ベトナム国家主席にチョン党書記長の側近トゥオン氏が就任

~内政・外交への影響は不透明だが、対中接近や経済面での統制色が強まるなどのリスクに要注意~

西濵 徹

要旨
  • ベトナムでは共産党による一党独裁体制が採られる一方、党書記長、国家主席、首相、国会議長の4人によるトロイカ体制による統治がなされてきた。しかし、2011年のチョン党書記長就任以降は反汚職・反腐敗を名目に党内の派閥争いが激化し、保守派のチョン氏の権限集中が進む。コロナ禍対応を巡る汚職事件で急進派官僚が相次いで失脚するなか、1月には監督責任を取る形でフック前国家主席が事実上更迭される事態に発展した。一連の動きは反汚職・反腐敗の名を借りた党内急進派の放逐であったことは間違いない。
  • 後任人事に注目が集まったが、2日の臨時国会を経てチョン氏の側近であるトゥオン氏が国家主席に就任した。トゥオン氏は52歳と執行部の若返りを図るとともに、チョン氏にとっては側近登用により自身の意向を反映しやすい体制作りが可能となる。内政や外交政策への影響は現時点で不明だが、チョン政権下では中国への接近が強まるなか、米中摩擦の漁夫の利やフレンド・ショアリングで同国が注目を集める状況が一変する可能性もある。経済面で統制色が強まる可能性もあり、同国経済を取り巻く環境が一変する可能性もある。

ベトナム政界を巡っては、ベトナム共産党による一党独裁体制が敷かれている一方、実質的な最高指導者である党中央委員会書記長(党書記長)、国家元首である国家主席、実務のトップである首相、そして、立法機関の長である国会議長の4人による『トロイカ体制』を通じて、一人に権限が集中することにより独裁者が生まれることを回避する体制が採られてきた。しかし、2011年の共産党大会を経てグエン・フー・チョン氏が党書記長に就任して以降、形式的にはトロイカ体制が維持されるも、党内では『反汚職・反腐敗』を名目に、内政、及び外交政策を巡って『保守派』と『急進派』による派閥争いが激化してきた。こうしたなか、保守派のチョン氏に対して、急進派の筆頭で『ポスト・チョン』の最右翼とみられたグエン・タン・ズン氏が2016年の党大会で事実上の引退を余儀なくされたほか、その後も党内ではズン氏の側近などが相次いで失脚するなど、チョン氏を中心とする保守派が主流派を形成する展開が続いてきた。さらに、2016年の党大会を経て発足したチョン政権2期目では、チャン・ダイ・クン氏が国家主席に就任するも、18年にクン氏が急逝した後にはチョン氏が党書記長と国家主席を兼任するなど、なし崩し的に慣例を破る動きもみられた。なお、党規約では党書記長の任期について「連続2期」と定められているものの、2021年の党大会ではコロナ禍という未曽有の危機対応を目的に、チョン氏が共産党体制の下で初めての3期目入りを果たすなど、過去に例のない指導者像を構築することに成功している(注1)。また、3期目を迎えたチョン政権下のトロイカ体制を巡っては、歴史的経緯が影響する形で暗黙の了解とされた出身地のバランスも崩れており、チョン氏と距離がある南部出身者が党中枢から外れることで党内におけるチョン氏への権限集中が一段と進んできた。そして、チョン政権3期目においても反腐敗・反汚職に基づく摘発が続いており、昨年はコロナ禍対応を巡る汚職事件の摘発を理由に政府関係者の摘発が相次ぎ、年明け直後にも筆頭副首相であったファム・ビン・ミン氏と保健担当の副首相であったブー・ドク・ダム氏が解任されるとともに、ミン氏は最高指導部(党政治局員)も解任されるなど党中枢に及んでいる。このように政府関係者の摘発が相次いだことを受けて、2021年まで首相を務め、党大会を経て国家主席に昇任したグエン・スアン・フック氏は1月に監督責任を取る形で国家主席のみならず、政治局員や党中央委員などすべての役職を辞する意向を示すなど、事実上更迭される事態となった(注2)。フック氏は元々2016年に首相を追われたズン氏の最側近のひとりであったものの、ズン氏と袂を分かった上でチョン氏の側近となったことでその後は副首相、首相、国家主席と要職を歴任するなど政界の階段を上る一方、首相在任時には改革派の色合いが強い政策運営を志向したほか、経済界寄りの構造改革や自由貿易を推進する姿勢をみせてきた。また、フック氏の更迭をダメ押ししたミン氏とダム氏の更迭を巡っても、ミン氏は外務官僚出身で米国や英国などでの勤務経験が長いなど改革派であったほか、ダム氏も欧州留学経験を有する改革派であるなど、反汚職・反腐敗の名を借りや改革派の放逐であったと捉えることが出来る。

フック氏が国家主席を事実上更迭されたことを受けて、その後はボー・ティ・アイン・スアン国家副主席が職を代行する対応を取る一方、後任人事の行方に注目が集まった。こうしたなか、2日に臨時国会が開会するとともに、党内序列5番目に当たる党書記局常務であったボー・バン・トゥオン氏を国家主席に選任する決定を行い、同日付で就任した。トゥオン氏は南部出身ながら、党内の青年層の共産主義的な学校であるホーチミン共産青年同盟で長く活動して同組織の第1書記を務めたほか、その後も長く党内において思想分野に精通した保守派(理論派)の筆頭として知られるとともに、チョン氏の最側近のひとりとされる。国家主席人事を巡っては、一時はチョン氏による兼任のほか、反汚職・反腐敗の実働部隊を統括する公安相のトー・ラム氏(ベトナム人民公安大将)を昇格させる案も検討されたとみられるものの、78歳のチョン氏を巡っては健康不安説もささやかれるなかで、側近登用によりチョン氏の意向を反映しやすい体制作りが図られたとみられる。他方、上述のように政府での経験が長い改革派が相次いで失脚するなか、執行部はチョン党書記長(78歳)のほか、チン首相(64歳)、フエ国会議長(65歳)がいずれも高齢であったものの、トゥオン氏は52歳と大きく世代交代が図られたことで長期戦略を立てやすくなるとともに、いずれも保守派が占める形となるなど、内政、及び外交政策面で大転換が図られる可能性も考えられる。同国は中国との間で南シナ海の西沙諸島(パラセル諸島)の領有権問題を抱えるなど国民の間に反中意識は根強いものの、チョン政権下では両国の共産党同士の結束を確認するなど接近する動きをみせてきた。こうした背景には、同国にとって中国が最大の輸出相手であり、中国(含、香港・マカオ)向け輸出がGDP比で2割弱に達するほか、コロナ禍前の2019年時点においては外国人観光客の3分の1を中国(含、香港・マカオ)からの来訪者が占めるなど経済的な依存度が極めて高いことも影響している。他方、党内改革派による対外開放路線を追い風に、近年は欧米など西側諸国からの直接投資も拡大しており、ここ数年は米中摩擦の背後で対内直接投資の受け入れを拡大させるなど『漁夫の利』を受けるとともに、米国は同盟国や友好国との間でサプライチェーンを再構築する『フレンド・ショアリング』を巡って同国を重視する姿勢をみせてきた。しかし、仮にベトナムの外交政策が中国寄りに傾く動きを強めれば、そうした目論見は再考を迫られることは避けられそうにない。さらに、共産党が推進する反腐敗・反汚職による摘発の動きは企業部門にも及んでおり、仮にそうした動きの背後で幅広い経済活動への統制の動きが強まれば、対内直接投資の動きにも悪影響が出ることが予想される。現時点において内政、及び外交政策への影響は不透明であるものの、トゥオン氏は反汚職・反腐敗を一段と強化する姿勢を示すなど、チョン氏の下で進められてきた保守派による統治が一段と前進していくと見込まれる。その意味では、ベトナム経済を取り巻く環境が大きく変化する可能性を孕んでいることは間違いない。

以 上

西濵 徹


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西濵 徹

にしはま とおる

経済調査部 主席エコノミスト
担当: アジア、中東、アフリカ、ロシア、中南米など新興国のマクロ経済・政治分析

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