トルコ、感染一服が進むもリラ相場を取り巻く不透明要因は拭えず

~不透明要因が山積するなか、短期志向の強い投資家の「ゲーム」に晒される展開が続こう~

西濵 徹

要旨
  • 足下の世界経済は、主要国で感染収束やワクチン接種を追い風に景気回復が続く一方、新興国で変異株による感染再拡大が広がるなど、好悪双方の材料が混在する。トルコは3月以降「第3波」に直面したが、行動制限の強化やワクチン接種の加速を背景に、新規感染者数は頭打ちするなど事態打開の兆しが出ている。ワクチンの有効性に対する疑念に加え、「人流」拡大は再拡大を招くリスクがある一方、感染収束が進めば新型コロナ禍からの経済の立て直しが急務となる政権にとって「最悪の事態」を脱しつつあると捉えられる。
  • ここ数年のトルコは経済のファンダメンタルズの脆弱さに加え、中銀の独立性への懸念、対外関係の悪化などを理由に資金流出圧力に直面してきた。年明け以降も3月に利上げを断行した前中銀総裁が更迭されたほか、後任総裁に就任したエルドアン大統領の腹心の下で中銀は「タカ派」姿勢が後退するとともに、今月初めには大統領が中銀に利下げ実施を求めていることを明らかにした。中銀は17日の定例会合で政策金利を据え置いたが、大統領は8月ないし9月の利下げ開始を求めるなど「圧力」が強まることは避けられない。
  • 外交面では、4月の米バイデン政権によるオスマン帝国時代のアルメニア人殺害事件の「ジェノサイド」認定が関係悪化を招くと懸念された。今月14日にはバイデン大統領とエルドアン大統領の初の直接会談が行われたが、主要問題を巡る対立は残ったままの模様である。結果、米土関係が大きく改善に向かうとは見通しにくく、トルコ・リラ相場は今後も短期志向の強い投資家による「ゲーム」に晒される展開が続くであろう。

足下の世界経済を巡っては、欧米や中国など主要国で新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)の感染収束やワクチン接種を背景に経済活動の正常化が進むなど景気回復を促す動きがみられる一方、新興国では感染力の強い変異株による感染再拡大を受けて行動制限が再強化されるなど景気に冷や水を浴びせる動きがみられるなど、好悪双方の材料が混在している。一方、国際金融市場は全世界的な金融緩和を背景に『カネ余り』の様相を強めるなか、世界経済の回復を受けて活況を呈するとともに、より高い収益を求める動きも活発化して実体経済を下支えすることが期待されたものの、米FRB(連邦準備制度理事会)は直近のFOMC(連邦公開市場委員会)において利上げの前倒しに加え、量的緩和政策の縮小に関する討議を示唆したことで動揺する可能性がくすぶる。こうしたなか、トルコにおいても今年3月以降に変異株による感染が再拡大する『第3波』に直面し、政府は人の移動が活発化する夏季休暇に向けて行動制限を再強化するなど感染対策に動くとともに、世界的にワクチン接種が『切り札』となるなかで中国による『ワクチン外交』も追い風にワクチン確保を積極化させた。さらに、政府はワクチン接種の裾野を広げることで早期の集団免疫の獲得を目指す姿勢をみせており、今月16日時点における完全接種率(必要な接種回数をすべて受けた人の割合)は16.70%と世界平均(9.58%)を上回り、部分接種率(少なくとも1回は接種を受けた人の割合)も28.05%と世界平均(21.12%)を上回るなどワクチン接種は大きく先行している。こうした動きも追い風に、1日当たりの新規感染者数は4月半ばを境に頭打ちしているほか、死亡者数の拡大ペースも鈍化傾向を強めるなど一定の効果を挙げていると考えられる。ただし、同国で積極的な接種が進む中国製ワクチンを巡っては、ブラジルでの治験で感染拡大の制御や死亡の抑制に一定の効果があったとする結果がみられる一方、ほぼすべての国民がワクチン接種している上にワクチン接種の約8割を中国製ワクチンが占めるチリでは変異株による感染が再拡大する動きがみられるなど1 、その有効性に対する疑問が残る。とはいえ、上述のように足下における新規感染者数や死亡者数が頭打ちの動きを強めていることはワクチン接種の進展による効果が上がっていることを示唆しており、こうした動きを追い風に人の動きが底入れの動きを強めていることは、過去数ヶ月に亘って頭打ちの様相を強めている企業部門や家計部門のマインドの底打ちを促すと見込まれる。トルコでは最長で向こう2年間は選挙(大統領選及び大国民議会選挙)が行われないなど『政治の季節』は遠のいているものの、それまでに新型コロナ禍で疲弊した経済の立て直しを図りたいエルドアン政権及び最大与党AKP(公正発展党)にとり『最悪の事態』は避けられていると捉えられる。

図1 ワクチン接種率の推移
図1 ワクチン接種率の推移

図2 新型コロナの新規感染者数・死亡者数(累計)の推移
図2 新型コロナの新規感染者数・死亡者数(累計)の推移

他方、ここ数年のトルコは経常赤字と財政赤字の『双子の赤字』に加え、インフレの常態化という経済のファンダメンタルズ(基礎的条件)の脆弱さを理由に、国際金融市場が動揺する局面では常に資金流出圧力が強まり、結果的に通貨リラ安の進展が輸入物価を通じてインフレ圧力を増幅させる悪循環が続いている。さらに、過去数年の同国においては度々中銀の独立性が脅かされる動きがみられたほか、経済のファンダメンタルズの脆弱さに加え、隣国シリア情勢の悪化による地政学リスクに対する懸念、米国やEU(欧州連合)などとの関係悪化といった諸要因も重なり、資金流出圧力が強まる事態に発展するなどの動きもみられた。年明け以降に限っても、今年3月にはインフレリスクとリラ安懸念に対応して中銀が大幅利上げの実施を決定したことを受け2 、直後に当時のアーバル総裁が更迭されるとともに後任総裁にエルドアン大統領の『腹心』のひとりであるカブジュオール氏が就任するなど中銀の独立性に対する懸念が再燃した3 。カブジュオール総裁の下では中銀はアーバル前総裁の下で信認向上に向けて前進した『タカ派』姿勢が大きく後退するとともに4 、今月初めにはエルドアン大統領がテレビ取材でカブジュオール総裁に対して利下げ実施を求めたことを明らかにしたため5 、リラ相場を巡る波乱要因となった。ただし、エルドアン大統領はテレビ取材に対して「7月ないし8月に金利が低下し始める必要がある」と述べたことで7月の定例会合は『様子見』を図るとみられたなか、中銀は17日に開催した定例会合で政策金利である1週間物レポ金利を3会合連続で19.00%に据え置く決定を行った。会合後に公表された声明文では、世界経済について「先進国を中心とするワクチン接種が景気回復を支える一方、国際商品市況の上昇が物価上昇圧力に繋がり国際金融市場への影響が懸念される」とした上で、同国経済は「外需の堅調さに加え、ワクチン接種を受けて内需を取り巻く状況も改善している」とした上で「商品市況の上昇にも拘らず対外収支は改善が見込まれる」との見方を示した。一方、物価動向については「輸入物価や需要動向、一部セクターでの供給制約、インフレ期待の高さが物価動向及びインフレ見通しのリスクになる」としつつ、「金融引き締めによる信用収縮や内需への影響が顕在化しつつある」として「インフレ率の大幅低下が達成されるまでは現行の政策スタンスを維持する」との文言を据え置いた。先行きの政策運営については「インフレ率の恒常的低下により中期目標である5%に到達するまでは強力なディスインフレ効果を維持すべく政策金利はインフレ率を上回る水準とする」とした上で、政策スタンスについても引き続き「物価安定、リスク・プレミアムの低下、通貨安定、外貨準備の蓄積、資金調達コストの低下を通じてマクロ経済及び金融の安定を目指す」とともに「投資、生産、雇用の健全かつ持続的な成長の基盤構築を目指す」として、「透明性が高く、予見可能なデータに基づく形で意思決定を行う」との考えを維持した。直近5月のインフレ率は前年同月比+16.59%と前月(同+17.14%)から伸びが鈍化するなど頭打ちする兆候はうかがえる一方、足下の国際原油価格は世界経済の回復期待も追い風に底入れの動きを強めており、物価上昇圧力の再燃に加え、対外収支構造の悪化を招くリスクがあることを勘案すれば、慎重な政策運営が求められる状況は変わらないものの、今後は徐々に大統領周辺からの『圧力』が強まることは避けられないであろう。

図3 インフレ率の推移
図3 インフレ率の推移

図4 貿易収支の推移
図4 貿易収支の推移

なお、外交関係の悪化をきっかけとするトルコ金融市場の動揺を巡っては、今年4月に米バイデン政権がオスマン帝国時代のアルメニア人殺害事件を「ジェノサイド(民族大量虐殺)」に認定するとともに犠牲者を追悼する声明を発表したことをきっかけに、トルコ政府が「ポピュリズム(大衆迎合主義)に基づく声明であり、完全に拒否する」(チャブシオール外相)との反応をみせたほか、トルコ外務省も駐土米大使を呼び出して抗議するとともにエルドアン大統領も認定の撤回を呼び掛けるなど、米土関係が急速に悪化することも懸念された6 。トルコは中東地域における地政学上の『要衝』であるとともに、NATO(北大西洋条約機構)加盟国であるなど軍事面でも重要な関係にあるなか、米土関係の悪化は決して望ましい結果を招くことはないにも拘らず、過去の歴代政権が明確な動きを避けてきた認定に米バイデン政権が踏み切った背景に国内へのアピールが影響していることを勘案すれば、同政権の外交政策の不透明要因となることが懸念された。他方、今月開催されたG7サミットやNATO首脳会議に併せて開催されたバイデン大統領とエルドアン大統領の初めての直接会談では、会談後に両者が「建設的な協議」との見方を示したものの、トルコが導入したロシア製地対空防衛ミサイルシステム(S400)やシリア情勢、パレスチナ情勢といった両国間の問題に関する対立は残されたままの模様である。今後は両国間で具体的な詰めの作業を行うことは明らかにされたものの、S400については米議会がトルコの政府高官や軍関係者に対して敵対者に対する制裁措置法(CAATSA)に基づく制裁決議を行い、トランプ前政権が制裁を決定するなど、議会を巻き込む形で安易な妥協が難しい問題となっている。元々バイデン大統領自身がエルドアン大統領に対して『不信感』を抱いていることを勘案すれば、両国関係が以前のような形に戻る可能性は極めて低いと見込まれ、引き続きトルコ・リラ相場の混乱要因となることは避けられないと予想される。その意味では、先行きのトルコ・リラ相場は引き続き短期志向の強い投資家を中心にした『ゲーム』に巻き込まれる展開が続くことは避けられそうにない。

図5 リラ相場(対ドル)の推移
図5 リラ相場(対ドル)の推移

以上

西濵 徹

西濵 徹

にしはま とおる

経済調査部 主席エコノミスト
担当: アジア、中東、アフリカ、ロシア、中南米など新興国のマクロ経済・政治分析

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