プラボウォ次期政権は「先進インドネシア」の道を切り開けるか

~政権基盤安定化の一方、経済・財政運営に不透明感、民主化後退や宗教保守の台頭などにも要注意~

西濵 徹

要旨
  • インドネシアでは2月の大統領選でプラボウォ国防相が勝利した。直後に選挙結果などを巡って異議申し立てがなされるも憲法裁は却下したが、一部判事が反対意見を表明するなど異例の動きも顕在化した。他方、大統領選と同時に実施された総選挙ではプラボウォ陣営を支持した政党が半数を下回るも、その後の政党間交渉で7割強に達するなど地盤固めは進んでいる。ただし、足下では生活必需品を中心にインフレが顕在化している上、ルピア安を受けて中銀は通貨防衛を目的とする利上げに追い込まれるなど難しい対応が続く。よって、プラボウォ次期政権は市場を意識した経済・財政運営を迫られることは避けられない。
  • 足下の景気には好悪双方の材料が混在するも、1-3月の実質GDP成長率は前年比+5.11%と伸びが加速しており、当研究所が試算した季節調整値に基づく前期比年率ベースの成長率も加速するなど順調な底入れが続く。選挙を前にした関連支出や社会支援策拡充を反映して政府消費が大きく押し上げられたほか、家計消費も下支えする動きがみられる一方、金利高の長期化や政策を巡る不透明感が固定資本投資の足かせとなった。他方、中国の景気減速などが外需の足かせとなったが、在庫調整が進むなど内容は改善している。ただし、異常気象による農林漁業の生産低迷など供給懸念がインフレ圧力に繋がる動きもみられ、先行きに対する不安材料もくすぶるなど過度に楽観できる状況にはないと理解する必要があろう。
  • 大統領選を経て早くも論功行賞人事が表面化しており、次期政権の樹立に向けて政党間での猟官運動が活発化することは避けられない。他方、プラボウォ氏はジョコ現大統領が掲げる「先進インドネシア」の延長線上で経済優先姿勢を掲げており、中長期的な人口増など経済成長への材料も追い風に期待を集めると見込まれる。ただし、ここ数年の同国では民主化の後退や宗教右派の台頭など懸念材料も山積しており、プラボウォ次期政権が強権姿勢に訴えれば期待が一転して不透明要因となり得る点には要注意と言える。

インドネシアでは、2月に実施された大統領選で事前の世論調査において一貫してトップを維持してきたプラボウォ国防相が勝利を収めた(注1)。選挙管理委員会はプラボウォ氏の勝利を発表したものの、アニス陣営とガンジャル陣営は選挙結果を巡って国家による干渉が行われたほか、副大統領に就任するギブラン氏について立候補を認めるべきではなかったとして、憲法裁判所に対して異議申し立てを行った。なお、先月末に憲法裁は選挙結果に対する組織的な不正行為やジョコ現大統領による干渉の証拠はなく、公的機関や公務員の動員、ジョコ政権が選挙直前に実施した社会支援策(食料支援策など)が選挙に影響を与えるべく利用された事実はないとの判断を下した上で異議申し立てを棄却し、プラボウォ氏の勝利が確定した。ただし、憲法裁の判断を巡っては5人の判事が申し立ての棄却を支持する一方、3人が反対意見を述べるとともに、ジョコ大統領と公的機関の中立性に疑義が生じると指摘するなど大統領選を巡って異例の判断が示された。こうした背景には、プラボウォ陣営の副大統領候補となったジョコ現大統領の長男のギブラン氏(36歳)を巡って、現行法では立候補要件が40歳以上と規定されているものの、憲法裁が地方政府の首長への選出経験を理由に出馬要件の除外規定を認める決定を行うも、その後に決定を後押しした憲法裁所長が倫理違反で更迭される事態に発展したことも影響している(注2)。こうした状況ながら、大統領選においてプラボウォ氏の得票率は58.59%とアニス氏(24.95%)、ガンジャル氏(16.47%)を大きく上回り、依然として幅広く国民からの人気が高いジョコ現大統領の路線を踏襲する方針を謳うことで圧勝を遂げた。よって、プラボウォ氏は当選確定を受けた認証式典において、すべてのインドネシア国民のために闘うと表明した上で、インドネシアが生き残り、反映するためにはすべてのエリートが共通の利益のためすべての勢力の団結が不可欠と述べるなど、協調を呼び掛けた。なお、大統領選と同時に実施された総選挙では、プラボウォ陣営を支援した政党連合(先進インドネシア連合(KIM))の4党が獲得した議席数は280議席と総議席数(580議席)の半分以下に留まった。しかし、その後の政党間の合従連衡によりアニス陣営を支援した2政党がプラボウォ次期政権の与党に加わる合意に至っており、計6政党の議席数は417議席と総議席数の7割以上を占めるなど議会運営を円滑に進めることが可能となっている。他方、プラボウォ氏はジョコ路線の踏襲を謳うなかで新首都(ヌサンタラ)移転のほか、公約に低所得者層へのバラ撒き政策を盛り込むなど、財政運営に対する不透明感がくすぶる。金融市場においてはプラボウォ次期政権の財務相をはじめとする『経済チーム』の陣容に注目が集まっているが、ジョコ現政権の財務相であるスリ氏はこれまでの経験などを理由に金融市場からの信認が厚い一方、国防費を巡ってプラボウォ氏との間で隔たりがみられたほか、プラボウォ氏が掲げる政権公約(学校給食の無償化、公務員給与の引き上げ、低所得者を対象とする現金給付・住宅建設の継続など)を巡って軋轢が生じているとされ、続投は難しいとの見方が広がっている。こうしたなか、足下の国際金融市場においては折からの『米ドル一強』の動きも相俟って通貨ルピア相場は調整の動きを強めたため(注3)、中銀は先月の定例会合において『通貨防衛』を目的とする利上げに追い込まれるなど難しい対応を迫られている(注4)。足下のルピア安については外部環境が大きく影響していることに留意する必要はあるが、ルピア安は輸入インフレを通じて国民生活に幅広く悪影響を与えるなど無視できず、中銀は為替介入などを通じた通貨防衛への対応を迫られる展開が続く可能性もくすぶる。その意味では、プラボウォ次期政権を巡っては次期政権議会対応のみならず財政運営などを通じた金融市場との対話にも注力する必要に迫られることは避けられない。

図 1 総選挙を経た議会下院(国民議会)の党派別議席数
図 1 総選挙を経た議会下院(国民議会)の党派別議席数

図 2 ルピア相場(対ドル)の推移
図 2 ルピア相場(対ドル)の推移

図 3 インフレ率の推移
図 3 インフレ率の推移

インドネシア経済を巡っては、GDPの約6割を家計消費が占めるなどASEAN(東南アジア諸国連合)内でも経済構造面で内需依存度が比較的高いとともに、近年の経済成長のけん引役となってきた。ここ数年の商品高や米ドル高を受けた通貨ルピア安によるインフレ昂進の動きは家計消費の足かせとなるとともに、中銀による断続利上げを受けた債務負担の増大の動きは企業部門による設備投資の重石となることで景気の足を引っ張る懸念が高まった。他方、米中摩擦の激化や世界的なデリスキング(リスク低減)を目指したサプライチェーン見直しの動きは同国への対内直接投資を押し上げるとともに、ジョコ現政権がいわゆる『資源ナショナリズム』に傾くなかで鉱物資源関連を中心とする対内直接投資が活発化する動きがみられたものの(注5)、中国経済を巡る不透明感の高まりが商品市況の足かせとなるなかで外需は低迷するなど景気の重石となる動きも顕在化してきた。ただし、一昨年末以降の商品高や米ドル高の一服を追い風にインフレは頭打ちに転じたほか、昨年後半以降のインフレ率は中銀目標の域内で推移するなど一見落ち着きを取り戻しており、家計消費の追い風になることが期待される。こうした状況にも拘らず、上述のように中銀は通貨防衛を目的に再利上げに追い込まれているほか、足下ではエルニーニョ現象など異常気象を理由に食料インフレの動きが顕在化している上、中東情勢の不透明感の高まりを理由とする国際原油価格の底入れの動きがエネルギー価格を押し上げるなど、生活必需品を中心とするインフレが顕在化する動きがみられる。このように足下の景気を巡っては好悪双方の材料が混在する動きがみられるなか、1-3月の実質GDP成長率は前年同期比+5.11%と前期(同+5.04%)から伸びが加速している。当研究所が試算した季節調整値に基づく前期比年率ベースの成長率も伸びが加速して3四半期ぶりに5%を上回る水準になったとみられるなど、足下の景気は着実に底入れの動きを強めていると捉えられる。需要項目別の動きをみると政府消費が大幅に拡大しており、大統領選や総選挙に関連した歳出拡大の動きに加え、ジョコ政権が選挙直前に実施した社会支援策の動きが影響したとみられる。また、インフレ鈍化による実質購買力の押し上げも相俟って家計消費が押し上げられる動きもみられる。他方、中銀による金融引き締めが長期化するなど債務負担の増大に繋がる動きが企業部門による設備投資意欲の足かせになっているほか、次期政権による政策運営に対する不透明感も対内直接投資の重石となるなか、固定資本投資は2四半期連続で減少していると試算される。さらに、外国人来訪者数の底入れの動きはサービス輸出を押し上げているものの、中国経済が以前のような勢いを欠くとともに、コロナ禍からの世界経済の回復をけん引した欧米など主要国景気も頭打ちするなかで財輸出は下振れしており、総輸出は減少するなど景気の足を引っ張っている。また、上述のように家計消費や政府消費など内需の堅調さを反映して輸入は拡大しており、純輸出(輸出-輸入)の成長率寄与度は前期比年率ベースで3四半期ぶりのマイナスに転じている。さらに、前期まで4四半期連続で在庫投資の成長率寄与度はプラスで推移しており、在庫の積み上がりが景気を下支えするなど内容の悪さが懸念される展開が続いたが、当期についてはマイナス寄与となったと試算されるなど在庫調整が進んでいる様子がうかがえる。よって、足下の景気については選挙の時期が重なったことで政府消費に対する依存度を強めるなどの問題はあるものの、表面的な数字以上に内容は良好と捉えることができる。分野ごとの生産の動きを巡っても、政府消費の大幅な拡大を反映して公的部門の生産が急拡大するとともに、家計消費の堅調さが小売・卸売関連をはじめとするサービス業の生産を押し上げる動きが確認できる。ただし、外需の弱さが製造業の生産の足かせとなっているほか、企業部門を中心とする設備投資の弱さが建設業の生産の重石となっている上、異常気象を理由に農林漁業関連の生産は大きく下振れするなど、先行きは供給不足による物価上昇圧力の高まりに繋がる動きも顕在化している。その意味では、足下の景気は底入れの動きが続いていることは間違いないものの、先行きに対する不安材料もくすぶるなど過度に楽観できる状況にはないと理解する必要がある。

図 4 実質 GDP(季節調整値)と成長率(前年比)の推移
図 4 実質 GDP(季節調整値)と成長率(前年比)の推移

図 5 実質 GDP 成長率(前期比年率)寄与度の推移
図 5 実質 GDP 成長率(前期比年率)寄与度の推移

図 6 外国人来訪者数(季節調整値)の推移
図 6 外国人来訪者数(季節調整値)の推移

なお、10月に誕生するプラボウォ次期政権の発足を前に、上述のように次期政権の樹立に向けた動きが活発化しているが、選挙の直後にはジョコ現政権2期目に際しては中立派を維持してきた民主党の党首でユドヨノ前大統領の長男のアグス氏が農地・都市計画相に就任している。この動きは民主党がプラボウォ陣営を支援する政党連合(KIM)に加盟したことの『論功行賞』と捉えられる一方、今後も次期政権の発足を前に政党間での『猟官運動』の動きが活発化することが予想される。他方、プラボウォ次期大統領はジョコ現大統領が掲げる同国が建国100年を迎える2045年を目途とする先進国入りのほか、その実現に向けて経済開発を重視する考えを示しており、内政面では経済を優先した姿勢が強まると予想される。現在は2.7億人と域内最大の人口を擁するとともに、若年層比率の高さも追い風に中長期的にも人口増加が期待されるなど経済成長の実現に向けた材料には事欠かない。こうしたなか、同国はいわゆる『先進国クラブ』と称されるOECD(経済協力開発機構)への加盟を目指しており、欧米諸国など多くの加盟国が支持を表明するなかで今月には同国の加盟審査手続きが開始されているが、イスラエルは中東情勢の悪化や国交問題などを理由に反対の立場を示しており、全会一致を基本とする判断にどのような影響を与えるかは現状見通しが立たない。というのも、プラボウォ氏が公約にパレスチナの独立と主権国家の樹立に向けた外交支援の強化を掲げており、仮に今後もこうした姿勢を強めればイスラエルとの軋轢が強まる可能性は避けられないことにある。他方、ここ数年の同国では権力のチェック機能を低下させるなど民主化の後退に繋がる動きがみられたほか、一昨年には刑法改正を通じて大統領や政府への『侮辱行為』を対象とする取り締まりが強化されるなど、報道の自由やプライバシー、人権侵害などに繋がりかねない動きも顕在化している。プラボウォ氏自身は元々国軍においてスピード出世を果たして陸軍戦略予備軍司令官(中将)となるも、民主活動家の誘拐事件に関与した疑いで国軍から査問を受けて軍籍をはく奪された経緯がある(プラボウォ氏自身は疑惑を否定している)。こうした疑惑を理由にプラボウォ氏は民主主義への関心が薄いとされるなか、大統領選での勝利が確実となったことを受けてジョコ大統領は直後に名誉大将の称号を授与するなど名誉回復の動きを活発化させており、人権団体などから批判が強まる動きがみられるものの、次期政権を含めてお構いなしの展開となることは避けられないであろう。その意味では、経済成長への期待は間違いなく高いものの、民主化の後退に繋がる動きのほか、近年は若年層の不満の受け皿として宗教右派の台頭といった動きも顕在化するなか、仮にプラボウォ氏が強権姿勢に訴えれば経済的な魅力に一転して疑問が生じる可能性にも注意する必要があろう。

以 上

西濵 徹


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西濵 徹

にしはま とおる

経済調査部 主席エコノミスト
担当: アジア、中東、アフリカ、ロシア、中南米など新興国のマクロ経済・政治分析

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