タイ、首班指名選へ前進も行方は依然不透明、政治空白解消なるか

~政治空白が一段と長期化すれば、足下で進むバーツ安の動きが加速する可能性に要注意~

西濵 徹

要旨
  • タイでは、5月に行われた総選挙を経た新政権の樹立が難航している。総選挙で第1党となった前進党のピタ氏を軸にした連立政権が模索されたが、同党の急進性への保守派の反発が根強く、連立瓦解に加え、前進党政権の可能性も完全に消滅した。その後、タイ貢献党(タクシン派)のセター氏を軸にした連立が模索されているが、現時点で連立を構成する8党の議員数は議会下院の半数にも満たない。親軍派政党との連立に動くとの観測が強まる一方、総選挙での「民意」に反する政権樹立は前進党支持者を中心とする反発は必至とみられる。他方、足下のバーツ相場は調整の動きを強めているが、仮に22日の首班指名選も失敗すれば政治空白の長期化は避けられず、結果的にバーツ安の動きが加速する可能性も懸念される。

タイでは、5月に人民代表院(議会下院:総議席数500)総選挙が実施されたものの、その後の新内閣発足が難航する展開が続いている。総選挙では『反軍政』を掲げる民主派の「前進党(151議席)」が第1党に、いわゆる『タクシン派』の「タイ貢献党(141議席)」が第2党となる一方、総選挙前の与党を構成していた親軍政党は軒並み議席を減らして少数派に転じるなど、民主派が勝利を収めた。総選挙の直後には、前進党とタイ貢献党を含む計8党が前進党のピタ党首を軸にした新政権樹立を目指すべく連立を形成することで合意したものの、8党の議員数は人民代表院では多数派を占める一方、親軍色、保守色の強い元老院(議会上院:総議席数250)を併せて実施される首班指名選挙の行方は不透明とみられた。それは、総選挙において前進党やピタ氏は急進色の強い公約(不敬罪の緩和、徴兵制の廃止など)を掲げて大躍進を果たしたものの、保守派の間にはこうした公約に対する拒否感、拒絶感が根強いことがある。結果、先月にはピタ氏が唯一の立候補者となる形で1回目の首班指名選挙が実施されたものの、ピタ氏の得票数は半数を下回ったことで当選者なしとなり、2回目以降に持ち越された。2回目の首班指名選挙の直前には、選挙管理委員会の申し立てに基づく形で憲法裁判所がピタ氏の議員資格を一時停止する決定を下すとともに、選挙自体も再びピタ氏が唯一の立候補者となったことを理由に、議会内の保守派が議会運営規則(一事不再議の原則)を盾に中止に追い込むとともに、議会はピタ氏の首班指名選挙への立候補資格を無効とする決定を行った。2度に亘る首班指名失敗の後も8党は首班指名選挙に向けた調整を続けていたものの、最終的にタイ貢献党は前進党との協力関係を解消した上で、総選挙に際して首班候補に挙げたセター氏(大手不動産開発企業の元社長)を軸に新政権樹立を目指す方針を明らかにするなど8党連立は瓦解した(注1)。その後、タイ貢献党は総選挙前には連立与党の一角を占めるも、中道右派的な色合いが強く、総選挙で前進党、タイ貢献党に次ぐ第3党となった「タイの誇り党(71議席)」と連立を形成することで合意するなど新政権樹立に向けて前進する動きがみられた(注2)。なお、両党は3つの合意(①王室改革に触れない、②前進党が連立に参加しない、③政権与党が少数派にならない)を明らかにするなど、前進党の『排除』を前提とする形で政権樹立を模索する考えをみせた。こうした両党の姿勢に対応して、前進党はセター氏を支持しない方針を明らかにしており、現時点において前進党が政権与党入りする可能性は大きく後退したと捉えられる。また、前進党は憲法裁判所に対して、議会によるピタ氏の首班指名選への立候補資格を無効とした決定に関する異議申し立てを行ったものの、これを棄却する決定を下しており、結果的にピタ氏が首相となる可能性、及び前進党政権の誕生は完全に消滅した格好である。他方、タイ貢献党とタイの誇り党は総選挙前の与野党を含めた計8党による連立を形成することで合意したものの、8党併せた議席数は238議席と人民代表院の半分(250議席)にも届いておらず、首班指名選挙の行方は元老院の対応如何であるものの、上述した両党合意(政権与党が少数派にならない)を満たしていない。したがって、新政権の樹立に向けては新たな8党連立も最終的に親軍派政党(「国民国家の力党(40議席)」、「タイ団結国家建設党(36議席)」)との連立を模索せざるを得ないとの観測がくすぶる一因になっている。こうしたなか、上述のように前進党とピタ氏による憲法裁への異議申し立てが却下され、首班指名選挙の実施への法的障壁が解消されたことを受けて、日程を決定する権限を有するワンムハマドノー下院議長は次回の首班指名選挙を今月22日開催する意向を示しており、各政党間の連立交渉が一段と激化することが予想される。ただし、仮にタイ貢献党を中心とする連立に親軍派政党が参画すれば、総選挙において示された『民意』に反する格好となるなど前進党支持者を中心に反発が強まることは必至と見込まれる。足下の同国経済を巡っては、中国経済の息切れや欧米など主要国景気の頭打ちなど外需を取り巻く不透明感が強まるなか、『政治空白』の長期化により適時適切な政策対応が採られないとの懸念が高まっているほか、中銀も今月初めの定例会合で利上げ局面の終了を示唆する考えをみせたことも重なり(注3)、足下のバーツ相場は調整の動きを強めている。仮に22日の首班指名選挙においても決まらない事態となれば、政治空白が一段と長期化することは必至であり、バーツ相場の調整の動きが加速するリスクを孕んでいる。

図 バーツ相場(対ドル)の推移
図 バーツ相場(対ドル)の推移

以 上

西濵 徹


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西濵 徹

にしはま とおる

経済調査部 主席エコノミスト
担当: アジア、中東、アフリカ、ロシア、中南米など新興国のマクロ経済・政治分析

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