インド・モディ政権、総選挙を前に再び「ナショナリズムの高揚」に訴える

~前回総選挙同様にナショナリズムの後押しを求め、今回は改正国籍法の施行に舵を切る~

西濵 徹

要旨
  • インドでは来月から1ヶ月に亘る総選挙が予定されるなど政治の季節は佳境を迎えている。世論調査では与党連合が勝利するとの見方が示されるなど、モディ政権の3期目入りは既定路線入りしている。他方、前回総選挙前にはナショナリズムの高揚に訴える手法が採られたが、モディ政権は11日に改正国籍法の施行を決定した。同法は2019年に国会で成立したが、その後に抗議運動が活発化して施行が先送りされた経緯がある。ヒンドゥー至上主義を掲げる与党BJPを後押しすべく再びナショナリズムの高揚に訴える手法が採られた格好だが、この決定が与党やモディ政権の追い風となり得るかは現時点では未知数と言える。
  • 他方、先月公表されたGDP統計は成長率の加速が示唆されたものの、その内容を巡って作為が懸念される動きがみられた。また、モディ首相は投資拡充により政権3期目のうちに経済規模を世界3位に押し上げるとの考えを示すが、自然体で実現可能な数字を目標に掲げる苦しさがうかがえる。国際金融市場では主要株価指数が最高値を更新するなど期待を集める動きがみられるが、製造業が育たないなどボトルネックも山積する。ナショナリズムの高揚に訴える政治手法は過去にもリスク要因と見做されたなか、インドが期待を超える形で変貌を遂げられるか、モディ政権3期目に寄せられる注目はいやが上にも高まるであろう。

インドでは、来月から1ヶ月間に亘る連邦議会下院(ローク・サバー)の総選挙が予定されるなど『政治の季節』はいよいよ佳境を迎えている。モディ首相は総選挙後の政権3期目入りを目指すとともに、与党BJP(インド人民党)も総選挙での勝利を意識して支持層を強く意識した動きをみせている。昨年末に実施された『前哨戦』となる州議会選では、5州のうち3州でBJPが勝利し、BJPと連立を組む地域政党が1州で政権を維持したほか、残り1州では最大野党の国民会議派が勝利するもBJP自体は議席を増やしており、モディ政権とBJPの強さがあらためて示された。世論調査においては、一貫してBJPを中心とする与党連合(NDA(国民民主連合))が半数を上回る議席を獲得するとの見方が示されてきた。こうしたなか、今月発表された最新の世論調査では現有議席数を上回る議席を獲得するとの見通しが示されるなど、最終盤にかけて与党連合は勢いを増している様子がうかがえる。よって、モディ政権の3期目入りはほぼ手中にあると捉えられるものの、モディ政権は勝利を一段と確実にすべく駄目を押す戦略に打って出た。なお、2019年の前回総選挙に際しては、直前に隣国パキスタンと領有権を争うカシミール地方を巡る緊張状態が高まり、48年ぶりとなるパキスタンへの空爆に動くなど強硬姿勢に出ることで国内に強い指導者像をアピールするとともに、ナショナリズムの高揚に訴える動きをみせた。足下のパキスタンはデフォルト(債務不履行)の瀬戸際にあるとともに、2月に実施された総選挙を経てシャバズ・シャリフ政権が継続することが決まるなど、両国関係は比較的良好な状態にあると捉えられる。こうしたなか、モディ政権は11日に改正国籍法(CAA)を施行することを発表した。改正国籍法は2019年12月に連邦議会で成立したものの、その後に北東部を中心とする各地で抗議活動が発生するとともに、宗教間衝突が起こるなど混乱が長期化して施行が先送りされた経緯がある。改正内容を巡っては、隣国であるアフガニスタン、バングラデシュ、パキスタンの3ヶ国を逃れてインドに不法入国した移民を対象に国籍を与えるものの、その対象を各国で宗教的マイノリティーであるヒンドゥー教とパーリ教、シーク教、仏教、ジャイナ教、キリスト教に限定する一方、イスラム教を含まないことにより国内のイスラム教徒を差別するものとして批判が高まった。こうした内容が盛り込まれた背景には、与党BJPがヒンドゥー至上主義を党是としている上、その支持母体であるRSS(民族義勇団)を中心とする圧力も影響してモディ政権やBJPが前回総選挙の公約に掲げたことも影響している。当時の抗議行動では、知識人や学生を中心に幅広く若者も参加するなど2014年の総選挙でモディ政権の誕生を後押しした層にも広がりをみせたなか、現状において今回の決定がどのような形で影響を与えるかは見通しが立ちにくい。すでに野党は反発の動きを強めているほか、イスラム教徒が多く住む東部の西ベンガル州や北東部のアッサム州、南部のケララ州などで抗議活動が発生する動きがみられるなか、今回も前回同様にナショナリズムの高揚に訴えた手法がモディ政権、与党BJPにとっての追い風となるかは未知数と捉えられる。

他方、先月末に政府が公表した昨年10-12月の実質GDP成長率を巡っては、前年比の伸びが+8.4%と加速するなど景気の好調さを示唆する内容となったものの、需要サイドの統計と供給サイドの統計の間で異なる動きをみせるなど疑義が生じるものであった(注1)。具体的には、供給サイドの統計である実質GVA(総付加価値)成長率は前年比+6.5%と鈍化しているほか、モディ政権の下では過去にも度々GDP統計が作為的に操作されているとも採れる動きが確認されてきたこともある。さらに、インドをはじめとする多くの新興国が採用する前年比ベースの成長率は実態に比べて数字が大きく上振れする傾向があり、景気動向を精緻に推し量ることが難しいことに留意する必要がある。その上で、供給サイドの統計を元に季節調整値に基づく景気実勢を図る前期比年率ベースの成長率を試算すると、昨年後半以降の景気は足踏み状態にあると捉えられる。モディ政権にとってこうした数字は総選挙を控えるタイミングで追い風になりにくく、GDP統計を巡って再び『作為』が疑われる動きをみせた可能性は否定できない。こうしたなか、モディ首相は総選挙を前に各地を訪問して事実上の選挙遊説に動くとともに、2047年までに現在の低中所得国から先進国に押し上げるとの公約を掲げるなか、巨額のインフラ投資のほか、AI(人工知能)関連をはじめとするスタートアップ企業への資金支援を拡充することにより、政権3期目のうちに同国経済を現在の世界5位から3位の規模に押し上げるとの考えを示している。ただし、インドは財政面での制約が多いことに加え、モディ氏が訴えた巨額のインフラ投資についてもその大宗は政権発足前から実施されているプロジェクトや発足後に始まったプロジェクトの進捗を足し合わせたものに過ぎないとの見方も示されており、どれほど追加的な押し上げに繋がるかは不透明である。さらに、昨年末にIMF(国際通貨基金)が公表した最新の経済見通しに基づけば、2028年にもインドのGDPの水準が日本やドイツを抜いて世界3位になるとするなど『自然体』でも十分に達成可能とみられている。このような比較的蓋然性が高いとみられる数字を敢えて選挙演説で訴える背景には、これを上回る形での経済成長や構造転換の実現を図ることのハードルの高さを理解しているとも捉えられる。事実、モディ首相は大胆な構造改革や公的部門改革のほか、製造業をけん引役にした経済成長の実現を訴えて2014年の総選挙において政権交代を実現したものの、モディ政権下の10年でインドのGDPに占める製造業比率は低下の一途を辿るなどその実現にはほど遠い状況が続いている。他方、国際金融市場においては中国の景気減速が意識されるとともに、世界的な分断の動きが広がるなかでインドが中国に次ぐ世界経済のけん引役になるとの『期待』を追い風に主要株式指数は最高値を更新する展開が続くなど活況を呈する動きがみられる。人口規模の大きさに加え、その若年層の多さも含めて中長期的にも人口増加が見込まれるなど経済成長への期待は高い一方、GDPに占める製造業比率の低さが足かせとなる形で雇用機会は乏しいなどボトルネックとなり得る状況は山積している。上述のようにナショナリズムの高揚に訴える政治手法は過去にも世界のリスクとなることが懸念されたことを勘案すれば(注2)、先行きもインドに対する見方が変化する可能性は十分に考えられる。足下の国際金融市場や世界経済がインドに抱く期待がただの期待に終わるか、実を伴う形で変貌を遂げることが出来るか、モディ政権の3期目に寄せられる注目はこれまで以上に強くなることは間違いないであろう。

図表1
図表1

図表2
図表2

以 上

西濵 徹


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西濵 徹

にしはま とおる

経済調査部 主席エコノミスト
担当: アジア、中東、アフリカ、ロシア、中南米など新興国のマクロ経済・政治分析

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