121.pdf

  • 人権外交を超党派で考える議員連盟 第2回総会資料

「諸外国の人権デューディリジェンス法の概要」(国立国会図書館)

 https://jinken-gaikou.org/

奥脇 健史


本資料は情報提供を目的として作成されたものであり、投資勧誘を目的としたものではありません。作成時点で、第一生命経済研究所が信ずるに足ると判断した情報に基づき作成していますが、その正確性、完全性に対する責任は負いません。見通しは予告なく変更されることがあります。また、記載された内容は、第一生命保険ないしはその関連会社の投資方針と常に整合的であるとは限りません。