インドネシア大統領選、主な顔ぶれが勢ぞろいで選挙戦実質スタート

~主要3氏が主要政党からの出馬意向を表明、台頭する宗教右派の動きなどに注意を払う必要がある~

西濵 徹

要旨
  • インドネシアでは来年2月に大統領選と総選挙などが実施されるなど「政治の季節」が近付いている。現憲法では現職のジョコ大統領は出馬出来ないために「その後」の行方に注目が集まるが、同国政界では台頭する宗教右派を意識する向きが強まっている。与党連立内では国防相のプラボウォ氏、前ジャカルタ州知事のアニス氏がすでに出馬する意向を示すなか、最大与党の闘争民主党は出馬の意向を示してきた中ジャワ州知事のガンジャル氏がジョコ氏の後継となることを決定した。3氏はこれまで世論調査で一貫して上位の3位を占めてきたことを勘案すれば、主な顔ぶれが揃い事実上選挙戦がスタートしたと捉えられる。
  • 現職ジョコ氏の人気の高さはガンジャル氏に追い風となってきたが、U-20サッカーW杯の開催権はく奪は同氏のSNS投稿も影響するなど逆風が吹いている。アニス氏やプラボウォ氏は過去に宗教右派を意識した選挙戦を展開しており、次期大統領選に向けてそうした動きが一段と強まる可能性は考えられる。他方、今後は副大統領候補選定に向けて政党間の合従連衡が活発化する。ただし、いずれの候補もジョコ氏と異なる特徴を有する上、その政治手法の動向も含めて同国の行方に与える影響を注視する必要があろう。

インドネシアでは、来年2月に大統領選挙(第1回投票)と国民協議会下院(国民議会)総選挙の実施が予定されており、残すところ1年を切るなど『政治の季節』が着実に近付いている。現行憲法においては大統領の連続3選が禁止されており、現在2期目を務めるジョコ・ウィドド大統領は選挙に出馬することが出来ないものの、同氏は足下においても高い支持率を誇るなかで『その後』の行方に注目が集まっている。他方、2019年の前回大統領選においては、同国においてここ数年台頭の動きが著しい宗教右派(宗教保守主義)を強く意識した選挙戦が展開されるとともに(注1)、ジョコ政権が2期目入りする直前には拙速な法改正を通じてイスラム色の強化や民主化の後退に繋がる動きが顕在化している(注2)。さらに、昨年末にかけて行われた法改正においても、報道の自由やプライバシー、及び人権侵害を招く可能性が懸念されるとともに、宗教と人種を強く意識した『内向き姿勢』の強い内容が盛り込まれるなど、次期大統領選や総選挙を強く意識した動きが前進している(注3)。なお、ジョコ政権2期目を巡っては、前回大統領選においてジョコ氏と激戦を演じたプラボウォ・スビアント氏が国防相に就任するとともに、同氏が率いるグリンドラ党も与党連立入りする『大連立』が組まれたため、政権運営に当たっては不満が表面化する事態は避けられてきた。ただし、捲土重来を期する意向を示すプラボウォ氏は次期大統領選での『3度目の正直』を果たすべく、昨年8月に自身が属するグリンドラ党の大統領候補となることを表明するなど、事実上次期大統領選の口火が切られた格好である。その後も昨年10月には、ジャカルタ特別州の州知事であったアニス・バスウェダン氏が任期途中で辞任するとともに、与党連立内のナスデム(国民民主)党の大統領候補として出馬する意向を表明している。他方、ジョコ氏が属する最大与党の闘争民主党ではメガワティ・スカルノプトリ党首(元大統領)の意向が大きな影響力を有するなか、上述のようにジョコ氏の人気が高い状況が続くなかで『ポスト・ジョコ』の選定を巡って右往左往する動きがみられた。というのも、メガワティ氏はスカルノ元大統領の長女であり、次期大統領に実の娘であるプアン・マハラニ国民議会議長の擁立を目指していたとされるが、プアン氏は国民のみならず党内においても人気・人望ともに低いとされるなかでその決定が注目された。こうしたなか、闘争民主党は21日に開催した党大会において従前より次期大統領選への出馬の意向を示していた中ジャワ州知事のガンジャル・プラノウォ氏を同党の大統領候補に擁立する方針を表明し、ジョコ氏はガンジャル氏を『後継者』とする考えを示している。なお、与党連立内においては、第2党のゴルカル党から党首のアイルランガ・ハルタルト氏(経済担当調整相)や西ジャワ州知事のリドワン・カミル氏が、第5党の民族覚醒党から党首のムハイミン・イスカンダル氏(国民議会副議長)の出馬も取り沙汰されている。とはいえ、世論調査において常に上位を争っているプラボウォ氏、アニス氏、そして、ガンジャル氏が正式に出馬する方針が示されたことで、大統領選は事実上スタートしたと捉えられる。

上述したように世論調査おいてはプラボウォ氏、アニス氏、ガンジャル氏が次期大統領選に向けて上位を争う展開が続いてきたほか、現職のジョコ氏の人気の高さも影響してガンジャル氏が勢いを増す動きもみられた。しかし、来月に同国での開催が予定されていたU-20(20歳以下)サッカーワールドカップについてFIFA(国際サッカー連盟)が3月末に開催権をはく奪する決定を行い、その理由に同大会への出場予定であったイスラエル代表に対する同国内での対応を挙げた(注4)。この問題を巡っては、ガンジャル氏が自身のSNSにおいてイスラエル代表を排除するよう求める意見を表明したことで事実上デモ隊を煽り、結果的に組み合わせ抽選会が中止され、大会そのものも開催中止に追い込まれる事態に発展した。なお、同国においては若年層を中心にサッカー熱が高く、各候補者にとっては次期大統領選に向けては若年層の取り込みが重要と考えているにも拘らず、今回のFIFAによる決定を受けてガンジャル氏に一転して逆風が吹いており、直近の世論調査においてはガンジャル氏が辛うじて優勢を維持するも、プラボウォ氏の猛追を受けるなど風向きは怪しさを増している。さらに、同国は昨年のG20(主要20ヶ国・地域)議長国として一定の存在感を示すことに成功したものの、今回のFIFAによる決定は同国が国威発揚を目的に2034年のASEAN(東南アジア諸国連合)と共催を目指すサッカーW杯、2036年の夏季オリンピックの招致にも冷や水を浴びせる格好になったと捉えられる。他方、アニス氏は自身が当選した2017年のジャカルタ特別州知事選において、宗教右派を扇動する戦略を採ることで保守的な有権者の支持を固める選挙戦を展開したほか(注5)、当時はプラボウォ氏がアニス氏を支持した経緯もある。また、プラボウォ氏自身を巡っても軍人時代に東ティモールにおいて人権侵害を行った容疑で告発された経緯を有するとともに、強権政治を志向する傾向を有するとされる。その意味では、現時点において次期大統領選への出馬を明確に表明しているいずれの候補者も、宗教右派を意識した選挙戦を展開する可能性は高いと予想される。なお、今後各陣営は10月に予定される候補登録までにタッグを組む副大統領候補の選定を急ぐと見込まれるものの、前回の大統領選においても副大統領候補の選定がカギを握ったことを勘案すれば、各政党間の合従連衡を含めた動きが活発化すると見込まれる。しかし、いずれの候補もジョコ氏のような『庶民派』とまったく異なる顔を有するとともに、政治手法やその手腕についても不透明ななか、同国経済の持つ潜在力を活かすことが出来るか、ジョコ政権の『遺産』である首都機能移転も含めてその行方を注視する必要は高いと言える。

以 上

西濵 徹


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西濵 徹

にしはま とおる

経済調査部 主席エコノミスト
担当: アジア、中東、アフリカ、ロシア、中南米など新興国のマクロ経済・政治分析

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