ベトナム共産党、チョン書記長への権力集中が一段と進む展開

~「反腐敗・反汚職」による権力争いの激化を受け、内政・外交面にも影響が出る可能性が高まる~

西濵 徹

要旨
  • ベトナム政治を巡っては、共産党一党体制の下で党書記長、国家主席、首相、国会議長の4人によるトロイカ体制が採られてきた。しかし、チョン政権の下では反腐敗・反汚職を名目に派閥争いが激化するとともに、チョン氏への権力集中の動きが進んできた。一昨年の党大会でチョン氏は党書記長として異例の3期目入りを果たすとともに、党中枢人事を巡ってはチョン氏と近い保守派、北・中部出身者が占める状況となってきた。
  • チョン政権は3期目入り後も反腐敗・反汚職の動きを強めており、政府関係者の摘発が相次いでいる。今年初めには2人の副首相がその責任で解任され、前首相で国家主席を務めるフック氏も事実上更迭される展開となっている。反腐敗・反汚職の動きは権力闘争の色合いが強く、その余波は企業部門にも及ぶなど内政・外交政策に影響を与える可能性もある。ベトナムは米中摩擦の漁夫の利が期待される形で対内直接投資も活発に推移しているが、政策運営の不透明感が高まれば状況が一変するリスクに要注意と言える。

ベトナム政治を巡っては、1976年の南北統一により現在の形によるベトナム共産党が発足して以降、共産党一党体制の下で実質的な最高指導者である党中央委員会書記長(党書記長)、国家元首である国家主席、実務のトップである首相、そして、足下では立法機関の長である国会議長の4人で構成される『トロイカ体制』による統治が行われてきた。それぞれの役職は基本的に兼任しないことが慣例とされており、この背景には、権限を分散させることにより一人に権力が集中することに伴う『独裁者』が生まれることを回避することが狙いとされてきた。しかし、2011年の共産党大会においてグエン・フー・チョン氏が党書記長に就任して以降、形式的にはトロイカ体制が維持される一方、党内においては『反汚職・反腐敗』を名目に、内政、及び外交政策を巡る『保守派』と『急進派』との派閥争いが激化する動きがみられた。その結果、2016年の共産党大会では『ポスト・チョン』の最右翼と見做される一方、保守派のチョン氏と異なり、急進派の筆頭であった当時のグエン・タン・ズン首相が最高指導機関(党中央委員会)の名簿から外れるなど事実上の引退を余儀なくされた(注1)。さらに、その後も党内においてはズン氏の側近などが相次いで失脚するなど、チョン氏を中心とする保守派が主流派となる動きもみられた。そして、2016年に発足したチョン政権2期目で国家主席に就任したチャン・ダイ・クン氏が18年に急逝した後は、チョン氏が党書記長と国家主席を兼任するなど、上述の慣例がなし崩し的に破られることとなった。過去には、1986年に当時の党書記長であったレ・ズアン氏の急逝を受け、国家主席を務めていたチュオン・チン氏が党書記長を兼任した例はあるものの、同年末に共産党大会が予定されるなかでの『場繋ぎ』的な意味合いが強かったと考えられる。事実、チン氏は党大会において党書記長を退任するとともに、翌87年には国家主席も退任するなど政治の表舞台を降りる決定を行っている。なお、チョン氏は2021年の党大会において国家主席を退任したものの、従来の党規約において「連続2期」を上限としてきた党書記長に留任するなど、現在の共産党体制の下で初めての3期目入りを果たしている(注2)。なお、これは同国が前年からのコロナ禍という未曽有の危機に直面するなか、チョン氏の下で安定した国家運営がなされてきたことから、体制変化に伴う混乱を回避したいとの思惑が影響した可能性がある。他方、最高指導部であるトロイカ体制を巡っては、それまでは南北統一という歴史的経緯も影響して北部と南部という出身地のバランスを採ることにより地域的な融和を図ることが『暗黙の了解』とされてきたものの、チョン政権3期目では党書記長のチョン氏と首相のファム・ミン・チン氏の2名が北部出身、国家主席のグエン・スアン・フック氏と国会議長のブオン・ディン・フエ氏の2名が中部出身であり、南部出身者がゼロとなるなど地域間のバランスが崩れている。こうした動きにも、共産党内においてチョン氏への権力集中が一段と進むとともに、チョン氏と距離があるとされる南部出身者が党中枢から外れる動きが広がっている。

なお、チョン政権が3期目入りした後も反腐敗・反汚職による摘発の動きは続いており、コロナ禍対応を目的とした海外在住のベトナム人を対象とする帰国便の手配、検査キットの調達に関する政府入札に関する汚職事件で政府関係者の摘発が相次いでいるが、その背後には共産党、及び政府内の権力争いの影響がみえ隠れしている。なお、政府関係者の摘発では昨年、保健相であったグエン・タイ・ロン氏とハノイ市人民委員会委員長(市長)であったチュー・ゴック・アン氏が退任後に逮捕され、党員資格がはく奪されたほか、年明け直後にも筆頭副首相であったファム・ビン・ミン氏と保健担当の副首相であったブー・ドク・ダム氏が解任され、ミン氏は最高指導部(党政治局員)も解任されるなど、影響は党の中枢にも及んでいる。このように政府関係者の摘発が相次いでいることを受けて、2021年まで首相を務めた後に国家主席に昇任したフック氏は、17日に開催された党会議において、監督責任を取る形で国家主席に加え、政治局員、及び党中央委員のすべての職を辞する意向を示して承認された。ただし、実態としては党内で一連の汚職事件に関する責任を問われるとともに、事実上更迭されたものと考えられる。フック氏を巡っては、元々は2016年に首相を追われたズン氏の側近であったものの、ズン氏と袂を分かつとともにチョン氏の側近となり、副首相、首相、国家主席と要職を歴任する一方、首相在任時には改革派の色合いが強い政策運営を志向し、経済界寄りの構造改革のほか、CPTPP(環太平洋パートナーシップに関する包括的及び先進的な協定)やRCEP(地域的な包括的経済連携)を推進するなど自由貿易の旗振り役となってきた。他方、チョン氏に権力が集中する背後では、中国との間で南シナ海の西沙諸島(パラセル諸島)の領有権を巡る問題を抱えるにも拘らず、両国の共産党どうしの結束を確認するなど接近する動きをみせている。仮に対中接近の動きが一段と進めば、これまで進められた欧米や日本など西側諸国との自由貿易を推進する動きが後退するとともに、経済政策面では党による統制の動きが強まることも懸念される。事実、反腐敗・反汚職による摘発の動きは企業部門にも及んでおり、こうした動きは習近平指導部の下で反腐敗・反汚職運動を背景に権力集中を進めてきた中国と類似するところが多く、今後は同様の動きが広がることも予想される。その背景としては、チョン氏は78歳と高齢ゆえに度々健康不安説が流布される一方、現時点において『ポスト・チョン』の有力候補が居ないことも影響しているとみられ、今後も反腐敗・反汚職を旗印に党内部の人事に振るいを掛ける動きが強まることも考えられる。ベトナムを巡っては、ここ数年激化する米中摩擦による恩恵を最も受けるなど『漁夫の利』を期待する向きも多く、そうした見方や政治的な安定も追い風に対内直接投資は堅調な流入が続いており、わが国からも数多くの企業が進出する動きがみられる。さらに、こうした動きは足下の同国経済が堅調な推移をみせる一助になっているものの(注3)、政策運営に対する不透明感が高まればこうした動きが一変する可能性もある。その意味では、今後のチョン指導部による反腐敗・反汚職運動の行方とその背後で進む人事を巡る動き、そうした動きに伴う政策への影響にこれまで以上に注意する必要が高まっている。

図表1
図表1

以 上

西濵 徹


本資料は情報提供を目的として作成されたものであり、投資勧誘を目的としたものではありません。作成時点で、第一生命経済研究所が信ずるに足ると判断した情報に基づき作成していますが、その正確性、完全性に対する責任は負いません。見通しは予告なく変更されることがあります。また、記載された内容は、第一生命保険ないしはその関連会社の投資方針と常に整合的であるとは限りません。

西濵 徹

にしはま とおる

経済調査部 主席エコノミスト
担当: アジア、中東、アフリカ、ロシア、中南米など新興国のマクロ経済・政治分析

執筆者の最新レポート

関連レポート

関連テーマ