タクシン派が中道右派の第3党と連立合意も、政権樹立の見通しは依然立たず

~両党は親軍派の合流を否定も「数の論理」を勘案すればその可能性大、政治空白長期化の懸念も~

西濵 徹

要旨
  • タイでは今年5月の総選挙で民主派が勝利を収め、次期政権樹立に向けた協議が進められている。しかし、第1党の前進党は急進的な政権公約を掲げるなか、親軍派や保守派の間に同党への拒否感が根強く、同党のピタ党首が首相になる芽は事実上潰えた。さらに、同党と連立合意した第2党の「タクシン派」貢献党は連立離脱を決定し、政権樹立に向けた動きが注目された。その後、貢献党は第3党の中道右派・誇り党との連立合意を明らかにしたが、両党は少数派に留まるなどその行方は不透明である。両党は親軍派との合流を否定するが、最終的には親軍派との連立に動く可能性はくすぶる。バーツ相場はこれまで政局と無関係な動きをみせてきたが、政治空白の長期化に加え、実質金利のプラス幅拡大を追い風とする投資妙味向上の低下が予想されるなか、今後はバーツ相場を巡る環境が一変する可能性に留意する必要がある。

タイでは、今年5月の議会下院(人民代表院)総選挙において『反軍政』を掲げる民主派の前進党が第1党に、いわゆる『タクシン派』のタイ貢献党が第2党となる一方、選挙前に与党を構成した親軍政党は軒並み議席を減らして少数派に転じるなど、民主派が勝利を収めた。また、総選挙の後には前進党と貢献党をはじめとする計8党が連立を形成するとともに、前進党のピタ党首を統一首班候補に指名することで合意するなど、新政権樹立を目指す姿勢をみせた。しかし、首班指名選挙では議会下院(総議席数:500)のみならず、議会上院(元老院:総議席数250)を併せた総勢750人が投票するなか、8党は議会下院でこそ多数派を占める一方、軍政下で国軍が指名した上院議員の大宗は親軍色、保守色が強い。さらに、総選挙で前進党とピタ氏は急進色の強い政権公約(不敬罪の緩和、徴兵制の廃止など)を掲げて躍進を遂げる一方、保守派の間にはこうした公約に対する拒否感が根強い。こうしたことも影響して、先月実施された首班指名選挙はピタ氏が唯一の立候補者となるも、同氏の得票数は半数を下回ったことで結果は持ち越された。その後に出直し選の実施が予定されたものの、直前に憲法裁判所が選挙管理委員会の申し立てに基づきピタ氏の議員資格を一時停止させる判断を下すとともに、出直し選もピタ氏が唯一の立候補者となったことを受けて、議会内では保守派が議会運営規則(一事不再議の原則)を盾に選挙そのものが中止に追い込まれた。その上で、議会はピタ氏に対して首班指名選挙の立候補資格を無効とする決定を行ったため、ピタ氏が首相に就任する芽は事実上潰えた。前進党は議会に対して決定の見直しを求める申し立てを行う一方、ピタ氏は首班候補を貢献党に譲るとともに、8党連立の維持を目指す考えを示した。こうしたことから、その後も8党は首班指名選挙に向けた調整を続ける一方、選挙日を決定する権限を有する下院議長は、上述のように前進党が議会の決定に対する見直しの申し立てを行っており、その司法判断を待つことを理由に延期する対応が繰り返されるなど『政治空白』が長期化している。他方、今月2日に貢献党は前進党との協議を経て協力関係を解消するとともに、総選挙において同党の首班候補のひとりに掲げたセター・タビシン氏(大手不動産開発企業の元社長)による政権樹立を目指すことを明らかにしており、8党連立は事実上瓦解した(注1)。貢献党がこうした判断を行った背景には、上述のように親軍派や保守派の間には前進党への拒否感が強いなか、貢献党に対して前進党を外した形での連立構想を模索すべく様々な形で『圧力』を掛けていたとされており、結果的に貢献党はそうした動きに押し切られたと捉えられる。なお、貢献党は連立形成に向けて各政党と協議を行っていたなか、7日に選挙前に連立与党の一角であったものの、親軍派ではなく中道右派的な色合いが強く、総選挙においては前進党、貢献党に次ぐ第3党となったタイの誇り党からの要請に応じる形で連立協議を行うことを明らかにした。両党は、①王室改革には触れない(不敬罪の緩和を行わない)、②前進党が連立政権に参加しない、③政権与党が少数派にならない、という3つの条件で合意していることを明らかにしている。ただし、貢献党(141議席)と誇り党(71議席)を併せても212議席に留まるなど、議会下院の半数(250)にも届いておらず、両党の合意にある少数与党にならないとした内容の履行のハードルは極めて高い。両党は親軍派との連立を否定する考えを示しているものの、誇り党と同様に中道右派と目される民主党(25議席)のほか、少数政党の一角で保守派(中道右派)と目されるタイ国民発展党(10議席)を併せても少数派に留まる。よって、最終的には親軍派政党(国民国家の力(40議席)、タイ団結国家建設党(36議席))との連立を模索せざるを得ない状況が考えられる。また、貢献党の実質的なオーナーであるタクシン元首相は今月10日に帰国を予定していたものの、自身のSNSに帰国を数週間遅らせる旨を明らかにしており、その理由に健康診断を挙げた。しかし、現実には上述のように政権樹立が手間取っていることが影響していると判断出来る。前進党による議会への申し立てを巡る司法判断は今月16日にも下される見通しであり、次回の首班指名選挙は早くても同日になることは避けられないものの、連立協議の行方如何ではこれが一段と後ろ倒しされる可能性はくすぶる。国際金融市場では、これまで同国の政局は材料視されて来なかったものの、政治空白の長期化を受けてその『見る目』に変化が生じつつある。足下のインフレ率は鈍化するなど実質金利のプラス幅拡大が投資妙味の拡大を促してきたものの、中銀は2日の定例会合において利上げ局面の終了を示唆する考えをみせており(注2)、今後は実質金利のプラス幅が縮小して投資妙味の低下が意識される可能性もある。政局の混乱をきっかけにバーツ相場を巡る環境が大きく変化することにも留意が必要と捉えられる。

図 バーツ相場(対ドル)の推移
図 バーツ相場(対ドル)の推移

以 上

西濵 徹


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西濵 徹

にしはま とおる

経済調査部 主席エコノミスト
担当: アジア、中東、アフリカ、ロシア、中南米など新興国のマクロ経済・政治分析

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