ペロシ米下院議長の台湾訪問、米中関係や東アジア情勢への影響は

~緊張状態の継続を前提にサプライチェーンの再構築などの取り組みは必至と見込まれる~

西濵 徹

要旨
  • 米連邦議会下院のペロシ議長は台湾を訪問した。米国は台湾問題を巡って長年「戦略的なあいまいさ」を維持する一方、バイデン大統領は度々台湾防衛に言及して中国の反発を招いた。ペロシ氏は元々中国に強硬姿勢をみせてきたが、近年台湾を訪問した米国要人のなかでレベルは突出している。他方、中国は共産党大会を控えるなど政治的に重要な時期であり、弱腰姿勢は習近平指導部の足元を揺るがす懸念もあり高い球を投げざるを得ない状況にある。その意味では米中関係の緊張状態は大きく高まることは避けられない。
  • なお、ペロシ氏は台湾の民主主義の支援を理由に掲げるが、劣勢が続く中間選挙への局面打開との見方もある。他方、中国は早速反発を強め、軍事的挑発や台湾への経済制裁、サイバー攻撃など「嫌がらせ」に動いている。また、ロシアと北朝鮮が中国を支援しており、ウクライナ問題を巡り鮮明化した欧米などと中ロなどとの分断は一段と広がる可能性が高い。他方、バイデン政権が目論んだ対中制裁の見直しは暗礁に乗り上げる一方、政治・経済的安定を求める中国は米国との正面衝突は避けたいなかで難しい対応を迫られる。米中及び東アジア地域の緊張状態を前提に、サプライチェーンの再構築などに取り組む必要性は高まっている。

米連邦議会下院のナンシー・ペロシ議長は、下院の民主党議員団を率いる形でのアジア諸国の歴訪に際して2日夜に台湾に到着した。ペロシ氏の台湾訪問を巡っては、先月に突如その可能性に関する報道がなされて以降その行方に注目が集まってきた。訪問直前の先月末に行われた電話による米中首脳会談においては、両首脳の間で気候変動や公衆衛生に関する問題など米中間や東アジア、世界にまたがる諸課題に関して議論が交わされた一方、バイデン大統領は習近平国家主席に対して、台湾に対する米国の政策は不変であり、現状変更や台湾海峡の平和及び安定を脅かす一方的な取り組みに対して断固反対する旨を強調したとされる。他方、上述の報道を受けて中国政府は「断固とした強力な措置」の行使を示唆したほか、同国国防部も「決して傍観しない」との姿勢を示すとともに台湾周辺での実弾演習を実施するなど、けん制の動きを強めてきた。この背景には、中国は「一つの中国」という原則を掲げるなかで台湾を「核心的利益」に据える一方、米国は1979年に制定した台湾関係法に基づいて長年に亘り『戦略的あいまいさ』とされるスタンスを維持したが、ここ数年は米中関係の悪化により米国が台湾に対するスタンスを徐々に変更させてきたことがある。さらに、バイデン大統領は度々米国が台湾防衛に対する責務があると述べるとともに、これに対して中国が反発するなど、台湾問題が米中間の新たな火種となる可能性が高まってきたこともある。そして、ペロシ氏自身はこれまでも中国における人権抑圧に対する強硬姿勢を示しており、1991年の訪中に際しては2年前に発生した天安門事件における弾圧を批判する横断幕を天安門広場で掲げたほか、2008年の北京夏季五輪へのボイコット、今年の北京冬季五輪への外交的ボイコットを提唱したことなどで知られる。他方、今年の中国は秋に5年に一度の共産党大会(中国共産党第20回全体会議)の開催を控え、同大会で習近平指導部は異例の3期目入りを目指すなど政治的に極めて重要な時期であり、政治及び経済などあらゆる面で安定が重視される状況にある。その一方、中国国内において『弱腰』と受け取られかねない姿勢をみせれば、盤石とされる習近平指導部さえその足をすくわれる一因となり得るため、結果的に米中双方が『高い球』を投げあう状況に陥っていると捉えられる。なお、ここ数年は米中関係の悪化も追い風に米国の要人及び元高官などが公式、非公式の形で度々台湾を訪問する動きはみられたものの、連邦下院議長は大統領権限の継承順位が副大統領に次ぐ2位であるなど現役高官のなかでもレベルが異なる。現職の連邦下院議長による台湾訪問は1997年のニュート・ギングリッチ氏以来であり、ギングリッチ氏は当時の李登輝総統と会談を行い中国が猛反発した経緯がある。ペロシ氏は蔡英文総統と会談するなど、中国政府が反発を強めることは必至とみられる。

ペロシ氏は今回の台湾訪問について、「台湾の民主主義を支援することに対する米国の揺るぎない関与を示すもの」との考えを示す一方、「長年の米国の政策とは矛盾せず、一方的な現状変更の試みに反対する」と述べるなど、米国の台湾政策は変更しないと強調する姿勢をみせる。なお、このタイミングでの訪問については、今年11月に実施される中間選挙を巡ってバイデン政権及び与党・民主党が苦境に立たされる展開が続くなか、明確な対中姿勢を示すことで局面打開を狙ったものとの見方もくすぶる。他方、中国はペロシ氏の台湾訪問について、「政治的な挑発行為」として厳重に非難するとともに、「両国関係に深刻な悪影響を与える」として断固反対する考えを示したほか、「必要なあらゆる措置を講じることに伴う一切の結果の責任は米国と台湾独立勢力が負わねばならない」などと対抗措置を取る考えを示している。すでに中国は台湾の防空識別圏に大量の戦闘機を進入させるなどの挑発行動のほか、台湾周辺での軍事演習を開始するとともに、台湾からの輸入品や台湾企業を対象とする経済制裁の発動に踏み切るほか、台湾総督府のサイトに対して中国発とみられるサイバー攻撃が行われるなど、全方位で『嫌がらせ』の動きを活発化させている。他方、ペロシ氏の台湾訪問に対しては、ロシアが「中国への明確な挑発行為と見做す」と米国を非難するとともに、「地域の安定と国際的な安全保障を損なう行動を慎み、米国の覇権が存在しない新たな地政学の実現を認めるよう求める」との声明を発表するなど、中国の姿勢を支援する動きをみせている。これは、ロシアによるウクライナ侵攻を巡って、中国が明確なスタンスを示さない背後で事実上是認する対応を続けてきたことも影響していると考えられる(注1)。さらに、北朝鮮もペロシ氏の台湾訪問を中国国内における内政干渉として米国を非難する考えを示しており、ウクライナ問題を巡って欧米などとロシア及び中国などとの分断が鮮明になる動きがみられたものの、一段と分断が広がる可能性が高まっている。なお、上述のように中国は政治、経済の両面で安定が最も重視される時期にあるなか、表面的には対抗措置をほのめかすなど高い球を投げ続ける必要がある一方、足下の同国経済はコロナ禍も影響して厳しい状況に直面しており(注2)、経済への悪影響が懸念される軍事的衝突は避けたいとの思惑もあるなかで難しい対応が迫られる状況にある。一方、米バイデン政権にとっては足下の物価高が中間選挙の逆風となるなか、トランプ前政権が中国に対して発動した通商法301条に基づく制裁関税の見直しを検討してきたものの、両国関係の悪化に伴い交渉が暗礁に乗り上げる可能性は高まったとみられる。よって、現状において米中両国の正面衝突に発展する可能性は高くないと見込まれるものの、両国及び両陣営による交渉のチャネルが細ることになれば偶発的な衝突に発展するリスクが急速に高まることも懸念される。米中関係、東アジア情勢を巡って緊張状態が続くことは避けられないと見込まれるなか、こうした状況を前提にサプライチェーンの再構築をはじめとする事業構造の転換などに取り組むことがこれまで以上に不可欠になっている。

以 上

西濵 徹


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西濵 徹

にしはま とおる

経済調査部 主席エコノミスト
担当: アジア、中東、アフリカ、ロシア、中南米など新興国のマクロ経済・政治分析

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