インド中銀は6会合連続で様子見、ダス総裁はインフレ抑制へ「最後の1マイル」に注力

~景気、物価両面で些か楽観的な見方も、インフレ抑制へ引き締め姿勢が長期化する可能性も~

西濵 徹

要旨
  • 一昨年のインドは商品高や米ドル高によるインフレに直面し、中銀は断続利上げを余儀なくされた。モディ政権はインフレ抑制へロシア産原油や肥料の輸入拡大のほか、ルピー相場の安定へ為替介入に動き、農産品の輸出禁止に動くなど自国優先姿勢を鮮明にする。これは総選挙を強く意識したものとみられる一方、今月初めに公表した来年度予算案ではバラ撒き姿勢を後退させるなど財政健全化路線を堅持する姿勢をみせた。他方、モディ政権の下では与党BJPの党是であるヒンドゥー至上主義を背景に宗教を背景にした分断が広がる動きもみられるなど、こうした動きがインドを巡るリスクとなる可能性に注意が必要と言える。
  • 足下では食料インフレの懸念がくすぶるものの、インフレ率は中銀目標の範囲内で推移する展開が続くが、中銀はインフレを目標下限(4%)に抑える方針を掲げる。こうしたなか、8日の定例会合では政策金利と政策の方向性が据え置かれている。声明文では、先行きの景気は堅調な推移が続くとともに、雨季の雨量が例年並みとなることを前提にインフレも一段と鈍化するとの見通しを示す。ダス総裁はインフレ抑制の「最後の1マイル」に注力する考えを示すなど抑制的な政策を維持する考えを強調する。予算案がインフレ鈍化を促す期待はあるが、楽観視するのは些か早計であり、景気と物価動向を注視する必要がある。

一昨年のインドにおいては、商品高と国際金融市場における米ドル高を受けた通貨ルピー安に加え、コロナ禍一巡による経済活動の正常化も重なりインフレが上振れし、中銀(インド準備銀行)は物価と為替の安定を目的とする断続利上げに動いたため、物価高と金利高の共存が景気の足を引っ張る懸念が高まった。同国は歴史的にロシアと関係が深いなか、ウクライナ戦争を機に欧米などはロシアへの経済制裁を強化させたものの、モディ政権は商品高の影響を緩和すべく同国から割安な原油や肥料などの輸入を拡大させるなど国益を重視した立ち回りをみせている。さらに、商品高や米ドル高といったインフレに繋がる動きが一巡したことを受けてインフレが頭打ちの動きを強めたため、中銀は利上げ局面を1年弱で休止させるととともに、その後は様子見姿勢を維持する対応をみせた。他方、国際金融市場においては度々米ドル高が再燃したにも拘らず、一昨年末以降のルピー相場は底這いで推移するなど動意の乏しい展開が続いており、この動きを巡ってはIMF(国際通貨基金)が昨年の年次協議(4条協議)において中銀が為替介入により過度に安定化を図った可能性を指摘するなど『注文』を付ける動きがみられた(注1)。ただし、こうした動きはインフレ鈍化を促す一助になった可能性がある一方、昨年の雨季(モンスーン)の雨量は8年ぶりの低水準に留まり、農産品の雨季作(カリフ)の生産量が前年を下回って供給懸念が高まったことで食料品を中心にインフレ圧力が強まる事態に直面している。よって、モディ政権は高級品種であるバスマティ米以外のすべての白米の輸出を禁止したほか、タマネギに高関税を賦課するなど国内向けの供給を優先させることで物価安定を図るなどなりふり構わぬ動きをみせている。モディ政権がこのように『国益重視』の姿勢をみせる背景には、今年は4~5月にかけて総選挙(連邦議会下院選挙)の実施が予定されており、総選挙後の政権3期目入りを目指す意向を示していることが大きく影響している。他方、モディ政権は総選挙を意識する形で過去数年の予算では歳出規模を大幅に拡大させてきたものの、今月初めに公表した来年度予算案では歳出規模の拡大ペースを抑えて『バラ撒き』姿勢を後退させるとともに、財政健全化路線を堅持する姿勢を明らかにしている(注2)。この背景には、昨年実施された総選挙の『前哨戦』である州議会選挙においてモディ政権を支える与党BJP(インド人民党)が善戦したほか(注3)、その後に実施された世論調査においてもBJPを中心とする与党連合(NDA(国民民主同盟))が半数を上回る議席を確保出来るとの見方が強まっていることが影響しているとみられる。さらに、モディ政権発足以降の同国では『ヒンドゥー至上主義』を党是とする与党BJPの下でイスラム教徒をはじめとする異教徒への『迫害』にも近い動きがみられるなか、先月にはかつてヒンドゥー教徒とイスラム教徒が帰属を巡って激しく争った同国北部のアヨドヤのモスク跡地に建設されたヒンドゥー教寺院の落成式が行われた。落成式にはモディ首相も出席して寺院の建設支援を公約に掲げるなかで成果をアピールする一方、野党は世俗主義の理念に反するとともに、式典そのものを政治的として批判する動きを強めているほか、ヒンドゥー教徒とイスラム教徒の対立を巡る新たな火種となる可能性もくすぶる。こうした状況を勘案すれば、インド国内では宗教を背景にした『分断』の動きが一段と広がることも懸念される。

図1 ルピー相場(対ドル)の推移
図1 ルピー相場(対ドル)の推移

図2 農作物の生産量(前年比)の推移
図2 農作物の生産量(前年比)の推移

なお、上述のように足下では食料品を中心にインフレ圧力が強まる動きがみられるものの、インフレ率は中銀目標(4~6%)の範囲内で推移している一方、中銀のダス総裁はこれまでインフレを目標域に収めるのではなく4%に抑える姿勢を示してきた。こうしたなか、中銀は8日に開催した定例会合において政策金利であるレポ金利を6会合連続で6.50%に据え置くとともに、政策の方向性についても「景気下支えに配慮しつつ、インフレ目標への収束を確実にすべく金融緩和の解除に注力する」との方針も維持する決定を行っている。なお、今回の決定では6人の政策委員の評決が政策金利と方向性の双方で「5対1」と割れており、いずれに対しても反対票を投じたヴァルマ委員(インド経営研究所アーメダバード校教授)は政策金利について「25bpの利下げ」、方向性について「中立への変更」を主張している。会合後に公表された声明文では、世界経済について「昨年は驚異的な回復力をみせた後、今年は安定した成長を維持する可能性が高い」との見方を示すとともに、同国経済について「力強く推移している」とした上で先行きについて「ラビ(乾季作)の回復や製造業の収益回復、サービス業の堅牢さが景気を下支えする」として「来年度の経済成長率は+7.0%になり、リスクは上下双方ともにバランスしている」との見通しを示している。一方、物価動向については「食料品物価の動向に左右されるなかで気象条件の影響で不確実性が高い」とした上で、「原油価格を巡っても不透明な状況が続いている」として「今年度のインフレ率は+5.4%となるが、来年度のインフレ率は雨季の雨量が例年通りの水準になれば+4.5%に鈍化する」との見通しを示しつつ、景気同様に「リスクは上下双方ともにバランスしている」との見方を示している。なお、これまでの金融引き締めを受けて足下のコアインフレ率は頭打ちの動きを強めているものの、「地政学リスクやサプライチェーンへの影響、国際金融市場を巡る動向、国際商品市況の動きはインフレリスクを招く」としつつ「食料インフレの動向を注視する」との考えを示している。その上で、政策運営について「利上げの累積効果が経済に浸透していない」との見方を示すとともに「インフレ期待の抑制を図るべく積極的に抑制的な政策を継続する必要がある」とするも、昨年12月の前回会合では再利上げに含みを持たせる姿勢がうかがわれた状況を勘案すれば『タカ派』姿勢は後退したと捉えられる。なお、会合後に記者会見に臨んだ同行のダス総裁は足下の同国経済について「近年は目覚ましい成果を挙げている」としつつ「インフレは頭打ちの軌道を描いている」との認識を示した上で、「インフレ抑制に向けた仕事は終わっていない」「ディスインフレに向けた『最後の1マイル』は常に困難であり、その点に留意する必要がある」と述べるなど抑制的な政策運営を維持する考えを示している。なお、今月初めに公表された来年度予算案について「債務負担の軽減が不可欠であり、政府は財政健全化目標の順守を意識した動きをみせている」と評価する考えをみせており、仮に7月に改めて公表される本予算においても抑制的な内容が維持されれば財政政策もディスインフレを促すことが期待される。ただし、2019年の前回総選挙後にモディ政権が公表した2019-20年度本予算では幅広い分野で歳出拡大が盛り込まれるとともに、結果的に財政赤字は予算で想定された水準を大幅に上振れするなど財政健全化目標が事実上棚上げされたことを勘案すれば、足下の状況を以って楽観的な見通しを立てるのは些か早計と言える。その意味では、中銀が引き締め姿勢からの転換を図るのは後ろ倒しが避けられないと見込まれるほか、景気に対する見方もやや下向きに振れる可能性に注意する必要があろう。

図3 インフレ率の推移
図3 インフレ率の推移

以 上

西濵 徹


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西濵 徹

にしはま とおる

経済調査部 主席エコノミスト
担当: アジア、中東、アフリカ、ロシア、中南米など新興国のマクロ経済・政治分析

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