インドネシア大統領選、ジョコ氏長男を「後押し」した憲法裁所長に辞任命令

~ギブラン氏の副大統領選出馬を可能にした判断は倫理違反に、選挙戦の行方に少なからず影響も~

西濵 徹

要旨
  • 来年2月のインドネシア大統領選はすべての候補が出揃い、事実上の選挙戦がスタートした。なかでも捲土重来を期すプラボウォ陣営は、ジョコ大統領の人気を惹きつけるべく長男のギブラン氏を副大統領候補に据える「抱き付き作戦」に打って出た。しかし、現在36歳のギブラン氏の立候補を巡っては、憲法裁が下した年齢規定を巡る除外規定を理由に可能になる一方、所長がジョコ氏の義弟であることから縁故主義との批判が強まった。調査の後、司法委員会は除外規定に賛同した判事をけん責するとともに、憲法裁の名誉評議会は倫理違反を理由にアンワル所長の辞任を命じる決定を下した。除外規定は失効せずギブラン氏は出馬可能な状況にあるが、選挙戦ではこの問題を理由にプラボウォ陣営を攻撃することが予想される。ジョコ人気を追い風に有利な選挙戦の展開を期待したプラボウォ陣営の目論見が外れる可能性もある一方、宗教右派が一段と攻撃を強めることも予想され、今後の選挙戦の行方に注意する必要があろう。

来年2月にインドネシアにおいて実施される次期大統領選挙を巡っては、先月に立候補者の届け出が行われて本格的な選挙戦がスタートしている(注1)。主要3候補のなかでは、2014年、2019年と過去2回の大統領選に出馬するもいずれも現職のジョコ大統領に対して苦杯を舐めたものの、ジョコ政権の2期目発足に際しては大連立に加わるとともに、国防相に就任したプラボウォ氏の去就に注目が集まった。プラボウォ氏を巡っては、次期大統領選に向けて度々出馬に意欲をみせる姿勢をみせる一方、『3度目の正直』や『捲土重来』の実現に向けてはハードルが小さくなかったのも実情である。というのも、現行憲法においては現職のジョコ氏は次期大統領選に出馬することが出来ないものの、ジョコ氏に対する国民人気は依然として高いなかで、次期大統領選に向けては『かつてのライバル』の人気を惹き付けることが課題とされた。こうしたなか、プラボウォ陣営は副大統領候補にジョコ氏の長男で、ジャワ州スラカルタ市長を務めるギブラン氏を据えるなど、プラボウォ氏自身の知名度の高さに加え、ジョコ氏に対する国民人気を惹きつける『抱き付き作戦』に打って出た。他方、ジョコ氏やギブラン氏は最大与党の闘争民主党(PDI-P)に所属していたものの(現在はともに離脱)、同党は党首であるメガワティ元大統領の影響力が強く、過去にメガワティ氏が度々政権に対して注文を付ける動きをみせたため、ジョコ氏はメガワティ氏に対して距離を置く姿勢をみせてきた。こうしたことから、メガワティ氏は次期政権での『院政』状態を目指すべく、大統領候補に中ジャワ州知事を務めたガンジャル氏、副大統領候補に現政権で政治・法務・治安担当相を務めるマフモディン氏とともに自身の意向を反映しやすい候補を据えるとともに、両者の地盤である中ジャワ州と東ジャワ州という『大票田』を意識した選挙戦を展開すると見込まれる。両陣営以外には、イスラム保守政党連合が推す形で首都ジャカルタ州知事を務めたアニス氏が大統領候補に、同国最大のイスラム教組織であるナフダトゥル・ウラマー(NU)系政党のPKB(国民覚醒党)のムハイミン党首を副大統領候補とするなど、近年勢力を拡大させている宗教右派(宗教保守主義)を意識した選挙戦の展開が予想される。このように3陣営による選挙戦が行われる見通しの一方、現在36歳のギブラン氏がプラボウォ陣営の副大統領候補となることが出来た背景には『奇策』とも呼べる動きが影響したことに注目が集まっている。これは現行の総選挙法においては、大統領及び副大統領候補を巡って「40歳以上」とする年齢制限が規定されるなか、憲法裁判所に対してこの規定を35歳以上に変更する議員請願が提出されたことに起因する。先月の大統領選挙に対する立候補期日を前に憲法裁判所は議員請願に対する判断を下し、年齢制限そのものの変更は反対多数で認めないとする一方、地方政府の首長に選出された経験があれば出馬要件が満たされる旨の除外規定を賛成多数で付記したため、結果的にギブラン氏が副大統領候補になる道筋が拓けた(注2)。なお、この除外規定を巡っては、憲法裁判所のアンワル所長がジョコ氏の義弟(妹の夫)であることが影響したとの見方が出るとともに、この判断に対する憲法裁に対する批判が強まるほか、ギブラン氏の辞退やジョコ氏の辞任を求めるデモが発生する動きもみられた。こうしたなか、司法委員会が上述の憲法裁判所による決定を巡る調査を行った結果、ギブラン氏の出馬を事実上可能とする除外規定に賛成した6人の判事に対して倫理規定違反を理由に「けん責」の処分を下す決定を行っている。さらに、憲法裁判所が独自に設置した名誉評議会も昨日(7日)、アンワル所長に対して倫理規定違反を理由に所長職を辞するよう勧告する決定を行い、同日付でアンワル氏は辞任に追い込まれた。しかし、除外規定そのものの効力は失効しておらず、結果的にギブラン氏はプラボウォ陣営の副大統領候補として大統領選を戦う状況は変わっていない。とはいえ、一連の判断はギブラン氏の副大統領候補としての出馬要件に『疑問符』が付く要因となる可能性があり、ガンジャル陣営の副大統領候補であるマフモディン氏は法学者で、憲法裁判所の2代目所長であったことを勘案すれば、一連の判断をプラボウォ陣営に対する攻撃材料とする可能性も予想される。他方、同国政界は政治エリートやその親類縁者、軍出身者が牛耳る展開が続くなかで、縁故主義的な動きが根深い汚職体質を招く一因となっており、そうした批判の受け皿として宗教右派が台頭してきたことを勘案すれば、アニス陣営にとってはプラボウォ、ガンジャル両陣営に対する攻撃を強めることも想定される。その意味では、ジョコ人気を後ろ盾に有利な選挙戦を展開することを期待したプラボウォ陣営にとって足を掬う要因となることも考えられるなど、今回の決定が選挙戦に与える影響に注意する必要が高まっていると言える。

以 上

西濵 徹


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西濵 徹

にしはま とおる

経済調査部 主席エコノミスト
担当: アジア、中東、アフリカ、ロシア、中南米など新興国のマクロ経済・政治分析

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