カンボジア総選挙、野党不在の「出来レース」で与党・人民党が圧勝の模様

~今後の注目はフン・セン首相の長男フン・マネット氏への政権移譲の行方に~

西濵 徹

要旨

カンボジアでは23日に議会下院総選挙が行われた。同国ではフン・セン氏による長期政権が敷かれ、2018年の前回総選挙後には与党・人民党による一党体制が築かれるなど独裁体制が構築されてきた。昨年の地方選挙で躍進した野党は今回の総選挙に参加出来ず、事実上の「出来レース」の元で人民党が議席をほぼ独占した模様である。なお、フン・セン氏は次期首相に長男のフン・マネットを指名するなど政権を禅譲する考えを示しており、今後は政権移行の行方に注目が集まる。フン・マネット氏は米英への留学経験が多く、同氏の元では父同様に権威主義的な路線が続くか、欧米流の民主主義への転換が進むか見方が分かれる。中国への過度な依存の弊害が表面化する一方、周辺国では政治混乱が表面化する動きもみられるなか、現時点ではフン・マネット氏に対して過度に楽観的な希望を抱くことは禁物であろうと捉えられる。

カンボジアでは23日、議会下院(国民議会:総議席数125)の総選挙が実施された。同国においては、1985年にフン・セン氏が当時の最高指導者である閣僚評議会議長に就任し、その後のカンボジア和平を経て現在のカンボジア王国が誕生した直後には第二首相となるも、その後の政権内闘争を経て再度首相に就任するなど、足下では38年に亘る長期政権が敷かれている。さらに、2018年に実施された前回総選挙では、前年に実施された地方選挙で躍進した救国党を巡って、選挙前に最高裁判所が解党命令を下し、主要野党が事実上消滅したことで与党・人民党の独擅場となり、すべての議席を人民党が獲得する事実上の一党体制が構築された。なお、昨年実施された『前哨戦』とされる地方選挙においては、救国党の流れを汲むキャンドルライト党が勢力を伸ばす動きをみせたため、今回の総選挙においては同党の扱いに注目が集まった。こうしたなか、同党は最終的に書類不備を理由に総選挙への参加が認められず、総選挙には人民党をはじめとする計18党が参加したものの、人民党を除けば王党派政党のフンシンペック以外は無名の政党が乱立するなど、2回連続で事実上の野党不在による総選挙となった。このように今回の総選挙は事実上の『出来レース』となる一方、一昨年末にフン・セン氏は後継首相に自身の長男で陸軍司令官を務めるフン・マネット氏を指名し、人民党も同氏を将来の首相候補に指名する決定を行っており、今回の総選挙は次期政権樹立に向けた布石と見做されている。他方、上述のように総選挙に向けて野党が排除されるとともに、総選挙前には政府が野党側による選挙ボイコットを封じるべく投票棄権の呼びかけに罰金を科す法改正を実施したほか、政権に批判的なメディアのウェブサイトを国内で閲覧不可とするようインターネット接続業者に命じるなど、政権維持に向けて『何でもあり』の姿勢をみせてきた。こうした結果、選挙管理委員会による正式発表を前に人民党はほぼすべての議席を独占したとの見解を示すとともに、後継首相候補であるフン・マネット氏の当選が確実になったと明らかにしている(フン・マネット氏は選挙区の比例名簿1位と当選のハードルが極めて低かったと捉えられる)。現地報道などに拠れば、人民党は総議席数の96%を占める120議席を獲得し、フンシンペックが5議席を獲得した模様であるが、政権批判票の受け皿としての役割を十分に果たしているとは言えない状況にある。また、野党による選挙ボイコットの呼びかけにも拘らず、今回総選挙の投票率は84.58%と前回総選挙(83.02%)を上回ったとの見通しが示されており、高い得票率により選挙自体やその結果の正当性を国内外に誇示することを目指している模様である。ただし、こうした結果を受けて、米国政府は総選挙が自由、公正に行われなかったと指摘するとともに、同国に対する一部の対外援助プログラムを一時停止し、一部の政府高官などを対象にビザ発給を制限するといった制裁を発動する方針を明らかにしている。EU(欧州連合)諸国も米国同様に今回の総選挙を巡る動きやその結果に対する反発を強めることが予想されるなど、対外的には一段と厳しい状況となることが避けられそうにない。今回の総選挙を経て事実上の独裁体制が維持されたことを受けて、今後はフン・マネット氏への政権移譲の行方とその時期に注目が集まる。フン・マネット氏を巡っては、陸軍入隊後に米陸軍士官学校(ウェストポイント)のほか、その後も米ニューヨーク大学院、英ブリストル大学院に留学するなど欧米での経験を有しており、政権移譲が行われた場合に父親同様に権威主義的な路線を維持するか、欧米流の民主主義への転換が図られるか、様々な見方が混在している。ここ数年のフン・セン現政権の下では中国への接近が進んでおり、中国も同国を外交戦略の柱である一帯一路で重要視していることも影響して、足下では対内直接投資の約3割を中国からの流入が占めるなど、政治、経済の両面で関係深化が進んできた。こうした経緯も影響して、同国はASEAN(東南アジア諸国連合)の会合において『中国の代理人』的な動きをみせることが多いとされるなか、米国は自身が主導するインド太平洋経済枠組(IPEF)から同国を事実上排除したとされるなど距離が広がる動きがみられた。他方、足下では中国景気の勢いに陰りが出るなか、中国資本が主導してきた多数の不動産開発がとん挫する動きも顕在化しており、中国経済に過度に依存してきたことの弊害が表面化している模様である。こうした状況がフン・マネット氏の判断に如何なる影響を与えるかを注視する必要性は高い。ただし、足下のアジア新興国においては、ミャンマーでのクーデター、タイでの政局混乱など政治を巡る動きが混とんとしており、こうした動きもフン・セン体制下での独裁化を一段と進める一因になっているとみられ、フン・マネット氏に対して過度に楽観的な希望を抱くことは禁物と考える必要があろう。

以 上

西濵 徹


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西濵 徹

にしはま とおる

経済調査部 主席エコノミスト
担当: アジア、中東、アフリカ、ロシア、中南米など新興国のマクロ経済・政治分析

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