パキスタン、ナワズ元首相は「復権」の一方でカーン元首相は再び逮捕

~総選挙の行方は同国や地域情勢に加え、地政学的なバランスにも影響を与える意味で要注目~

西濵 徹

要旨
  • パキスタンでは来月8日に総選挙が予定されており、残り1ヶ月を切るなど政治の季節は佳境を迎えている。コロナ禍による景気低迷や豪雨被害により経済は深刻な打撃を受けたが、IMF支援により最悪期は過ぎるもインフレは高止まりするなど国民生活は厳しい状況が続く。こうしたなか、政府は次期総選挙での捲土重来を目指すカーン元首相と同氏が率いるPTIに対して締め付けを強める一方、ナワズ元首相に対しては温情とも取れる動きをみせるなど、両者の支持者間の分断が広がることは避けられない。他方、治安情勢が悪化するなかで同国政府は人道上問題のある動きをみせるが、地政学的な問題を理由に米国も明確な姿勢を示すことが出来ない状況が続く。総選挙の行方は同国の行方のみならず、地域情勢の見通しをも立ちにくくさせるほか、地政学的なバランスにも影響を与える可能性に注意する必要がある。

パキスタンでは、来月8日に総選挙(国民議会(下院)総選挙)の実施が予定されるなど残り1ヶ月を切るなかで『政治の季節』は佳境を迎えている。他方、ここ数年の同国経済はコロナ禍による景気低迷が続いたことに加え、一昨年は一時国土の3分の1が冠水する豪雨被害が直撃したため、昨年度(2022-23年度)の経済成長率は▲0.0%とわずかながら3年ぶりのマイナス成長に陥るなど深刻な景気減速に陥った。こうしたなか、シャバズ・シャリフ前政権はIMF(国際通貨基金)からの支援受け入れ実現に向け、友好国からの資金支援のほか、二国間支援で最大の債権国である中国との間で融資借り換えや中国輸出入銀行による返済繰り延べに向けた合意を得たことも追い変えに、昨年7月にIMFは総額22.5億SDR(約30億ドル)のスタンドバイ取極による金融支援の実施を決定するなど、経済の立て直しに向けた動きが進められてきた。さらに、昨年11月にはIMFがスタンドバイ取極の1次レビューについて実務者レベルながら合意に至った旨を公表しており、間もなくその公表から2ヶ月が経過するなど理事会承認に手間取っている様子はうかがえるものの、立て直しの動きは着実に前進していると捉えられる。ただし、足下のインフレは商品高や米ドル高の一巡を受けて一時に比べて頭打ちこそするも、依然として中銀の定めるインフレ目標を大きく上回る推移が続いており、国民生活を取り巻く環境は依然として厳しい状況にある。次期総選挙を巡っては、一昨年に失職に追い込まれたカーン元首相が捲土重来を期す構えをみせてきたものの、一度は有罪判決(首相在任中の外国首脳から受領した寄贈品の売却の政府報告を怠った罪)の効力停止と禁錮刑の一時停止により道筋が付くも、別の容疑(首相在任中の外交公電の内容を公表した公職守秘法違反)により逮捕起訴されている。その後も、汚職容疑(首相在任中に英国が差し押さえした同国不動産企業オーナーの資産返還に便宜を図る一方、その見返りにカーン氏の妻による大学設立への資金と土地の支援を受けたとされる)を理由に捜査当局がカーン氏を逮捕、起訴するなど、カーン氏や同氏が率いるPTI(パキスタン正義運動)に対する圧力を強めてきた。なお、こうした事態を受けてPTIの支持者の一部が暴徒化して各地で軍施設や軍の幹部宅を襲撃する事態に発展したものの、捜査当局は今月9日に一連の騒動をカーン氏が扇動したことを理由に逮捕するなどカーン氏の再起の芽を摘むことに躍起になっている様子がうかがえる。他方、首相在任中の汚職事件を巡る有罪判決により失職した後に英国に事実上亡命したナワズ・シャリフ元首相(シャバズ前首相の兄)もカーン氏同様に次期総選挙での捲土重来を期す構えをみせるなか、昨年10年に4年ぶりの帰国を果たした上でその直後に同国中部パンジャブ州政府が有罪判決の効力を停止する動きをみせた。さらに、首都イスラマバードの高等裁判所がナワズ氏の汚職事件(いわゆる『パナマ文書』をきっかけに発覚した不正な資金取得)に関連して10年の禁固刑を下した一審判決を破棄して無効としたほか、その後も別の汚職容疑(ナワズ氏が息子の会社から不正な形で資金を受領したもの)による7年の禁固刑を下した一審判決も破棄して無効とする判断を行った。なお、ナワズ氏に対しては首相失職後の2018年に最高裁判所が同氏の公民権を生涯に亘って停止する判断を下すも、その後の法改正により公民権停止措置の上限が5年とされたために次期総選挙には事実上出馬可能とする見方が出ていたものの、最高裁判所は今月8日に2018年の判断を取り消す決定を行っている。ナワズ氏の出馬を巡っては、選挙管理委員会が立候補届を審査しているものの、法律的な問題がなくなったことにより次期総選挙に出馬できる可能性が一段と高まったものと捉えられる。しかし、このようにカーン氏やPTIに対する締め付けを強める動きがみられる一方、ナワズ氏に対する温情の動きが広がりをみせるなどあからさま動きが出ていることを巡ってカーン氏やPTIの支持者の間に反発が強まっており、同国内においても分断の動きが広がることは避けられそうにない。他方、隣国のアフガニスタンにおいてイスラム主義組織タリバンが復権して以降、過激派による越境攻撃が増加しているほか、同国においても政府と対立するパキスタン・タリバン運動(TTP)によるテロ活動が再燃するなど治安情勢が悪化する動きがみられる。こうした事態を受けて、同国政府はタリバンから逃れたアフガニスタンからの避難民について、TTPと関与していることを理由に強制送還させるなど人道面で問題のある動きをみせているものの、地政学の観点から複雑なバランスの上にある上、近年は中国との接近が進む同国に対して米国なども明確な姿勢を示すことが出来ない状況にある。その意味においては、次期総選挙の結果如何では同国のみならず、地域情勢を巡っても極めて見通しが立ちにくくなるとともに、地政学的なバランスにも大きな影響を与える可能性に留意する必要があると捉えられる。

図1 インフレ率の推移
図1 インフレ率の推移

以 上

西濵 徹


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西濵 徹

にしはま とおる

経済調査部 主席エコノミスト
担当: アジア、中東、アフリカ、ロシア、中南米など新興国のマクロ経済・政治分析

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