タイ中銀、インフレ上振れ懸念と政策余地確保に向けて追加利上げを決定

~先行きの政策運営は環境次第の一方、政局を巡る不透明感が再燃する可能性には要注意~

西濵 徹

要旨
  • タイ中銀は2日に開催した定例会合において、政策金利を7会合連続で25bp引き上げる決定を行い、これに伴い政策金利は2.25%と9年半ぶりの水準となる。年明け以降の同国景気は中国のゼロコロナ終了による景気底入れに加え、インフレ鈍化による家計消費の底入れも重なり回復の動きを強めている。ただし、足下では外国人観光客は底入れが続く一方、世界経済の減速懸念が財輸出の重石となるなど、経済の外需依存度が比較的高いなかで景気の不透明感が強まっている。また、昨年の上振れの反動で足下のインフレ率は低下したものの、家計消費や観光関連の堅調さを追い風にインフレ圧力はくすぶる展開が続く。こうしたなか、中銀は先行きのインフレ上振れ懸念に加え、政策余地の拡大を図るべく一段の金融引き締めを決定した。中国による景気下支えの動きは景気の追い風となる一方、新たなインフレ圧力を招くなど政策運営に影響を与えると予想される。また、政治空白が長期化するなか、総選挙で第1党となった前進党が政権樹立に向けた8党合意から離脱することが明らかになり、政権樹立は前進する一方で政局が混乱する可能性もくすぶる。政治動向如何では落ち着いた推移が続くバーツ相場に影響を与えることも懸念される。

タイ経済を巡っては、ASEAN(東南アジア諸国連合)のなかでもGDPに占める輸出の比率が比較的高い上、財輸出の約15%、コロナ禍前には外国人観光客の3割強を中国(含、香港・マカオ)が占めるなど中国経済への依存度が高い特徴を有する。昨年の同国経済は、中国によるゼロコロナへの拘泥が景気の足かせとなる形で他のASEAN諸国に比べて力強さを欠く展開をみせたほか、昨年末時点の実質GDPもコロナ禍前を下回る水準に留まるなど、景気回復の遅れが鮮明となった。しかし、昨年末以降に中国がゼロコロナの終了に舵を切るとともに、年明け以降の中国景気は底入れの動きを強めるなど外需を巡る状況が改善したことも追い風に、今年1-3月の実質GDP成長率は前期比年率+7.82%と久々のプラス成長とになり、中期的な基調を示す前年同期比ベースでも+2.7%と伸びが加速するなど景気の底入れが確認されている(注1)。さらに、昨年は商品高による生活必需品を中心とする物価上昇に加え、国際金融市場における米ドル高を受けた通貨バーツ安による輸入インフレも重なり、インフレ率は大きく上振れして一時14年ぶりの高水準となるなど、実質購買力に下押し圧力が掛かる事態に直面した。よって、中銀は物価抑制を目的に昨年8月に利上げ実施に動き、その後も物価と為替の安定を目的に断続利上げを余儀なくされるなど、物価高と金利高が共存する事態となったことも、昨年末にかけての景気の足を引っ張る一因になったと考えられる。なお、昨年8月に前年比+7.86%と14年ぶりの水準となったインフレ率はその後、商品高の一服や米ドル高の一巡などインフレ圧力を招く材料が後退して頭打ちに転じるとともに、年明け以降は一段と頭打ちの動きを強めており、家計消費など内需の堅調さを促す一助となっている。さらに、直近6月のインフレ率は前年比+0.23%と目標域(2±1%)を下回る水準となっている上、食料品とエネルギーを除いたコアインフレ率も同+1.32%と目標域の下限付近に留まるなど落ち着きを取り戻している。さらに、一昨年以降はコロナ禍を受けた外国人観光客の減少を理由に経常収支は赤字基調に転じるなど経済のファンダメンタルズ(基礎的条件)の悪化もバーツ安を加速させる一因となり、バーツの対ドル相場は一時16年ぶりの安値を更新したものの、その後の経常収支は黒字に転じるなど改善したことはバーツ相場の底入れを促したとみられる。そして、上述したように足下のインフレ率は大きく鈍化しており、中銀による断続利上げも追い風に実質金利はプラスに転じるなど投資妙味が向上していることもバーツ相場が底堅く推移する一因になっていると考えられる。ただし、ゼロコロナ終了による底入れが期待された中国景気に早くも息切れ感が出ているほか、コロナ禍からの世界経済の回復をけん引してきた欧米など主要国景気も頭打ちの様相を強めるなど、足下においては外需を取り巻く環境に不透明感が増している。国境再開により外国人観光客数は底入れの動きを強めるも、依然としてコロナ禍前のピークの7割程度に留まる一方、世界経済の減速懸念の高まりを受けて財輸出は頭打ちしている。このように景気を巡る好悪双方の材料が混在するなか、中銀は2日に開催した定例会合において政策金利を7会合連続で25bp引き上げて、2.25%と9年半ぶりの高水準とする決定を行っている。会合後に公表した声明文では、今回も全会一致で決定された上で、今回の決定について「景気に不透明感はくすぶるが、持続的な物価安定の達成と金融不均衡の是正を図ることにより、長期的なマクロ金融環境の安定を促すとともに、政策余地の確保を目的としている」との考えを示した。その上で、同国経済について「外需に不透明感はくすぶるが、観光関連と家計消費をけん引役に全体的に回復が続く」との見方を示す。また、物価動向について「足下ではエネルギー価格の下落やベース効果、補助金などの影響で下振れしたが、年後半には再び上振れする」とした上で、「エルニーニョ現象の深刻化や景気底入れに伴う価格転嫁の加速が上振れ要因になる」との見通しを示している。先行きの政策運営については「物価の安定と潜在力に沿った持続可能な景気拡大、金融安定を目指す」との従来姿勢を示しつつ、「景気拡大が続くなかで余剰生産能力の縮小が進むと見込まれ、インフレの上振れリスクを注視する必要がある」として「景気と物価、関連するリスク評価を元に追加利上げの有無を検討する」との考えを示している。なお、足下において中国が景気下支えに舵を切る動きをみせていることは、上述のように中国経済に対する依存度が高い同国経済にとって追い風となることが期待される一方、景気の底入れが進むことで新たなインフレ圧力となる可能性はある。他方、同国では今年5月の総選挙後、未だに新政権樹立の見通しが立たないなど政治空白が長期化しているが(注2)、現地報道では総選挙において第1党となった前進党が政権樹立に向けた8党合意から離脱することが明らかになるなど、新政権発足の動きが前進すると期待される一方、同党支持者が反発を強めるなど政局を巡る混乱が高まる可能性もくすぶる。政局の行方は比較的落ち着いた推移をみせるバーツ相場にも影響を与える可能性もあり、当面は政治の動きに注意を払う必要性が高まっていると考えられる。

図1 インフレ率の推移
図1 インフレ率の推移

図2 外国人観光客数の推移(季節調整値)
図2 外国人観光客数の推移(季節調整値)

図3 財輸出額の推移(季節調整値)
図3 財輸出額の推移(季節調整値)

図4 バーツ相場(対ドル)の推移
図4 バーツ相場(対ドル)の推移

以 上

西濵 徹


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西濵 徹

にしはま とおる

経済調査部 主席エコノミスト
担当: アジア、中東、アフリカ、ロシア、中南米など新興国のマクロ経済・政治分析

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