パキスタン、経済の立て直しが緒に就く一方、治安情勢の不安が再燃

~総選挙が近付くなかでイスラム過激派がテロを活発化、新たな懸念要因が再燃している模様~

西濵 徹

要旨
  • パキスタンはここ数年、外貨不足を理由とする経済危機に見舞われてきたが、先月にはIMFが約30億ドル規模の実施で合意した。中国も融資の借り換えや返済繰り延べに応じるなど、経済の立て直しに向けた動きが前進している。上振れしたインフレ率も頭打ちに転じているほか、通貨ルピー相場も落ち着きを取り戻すなど、経済を取り巻く状況は最悪期を過ぎつつある。他方、今年11月までに次期総選挙の実施が予定されるなど「選挙の季節」が近付くなか、ISなどイスラム過激派がテロ活動を活発化させている。イスラム過激派の動きに国内外から反発が強まり、今後は一段と対応が強化される一方、近年は同国内における中国権益を対象にテロを展開してきたことを勘案すれば、同様の動きが続く可能性がある。地政学上重要な同国の行方は日本にとっても対岸の火事ではなく、その動向を引き続き注視する必要性は高いと言える。

パキスタンでは、コロナ禍による景気低迷に加え、昨年は国土の3分の1が冠水する豪雨被害に見舞われる一方、商品高や国際金融市場での米ドル高による通貨ルピー安も重なりインフレは大きく上振れするなどなど経済に深刻な悪影響が出るなか、外貨準備不足を理由に対外債務のデフォルト(債務不履行)に陥ることが懸念されてきた。こうした事態を受けて、同国政府はデフォルト回避を目的に、諸外国に対して資金支援を要請したほか、IMF(国際通貨基金)からの支援受け入れに向けて燃料補助金廃止など財政引き締めに取り組むとともに、中銀も金融引き締めに動いてきた。他方、外貨の節約を目的に広く国民に対して節電を要請するとともに、割安なロシア産原油の輸入に動くとともに、その決済に人民元を利用するなど『何でもあり』の対応を進めてきた(注1)。こうした財政、及び金融政策面での努力も追い風に、IMFは6月末に同国に対する総額約30億ドル(22.5億SDR)規模のスタンドバイ取極に基づく融資実行に関する実務者合意に至ったほか(注2)、先月12日に開催した理事会で承認されるとともに、直ちに約12億ドル(8.94億SDR)の融資が実施されるなど経済の立て直しに向けた動きは着実に前進している。さらに、その後も中国政府が新たに6億ドル相当の融資の借り換えを承認するとともに、中国輸出入銀行も24億ドル相当の同国向け融資の返済を2年間繰り延べすることで合意するなどの動きも明らかになっている。先月末時点における外貨準備高は27.17億ドルと月平均輸入額の0.59ヶ月分に留まるなど、同国経済は深刻な外貨不足に直面してきたものの、その状況は改善に向かいつつあると捉えられる。また、年明け以降も一段と加速の動きを強めてきたインフレ率は足下で頭打ちに転じているほか、ここ数年は調整の動きが続いたルピー相場も落ち着いた推移をみせるなど、同国経済を取り巻く状況は最悪期を過ぎつつあると考えられる。他方、同国では昨年、議会下院(国民議会)においてカーン前首相に対する不信任決議が可決されて即日失職する事態に追い込まれるとともに、その後にシャバズ・シャリフ現政権が発足した。ただし、カーン氏の失職に抗議すべく同氏に近い多数の議員が辞職し、議会下院は4割近くが空席となる事態となっているものの、その後も補欠選挙が行われず、カーン氏やその支持者が断続的にデモを展開する状況が続いてきた。今年5月にはカーン氏が一時逮捕されたことを機に政局を巡る混乱が激化する懸念が高まったものの(注3)、直後に最高裁判所がカーン氏の釈放を命令する判断を下したことで、事態が混迷の度合いを増す事態は避けられた。なお、議会下院の任期と憲法規定を勘案すれば、次期総選挙は今年11月10日までに実施する必要があるため、最長でも残り3ヶ月程度となるなど『政治の季節』が近付いており、各政党は次期総選挙に向けた選挙活動を活発化させている。こうしたなか、先月末以降に過激派組織のIS(イスラム国)がイスラム強硬派と繋がりが深いとされる保守派政党を標的とする自爆テロを展開するとともに、「真のイスラム教に敵対する民主主義への戦争」を標ぼうするなど民主主義そのものに対して反発している模様である。暴力を通じた民主主義への挑戦などはまったく許されるものではなく、諸外国がこの動きに対して対応を強化する姿勢を示しており、総選挙に向けて双方の動きが活発化していくことが予想される。また、同国においてISをはじめとするイスラム過激派は、中国が展開する外交戦略である一帯一路の一環で実施している中国パキスタン経済回廊を非難し、関連する権益を対象に断続的にテロ攻撃を展開してきた経緯があり、同様の動きが今後も活発化することは想像に難くない。その意味では、上述のように経済の立て直しに向けた動きは緒に就いたばかりであるものの、早くも政治を巡る動きが新たな波乱要因となる可能性に注意が必要になっている。同国はインド洋における地政学上重要な要衝のひとつであり、地域情勢の行方のみならず、シーレーンを通じて日本にも影響を与えることを勘案すれば、その動向に注意を払う必要があることは間違いないと言える。

図1 外貨準備高の推移
図1 外貨準備高の推移

図2 インフレ率の推移
図2 インフレ率の推移

図3 ルピー相場(対ドル)の推移
図3 ルピー相場(対ドル)の推移

以 上

西濵 徹


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西濵 徹

にしはま とおる

経済調査部 主席エコノミスト
担当: アジア、中東、アフリカ、ロシア、中南米など新興国のマクロ経済・政治分析

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