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2024.08.08
アジア経済
タイ経済
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タイ憲法裁、前進党に解党命令で民主化の歩みは再び「ふりだし」へ
~政治的な閉塞感は社会や経済にも悪影響、地盤沈下が進んでいく可能性にも要注意~
西濵 徹
- 要旨
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- タイ憲法裁は7日、民主派の最大野党前進党の解党と元幹部の公民権停止を命じる判断を下した。同党は前身政党が2019年の総選挙で第3党に、昨年の総選挙では第1党となるなど躍進を果たしてきた。しかし、同党が掲げる不敬罪の緩和など急進的な公約には保守派の拒否感が根強く、第1党となるも政権樹立に失敗するとともに、その後も様々な「嫌がらせ」を受けた。今回の決定を受けて同党の所属議員は後継政党に移籍して活動を継続する方針だが、その道のりは険しい状況が続くと見込まれる。他方、同国経済はASEAN内でコロナ禍からの立ち直りが遅れているが、保守派が経済を牛耳るなかで改革が遅れていることが一因とされる。中銀の悩みの種となったバーツ安は米ドル高一服で後退しているが、政治不安が状況を変える可能性があるほか、同国経済の在り様にも悪影響を与えることに留意する必要があろう。
タイの憲法裁判所は7日、選挙管理委員会による民主派の最大野党である前進党に対する解党命令請求に関する審理の結果を公表し、同党に対する解党のほか、ピター前党首をはじめとする元幹部11人に対して10年間の公民権停止を命じる判断を下した。同党を巡っては、前身政党である新未来党が2019年の総選挙で第3党となる躍進を果たしたものの、憲法違反を理由に当時のタナトーン党首が議員資格をはく奪されたほか、政党法違反を理由に解党命令を受ける事態に追い込まれた。その後に新未来党に所属した議員を中心に後継政党として前進党を結党し、昨年の総選挙では反軍政のほか、不敬罪の緩和や徴兵制廃止など急進的な公約を掲げ、第1党となるなど政界で一気に存在感を高めた。第1党となった勢いを背景に同党はピター党首(当時)を首班とする政権樹立を試みるも、親軍派や王党派など保守派を中心に同党が掲げる公約への拒否感が根強く、最終的には『タクシン派』のタイ貢献党を中心とする形で親軍派や王党派の合従連衡によるセター政権が発足した。さらに、ピター政権樹立に向けた試みへの妨害工作として、ピター氏の議員資格の有無や同党が掲げる公約の違憲可能性の判断を仰ぐ動きがみられた結果、ピター氏の議員資格は認められる一方、公約に対しては違憲とする判断が下された。これを受けて、選挙管理委員会は今年3月に憲法裁判所に対して同党への解党命令請求と同党幹部への公民権停止勧告を行い、翌4月に憲法裁は請求を受理して審理を開始することを明らかにしていた(注1)。なお、憲法裁の裁判官や選管委員を巡っては、ともにいわゆる『軍政』のプラユット前政権下で指名されており、いずれも国軍の意向が反映されやすく保守的な意見を保持してきたことを勘案すれば、解党命令が下される可能性は高いと見込まれてきたなか、今回の決定は不敬罪の見直しを認めないとの意思をあらためて示したものと捉えられる。さらに、解党命令を受けて同党の所属議員は一定期間のうちに他党に移籍をしなければ議員資格を失うなか、ピター氏は憲法裁の決定を受けた記者会見において「怒りと悲しみを感じるかもしれないが、その感情を次期総選挙での新党の大勝に繋げよう」、「新党が最高の政府を作ることができるよう支える」と述べており、同党の受け皿となる後継政党で活動を継続する意思を示した格好である。今年5月に行われた最新の世論調査においては、総選挙から約1年が経過しているにも拘らず前進党の人気は依然高く、首相に相応しい人物を巡る設問でもピター氏とする回答が半数近くを占めており、同党支持者の間で今回の憲法裁の判断への反発が高まることが予想される。他方、同党支持者は20代や30代といった若年層が多く、かつてのタクシン派と反タクシン派の反発を理由にした過激なデモといった動きに距離を置く向きもみられるため、憲法裁の判断への反発は強まるも実力行使に訴えることを避けつつ時間をかけて同党の党勢拡大を狙うとの見方もある。他方、5月に任期満了を迎えて6月に実施された議会上院(元老院)選挙を巡っては、現行憲法の規定で党派性が排除されるとともに、その複雑な選挙制度も影響してどのような結果になるかが注目された(注2)。しかし、先月に選管が公表した選挙結果によれば、中道右派で保守派に近いとされるタイの誇り党系の議員が半数を上回るとともに、現政権下での最大与党のタイ貢献党系、親軍派や王党派など保守派を併せると絶対安定多数を確保した模様である。前進党系議員は1割にも満たず、憲法改正に必要な3分の1に遠く及ばないことから、政権公約に掲げた憲法改正のハードルは選挙を経て一段と高まる状況に直面していた。そうした状況に加え、今回の憲法裁の判断を受けて保守派による民主派への『嫌がらせ』とも呼べる動きが繰り返される展開が続き、社会の閉塞感が一段と高まっていく可能性にも留意する必要がある。同国経済はASEAN(東南アジア諸国連合)主要国のなかでもコロナ禍からの立ち直りが最も遅れており(注3)、その一因には保守派が政界のみならず、経済界にも厳然たる影響力を有するなかで経済改革が遅れており、結果として他のASEAN諸国において勃興する新興企業の育成などで立ち遅れていることが影響しているとの見方もある。足下の国際金融市場においては、中銀にとって悩みの種となってきたバーツ安が米ドル高の一服も受けて後退する動きがみられるものの、今回の憲法裁の判断を受けて政情不安が再び意識される動きに繋がれば状況が一変する可能性もくすぶる。同国は自動車産業をはじめとする日本企業にとって長らくASEANにおける『金城湯池』となってきたものの、改革の遅れにより競争力に陰りが出るとともに、近年の少子高齢化に伴い市場としての魅力も低下するなかでその在り様が変化する動きがみられるなか、政治的な不安定性が重なれば一段と地盤沈下が進む可能性も懸念される。

注1 4月5日付レポート「タイ憲法裁が前進党への解党請求の審理開始、政局の行方は」
注2 5月14日付レポート「タイ上院任期満了、民主派への圧力が強まるなかで政局の行方は」
注3 5月20日付レポート「タイ経済はなぜコロナ禍からの立ち直りが遅れているか」
西濵 徹
本資料は情報提供を目的として作成されたものであり、投資勧誘を目的としたものではありません。作成時点で、第一生命経済研究所が信ずるに足ると判断した情報に基づき作成していますが、その正確性、完全性に対する責任は負いません。見通しは予告なく変更されることがあります。また、記載された内容は、第一生命保険ないしはその関連会社の投資方針と常に整合的であるとは限りません。
- 西濵 徹
にしはま とおる
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経済調査部 主席エコノミスト
担当: アジア、中東、アフリカ、ロシア、中南米など新興国のマクロ経済・政治分析
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