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日本人が忘れがちな統合型リゾートの留意点

~世界で行われる「ゲーム」の2つの方式とリスク管理~

重原 正明

要旨
  • 世界で行われる「ゲーム」、例えば競馬には、2つの方式がある。基本的に馬券を買った人の間でお金のやりとりが行われる「パリ・ミューチュエル方式」と、馬券の売主が的中時の払戻金支払の責任を引き受ける「ブックメーカー方式」とである。
  • リスク管理の方法は大きく回避・軽減・移転・保有の4つに分けられる。払戻金を支払うことを馬券の売主のリスクとして考えた場合、パリ・ミューチュエル方式はリスクの移転に、ブックメーカー方式は保有に、それぞれ分類される。
  • 日本で行われてきた賭け事は多くがパリ・ミューチュエル方式であるのに対し、世界のカジノで行われている「ゲーム」は基本的にブックメーカー方式である。カジノは主催者自身がリスクを負っているので、その分不正防止に大きな注意を払っている。
  • 日本ではIR推進法等に基づきカジノを含む統合型リゾート(IR)の建設について準備が進んでいるが、このような「ゲーム」の2類型の違いを意識したリスク管理や専門人材の育成等を行うことが重要であろう。
目次

1.はじめに

歳末と言うとクリスマスやイルミネーション、歳末セールや歳の市などいろいろな行事が行われる。競馬好きの人にとっては、有馬記念や中山大障害などの大レースで一年をしめくくる時期といえるかもしれない。

しかし、日本の競馬と例えばイギリスの競馬はその仕組みが違っている。馬券(注1)を買う方にとってはその仕組みの違いはあまり意識されないが、馬券を売る方にとっては大きな違いがある2つの方式が存在する。その違いは、日本でもIR推進法に基づき開設準備が進められている統合型リゾート(Integrated Resort、IR)のリスク管理に大きな影響を及ぼす。

このレポートでは競馬に例を取りながら、世界で行われる「ゲーム」(ギャンブル)の2つの方式の違いを、リスク管理の視点から分析する。その上で、現在議論されているIR内のカジノの管理における留意点について、リスク管理の視点からの示唆を得ることを試みる。

2.世界の競馬の2類型

世界の競馬は、馬券に関して言うと、大きく2つの方式に分かれる。パリ・ミューチュエル(pari-mutuel)方式(注2)とブックメーカー(bookmaker)方式の2つである。

日本などにおける馬券の払戻の方式は、パリ・ミューチュエル方式である。パリ・ミューチュエル方式とは、賭け金を一旦プールして、そのうち一部を開催者等が経費分として取った上で、残りの金額を当選者に賭け金に応じて配分する、という方式である。従ってパリ・ミューチュエル方式では、賭け金を引き受ける側が損することは基本的にない(注3)。一方で、すべての賭け(投票)が終わらないと当たった場合の倍率はわからない。

これに対し、イギリスなどで行われているものはブックメーカー方式である。馬券を売り出す人(ブックメーカー)が、自分の判断で各出走馬の倍率を提示して馬券を売る。馬券が的中した人に対しては、売り出した時に決めた倍率で払戻金を支払う。

ブックメーカーは自分の判断で倍率を決めるので、賭け金の集まり度合いと倍率は関係ない。従って他のブックメーカーの倍率を参照しながら随時倍率を調整していくという。また倍率は自己責任であり、ブックメーカーが高い倍率をつけた馬が勝つと、ブックメーカーが大損することになる。逆にブックメーカーが大儲けすることもある。

歴史的に先に現れたのは、ブックメーカー方式である。山本雅男「イギリス文化と近代競馬」によると、18世紀までのイギリスの競馬は1対1のマッチレースが主で、どちらが勝つかを当てるために、相対で賭けの相手を探して倍率を決めていたということである。その後多頭数のレースになっても同様の相対での賭けが行われていたとのことだが、やがて産業革命に伴う競馬の近代化の流れの中で、各出走馬の倍率を提示して賭け金を集めるという「画期的なシステム」(山本、前掲)が誕生した。賭け金を集める人はその記録帳(book)をつける人という意味で、ブックメーカーと今でも呼ばれている。

パリ・ミューチュエル方式はその後に生まれている。諸資料によると、考え出したのはフランス人のジョセフ・オレール(ムーランルージュの経営者)で、1867年に考案、1891年フランスではじめて法の認可を受けた模様である。

3.リスク管理の4手法と競馬の2類型

競馬の2類型は、馬券を買う側から見るとそれほど大きな違いはない。大きく異なるのは、当たった時の倍率が、買ったときにわかっているか(ブックメーカー方式)、レースが終わった後でしかわからないか(パリ・ミューチュエル方式)の違いぐらいである。

しかし、馬券を売る側からみると、この2つは大きく異なる。売った馬券が当たって払戻金を払うことをリスクと捉えた場合、この2つの方式はリスク管理の方法として違う類型にあるものだからである。

リスク管理の方法、より詳しく言うと、リスクを保有している人がそのリスクに対処する方法は、大きく次の4つに分けられる。

○回避:リスクを持つことをやめる(例:火災の起きやすい地域から引っ越す)

○軽減:リスクが顕在化した場合の損害を軽減する措置を行う(例:火事に備えて消火器を買う)

○移転:リスクを他者に引き受けてもらう(例:火災保険に入る)

○保有:自らリスクを引き受ける

競馬において、売った馬券が的中して払戻金を支払わなければならなくなることは的中リスクと捉えることができる。そのように捉えた場合、競馬の2つの方式はリスク管理上どの分類に入るだろうか。

パリ・ミューチュエル方式では、馬券の売り上げをプールした資金から払戻金が支払われる。言い方を変えると、馬券の的中リスクを、馬券を買った人たちの集団に移転していることになる。つまりパリ・ミューチュエル方式はリスク対応のうちの「移転」にあたる。

これに対し、ブックメーカー方式では馬券の売上金をプールする考え方はない。ブックメーカー自体が馬券を売って金をもらい、的中者が出たなら自分の金で払戻金を支払う。これはリスク管理の4分類の「保有」にあたる。馬券を買う人だけでなく、馬券を売るブックメーカーも「賭け」をしているのである。

的中リスクを馬券の購入者集団に移転するパリ・ミューチュエル方式なら、馬券の販売者は基本的に損をすることがない。馬券の売上高に応じた手数料分が収入になり、結果に依らず売り上げに応じた収益が得られる。また的中時の倍率は馬券の売り上げの分布から自動的に決まってくるので、馬券の売主が各馬券の的中確率を見込む必要はない。ただし合理的な賭けとして成立するためには、ある程度の馬券の販売数が必要となる。

一方ブックメーカー方式では先に述べた通り収益は安定しない。またブックメーカーには的中確率を予測する能力が必要になる。そのかわり、賭ける人が少ないような賭けについても、ブックメーカーが的中確率をある程度予測できると考えた場合は、その賭けに関する投票券を売り出すことができ、賭けが成立する可能性が出てくる。

このように、それぞれの手法には一長一短があり、どちらが優れているというわけではない。ただし馬券の販売者のリスクという点では、ブックメーカー方式の方がかなり大きい。

4.日本のギャンブルとカジノのギャンブル

ここで興味深いのは、日本で現在行われているギャンブルは、その多くがパリ・ミューチュエル方式である点である。競馬などの公営競技は先に競馬について述べた通りである。番号式の宝くじは当せん金が事前に決まっていることや、販売量が少ない場合等には販売元にリスクが生じることから、基本的にはブックメーカー方式ではある(注4)。しかし、宝くじを、連番で発行されるくじの購入者(番号に偏りなく購入されるものとする)の中から当せん者を一定の確率で選ぶものと考えると、実質的にはパリ・ミューチュエル方式に近いものと言える。同じくじでもロトやスポーツくじは、決められた当せん金を的中者で均等配分する方法であり、これも実質的にパリ・ミューチュエル方式の一種といえよう(注5)。

一方で、世界のカジノで行われるギャンブル、あるいは「ゲーム」は、かなりの部分がブックメーカー方式である。スロットマシンは1回ハンドルを下ろすごとにランダムにシンボル(ベルなど)が並ぶが、番号式宝くじのようにすべての組み合わせが順番に出てくるわけではない。従って3つ同じシンボルが並ぶ「あたり」が何回か続くこともありえないことではない。カジノの運営者はスロットマシンの設計上の確率は知っているが、実際の結果はそれからぶれ、その部分の損益は運営者が負うことになる。ルーレットもどこに賭けるか指定するルールはないので、チップがない数字に止まることもあれば、チップが山と積まれた数字に止まることもある。結果の責任はカジノ運営者が負うことになる。トランプゲームなどではディーラーと客が対戦するテーブルの他、客どうしが対戦するテーブルもあるということなので、すべてがブックメーカー方式ではないが、多くの部分でこの方式の賭けが行われている。

ブックメーカー方式ということは、カジノで行われるゲームの結果がカジノ経営者の損益に影響を及ぼすということである。従ってカジノ経営者はそこで行われるゲームに不正が入り込まないよう懸命の努力をしているようである。カジノでの不正は客ではなく経営者自身の金が失われることにつながるからである。

例えばラスベガスでは、その発展の過程で不正が排除されていき、現在では高度な不正防止システムが稼働している。多くの監視カメラが置かれ、不正行為がないか常時監視がされている。また、ゲームの結果に確率的な偏りがないかテーブルごとにリアルタイムでチェックが行われる。ディーラーの行いに対しても厳しい規制があり、いかさまのテクニックを試してみただけで職を失うという。またこのようなカジノの管理については人材養成のシステムもできており、アメリカの一部の大学にはカジノ管理人向けの学科もあるという。

5.おわりに

日本ではよく「賭け事は主催者が儲かるようにできている」ということが言われる。これは日本の賭け事の主流がパリ・ミューチュエル方式であったことに基づくもので、例えばカジノのようなところを考えると通用しない常識である。

日本では2016年にIR推進法(特定複合観光施設区域の整備の推進に関する法律)としてIRに関する基本法が定められ、それに基づき実施法としてのIR整備法(特定複合観光施設区域整備法)が2018年に定められた(注6)。現在はこの2法などに基づきIR区域整備計画の審査が行われていて、大阪の夢洲の計画が2023年4月に審査委員会の審査結果に基づき観光庁の認定を受け(他に佐世保の計画が審査中)、開設に向けた準備が進められている。一方でIRについては当初は数を絞って慎重に進める政府の姿勢に加え、住民の反対や誘致シミュレーションの結果などによりIR誘致をとりやめた自治体もある。

カジノを含むIRの運営に関しては、資金洗浄(マネーローンダリング)の防止や反社会的勢力との遮断、ギャンブル依存症の防止など、様々な課題が検討されている。それらに加え、カジノのゲームの多くが日本の伝統にはないブックメーカー方式であることにも注意が必要ではないだろうか。具体的にはゲームのルールや機械(スロットマシン等)の設計の監視だけでなく、行われているゲームの結果の監視や統計的分析、および不正を見抜く体制の確立とそれを担う専門人材の育成についても留意することが必要かと思われる。カジノは多くのリスクを主催者が引き受けるギャンブルである。その前提のもとに十分な検討と準備が行われることを願いたい。

また、本レポートではリスク管理という切り口から世界の「ゲーム」の違いについて論じてみたが、競馬に見られるようなリスク管理の2類型は、各国の文化等を反映してそれぞれ発達してきたものと思う。このような各国の文化等にも思いを馳せていただければ幸いである。

以 上

【注釈】

  1. 日本中央競馬会などの正式名称では「勝馬投票券」といっているが、海外の競馬ではこの名称が適切でないものもあるので、一般的な「馬券」という名称を用いる。

  2. この「パリ」は綴りの通り、地名のパリではなく、賭けを表すフランス語である。またミューチュエルは「相互の」という意味である。

  3. パリ・ミューチュエル方式の場合、収入のうちの経費分は一般に馬券の売上の一定割合である。従って馬券があまり売れず一定の固定経費がある場合は、経費を経費分の収入で賄えず、赤字になることもある。また、日本中央競馬会などでは計算した払戻金が元金以下となる場合には元金を返すこととしており、その補填により損失を被ることもありうる。

  4. 実際に江戸時代の富くじには思ったほどにくじが売れず、赤字になった例もあるという。

  5. ただし当たりが無い場合もあるなど、ブックメーカー方式に近い面もある。当たりがない場合は当せん金が次回に持ち越される(キャリーオーバー)ものもあり、それらは広い意味ではパリ・ミューチュエル方式とも取れるが、主催者(馬券の売主)が損しない方向にだけブックメーカー方式を取り入れたものとも言えよう。

  6. カジノの運営に係る規定の部分などは施行されていないが、カジノ管理委員会の設置など一部の条項についてはすでに施行されている。

【参考文献】

  • デヴィッド・G・シュワルツ「ザ・カジノ・シティ」(原題 “GRANDISSIMO”)日経BP社 2015年11月

  • 特定複合観光施設区域整備計画審査委員会「『大阪・夢洲地区特定複合観光施設区域の整備に関する計画』審査結果報告書」2023年4月11日

  • 堀紘一「金儲けの下手な日本人のためのカジノ論」KADOKAWA(角川ワンテーマ21)2014年5月

  • 増川宏一「賭博の日本史」平凡社(平凡社選書129) 1989年7月

  • 山本雅男「イギリス文化と近代競馬」彩流社 2013年10月

重原 正明


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