「債務の罠」を巡る議論をあらためて冷静にみてみると

~中国の「撒き餌」的な問題はあるが、借りる側にも求められる「ご利用は計画的に」~

西濵 徹

要旨
  • スリランカは外貨不足を理由に破たん状態に追い込まれ、経済のみならず政治面でも苦境に直面している。同国の外貨不足は直接的にはコロナ禍による観光業の悪化やゴタバヤ政権による肥料・農薬禁止に伴う農業の悪化に起因する。他方、ここ数年は中国との関係深化やそれに伴うインフラ投資により「債務の罠」に嵌ったこともある。ただし、同国のインフラ投資を巡っては大統領一族による「我田引水」的な動きを中国が後押しした面も大きく、そうしたプロジェクトに海外からの支援を利用したことの問題は小さくない。
  • 他方、世界的には新興国によるインフラ投資ニーズが拡大する一方、既存の支援スキームが充分な資金供給を行えない問題を抱える。中国が主導して設立したAIIBは現状「行儀の良い」運営を行っており、中国の支援がすべて「悪」という訳ではない。ただし、中国が主導する一帯一路の実働部隊は多数の政府機関があり、不透明な契約や政治腐敗の舞台となる例もある。ガバナンスやコンプライアンスで難のある国に中国が無条件で「取っ付きやすい資金」を提供することにより、事態悪化を招いていることにも注意が必要である。
  • 被支援国が取っ付きやすい資金を求めることも問題であり、今後は中国を巻き込む形で「全体最適」を目指すスキーム作りが不可欠である。G20財務相・中銀総裁会議は参加国間の対立も影響して共同声明の採択に至らなかったが、協議難航の影響を受けるのは債務の罠に嵌った被支援国である。中国を巻き込む協議チャネル構築が必要である上、さらなる被害者を生まないために「ご利用は計画的に」の徹底も必要だ。

南アジアのスリランカでは、外貨不足を理由に事実上の『破たん』状態に追い込まれるとともに、大統領及び首相が辞任に追い込まれるなど、経済のみならず政治的にも大きな混乱の渦に巻き込まれる状況が続いている。スリランカが外貨不足に陥った直接的な要因は、一昨年来のコロナ禍による世界的な人の移動の萎縮を受けて主力産業である観光業が壊滅的な打撃を受けたことに加え、ゴタバヤ・ラジャパクサ前大統領が主導した『有機農業革命』に伴い化学肥料と農薬の使用禁止措置に伴い農業部門も壊滅状態に陥ったことが挙げられる。他方、ここ数年の同国においては中国による『債務の罠』をきっかけとする財政状況の悪化が世界的に注目を集めており、そのきっかけとなったのは2005年の大統領選を経て発足したマヒンダ・ラジャパクサ元政権下の9年強の期間に遡る。スリランカは伝統的に経済や政治、安全保障面などで隣国のインドとの関係が深く、経済社会開発面では日本などとも関係が深い一方、マヒンダ元政権下では中国やパキスタン、イランとの関係を深化させた。この背景には、同国において1980年代中盤から25年以上の長期に亘って内戦が繰り広げられてきたなか、マヒンダ元政権が中国やパキスタンの軍事支援を追い風に内戦終結に漕ぎつけたことが影響している。また、マヒンダ元政権下では大統領の兄弟をはじめとする一族による政治支配が進んだが、その背後では中国の支援を通じて多くのインフラ投資が実施されており、足下において債務の罠に陥る一端になったと考えられる。なお、中国によるインフラ支援を巡っては、2000年代以降の海外投資戦略(走出去)に基づく形で拡大してきたほか、ここ数年は習近平指導部が主導する外交戦略(一帯一路)の下で一段と加速してきた経緯がある。スリランカについては、地理的にインド洋におけるアジアと中東を結ぶシーレーンの要衝であり、同国との関係深化は中国のみならず、日本を含むアジア諸国にとって中東からのエネルギー資源輸送の面で重要な拠点となっていることも進出を後押しする一因になったと考えられる。ただし、結果として中国がスリランカへのインフラ投資を拡充させる背後では、マヒンダ元大統領をはじめラジャパクサ一族による汚職疑惑が取り沙汰されるなど、政界を巡る腐敗の舞台となったとみられる。なかでもラジャパクサ一族の地盤である同国南部のハンバントタを巡っては、マヒンダ元政権下で港湾(ハンバントタ港)や国際空港(マッタラ・ラジャパクサ空港)のほか、高速道路及び鉄道の延伸が行われ、いずれも中国による支援により実施された経緯がある。こうした有力政治家による『我田引水』的なインフラ投資自体はどの国でもみられる上、日本においても枚挙に暇がないところであるが、こうした投資を海外からの支援を通じて実施するとなればまた別の議論が必要になる。さらに、ハンバントタ港については2010年に完成するも、稼働率の低さを理由に2017年に運営権が中国企業に99年契約で譲渡されるなど事実上の『植民地』的な動きに発展しており、こうした事態が債務の罠の議論を惹起させる一因になったと捉えられる。

なお、世界的にみれば経済成長も追い風に新興国におけるインフラ投資に対する需要は拡大しており、今後も大幅に増大することが見込まれる。他方、これらのインフラ投資の支援を巡っては、世界銀行のほか、アジア開発銀行(ADB)やIDB(米州開発銀行)、AfDB(アフリカ開発銀行)、EBRD(欧州復興開発銀行)などの地域開発機関、そして日本や米国などOECD(経済協力開発機構)加盟国とEU(欧州連合)で構成されるDAC(開発援助委員会)の下で先進国による開発援助などが担ってきたものの、ニーズを充分に満たすことが出来ない状況にある。よって、中国が一帯一路構想の推進という意図を背後に有しているとはいえども、インフラ投資の支援に動いていること自体はインフラ投資のニーズを資金面で充足する観点で意味があることは間違いない。さらに、中国が主導する形で2015年に発足、翌16年に開業したAIIB(アジアインフラ投資銀行)については、当初は中国が主導権を握る形で中国当局の『別動隊』として動く可能性が懸念されたものの(注1)、2017年に同行が業務拡大を目的に債券発行を行った際は、主要格付機関が同行の『行儀の良い』運営を理由に最高位格付を付与するなど一定の評価を受けている(注2)。また、一昨年以降はコロナ禍で疲弊した国々に対して世界銀行やADBと協調融資のほか、単独事業による支援を行うなどの取り組みもみせるなど国際金融機関として一定の役割を果たしていることは間違いない。よって、中国が主導する支援がすべて悪いと捉えることは早計と言える。他方、中国が一帯一路構想の『実働部隊』には、AIIB以外にも政府系金融機関(国家開発銀行及び中国輸出入銀行)のほか、シルクロード基金、中国・ユーラシア経済協力基金、政府系ファンドなど多数の機関が存在しており、仮にAIIBが行儀の良い運営を行った場合にもこれらの機関が中国当局の意向に基づく別動隊として動くことの問題は多い。事実、上述のスリランカにおいて問題となっているインフラ投資の大宗はこれらの機関による支援によって建設されている。そして、中国の支援によって建設されるインフラ投資を巡っては、その多くが不透明な契約の下で建設を中国企業が請け負うなど事実上のタイド(ひも付き)支援となっているほか、上述のように有力政治家との関わりが深いとされる。スリランカ以外で債務の罠の問題に直面する国は、地理的及び地政学的に重要な位置にある一方、政治的には独裁政権が敷かれている、ないし、汚職・腐敗の問題が指摘される国が少なくない。こうした国は既存の国際支援スキームの下ではガバナンス及びコンプライアンスの面で支援を受けにくい一方、中国の支援はそうした条件付がなく、結果的に被支援国側にとっては『取っ付きやすい資金』となってきた面は否めない。よって、中国による支援がそうしたガバナンス及びコンプライアンスの面で問題のある国々、ないしプロジェクトに対して無条件に実施され、結果的に被支援国に深刻な悪影響を与えていることの問題は極めて大きいと捉えられる。

他方、海外からの支援実施を巡っては、主権の問題から被支援国による要請に基づいて行われるのが通例であることを勘案すれば、被支援国側にまったく問題がない訳ではない。AIIBをはじめとする中国によるインフラ投資を巡っては、中国当局による「援助ではない」との考えを示すように市場ベースの金利が付されており、投下される資金を上回る乗数効果を生まないプロジェクトへの支援を求めることは厳に慎むべきである。その意味では、上述のようにインフラ投資に対するニーズが大きいことを勘案すれば、既存の支援スキームにAIIBのみならず、中国の支援機関を巻き込む形で「全体最適」を目指す援助協調を図る仕組み作りを目指すことの必要性は極めて高い。先日インドネシアで開催されたG20(主要20ヶ国・地域)財務相・中央銀行総裁会議においては、コロナ禍を経て増大が懸念される開発途上国の債務問題への対応が協議されたものの、ウクライナ問題を巡って参加国内の対立が激化するなかで欧米などとロシア及び中国との関係も影響して共同声明が採択出来ないなど、最終的な成果には繋がらなかった模様である。なお、債務の罠に直面する被支援国を巡っては債務再編が不可欠だが、中国による融資は極めて不透明な条件の下で行われているほか、債務再編の経験が乏しいことも理由に後ろ向きの姿勢をみせる傾向がある上、新規融資により事態を一段と悪化させる事態も懸念される。その意味では、被支援国も安易に中国からの新規融資で事態の先送りを目指そうとするのではなく、中国も巻き込む形で債務再編などの対応が円滑に進むよう対話のチャネルを構築していくことが必要になろう。何より、被支援国についても取っ付きやすい資金など存在しないことを肝に銘じてインフラ投資の実現に当たることが求められており、貸金業者のCMではないが『ご利用は計画的に』をあらためて強調する必要性は高まっていると言える。

以 上

注1 2015年3月23日付レポート「中国主導によるAIIBをどう考えるか

注2 2017年6月29日付レポート「ムーディーズがAIIBに「Aaa」格を付与

西濵 徹


本資料は情報提供を目的として作成されたものであり、投資勧誘を目的としたものではありません。作成時点で、第一生命経済研究所が信ずるに足ると判断した情報に基づき作成していますが、その正確性、完全性に対する責任は負いません。見通しは予告なく変更されることがあります。また、記載された内容は、第一生命保険ないしはその関連会社の投資方針と常に整合的であるとは限りません。

西濵 徹

にしはま とおる

経済調査部 主席エコノミスト
担当: アジア、中東、アフリカ、ロシア、中南米など新興国のマクロ経済・政治分析

執筆者の最新レポート

関連レポート

関連テーマ