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スターマー英首相は外交上手?

~対米・対EU関係改善に期待~

田中 理

要旨
  • トランプ米大統領の就任以来、関税引き上げの標的となる国が後を絶たないなかで、2月末に訪米した英国のスターマー首相はトランプ大統領から歓待され、関税回避で前向きな回答を得た。両国は今後、貿易協定の締結や経済協力に向けての協議を進める。だが、ブレグジット後の英国が米国との貿易協定の締結を目指した際には、英国の厳しい食品安全基準などが障害となった。貿易協議と関税回避の行方は引き続き不透明だ。

  • スターマー首相は昨年7月の就任以来、金融市場の動揺、景気の先行き不安、支持率低迷などに苦しむ。同氏はこれまで外交の場でも存在感を発揮することが出来ずにいるが、ウクライナ和平を巡る2日の欧州首脳会議を主催し、ウクライナの戦闘終結後に平和維持軍を派遣することやウクライナの安全保障への米国の後ろ盾を得ることに意欲を示している。スターマー首相の真価が問われる。

強烈な個性の持ち主である米国のトランプ大統領との交渉は、トップ同士のケミストリーも重要となる。この点、政治信条やパーソナリティがトランプ氏と真逆と言える英国のスターマー首相の訪米に、筆者は多くを期待していなかった。だが、2月27日の首脳会談でトランプ大統領は、スターマー首相を歓待し、英米間の貿易協定の締結や経済協力の強化、英国の海外領土であるインド洋のチャゴス諸島の主権をモーリシャスに譲渡する計画承認に前向きな発言をした。

スターマー首相の訪米の目的の1つは、英国に関税を課さないようにトランプ大統領を説得することだった。トランプ大統領は26日に欧州連合(EU)からの輸入品に25%の関税を課す方針を示唆したばかりで、27日にもカナダ・メキシコと国境警備の強化などで合意したにもかかわらず、両国に対する25%の関税を予定通り3月4日に発動することを表明した。首脳会談後の記者会見でトランプ大統領は「米英間の貿易関係が公平でバランスの取れたものである」と発言し、英国との間で関税が必要のない貿易協定の締結に向けて協議を進めることを示唆した。両国は人工知能(AI)技術を中核とした経済協定の策定にも着手する。英国はブレグジット後に米国との貿易協定の締結を目指したが、食品安全基準の観点から、塩素処理をした鶏肉やホルモン剤を注入した牛肉の輸入を禁止していることなどが障害となり、暗礁に乗り上げていた。

英国と米国はチャゴス諸島に共同軍事基地を持つため、主権譲渡には米国の理解と事前承認が必要となる。モーリシャスは1968年に英国から独立後、チャゴス諸島の領有を主張してきた。英国は昨年10月、チャゴス諸島の主権をモーリシャスに譲渡することを発表した。主権譲渡後も99年間は英国が基地の運営権を維持することで合意していた。当初、トランプ大統領の就任前に条約を締結する予定で、バイデン前大統領は合意を承認していたが、昨年11月の総選挙でモーリシャスの政権交代があったこともあり、条約締結が大統領交代後に先送りされていた。モーリシャスは中国との関係も深く、チャゴス諸島の主権譲渡が安全保障上の脅威を招く恐れがあるとの声も米政権内の一部で浮上していた。米国が計画に反対する可能性もあったが、トランプ大統領は「うまくいきそうな予感がある」と発言し、主権譲渡計画を米国政府内で検討を進めると回答した。

他方で、スターマー首相にとって、もう1つの訪米の目的であったウクライナの安全保障での米国の後ろ盾を得ることはできなかった。スターマー首相はロシアとウクライナの停戦実現後の平和維持を念頭にウクライナに英軍を派兵する可能性を示唆しているが、ロシアが停戦合意を破ることを防ぐためには米国の後ろ盾が不可欠であると主張してきた。首脳会談では「米英両国が防衛上の第一のパートナーであり続ける」ことを確認したが、トランプ大統領は「希少鉱物へのアクセスを巡るウクライナとの合意案こそが同国の長期的安全の後ろ盾になる」とし、欧州の平和維持活動を米国が支援するかどうかの明言を避けた。

その後の報道にある通り、スターマー首相の訪米翌日に行われたトランプ大統領とウクライナのゼレンスキー大統領の会談は、両者が記者団の前で激しく口論する異例の展開となり、決裂して終わった。ウクライナの停戦合意に黄信号が灯るなか、スターマー首相は3月1日に訪英したゼレンスキー大統領を抱擁で出迎え、英国が今後もウクライナを支援し続けることを約束した。スターマー首相は翌2日にロンドンで開かれたウクライナの和平を協議する欧州首脳等による会合を主催。英仏などがウクライナとともに、ウクライナの戦争終結と和平実現に向けた計画案を策定することで合意した。計画案では、ウクライナでの戦闘終結後、英仏などの有志国連合が平和維持部隊を派遣する。スターマー氏は計画案がまとまり次第、トランプ大統領にも米国の協力を要請するとしている。

スターマー首相は昨年7月の就任以来、トランプ大統領との緊密な関係を構築しようと努めてきた。トランプ大統領が2月19日にウクライナのゼレンスキー大統領を独裁者と呼んだ際には、さすがにこれを批判したが、今回の首脳会談ではトランプ氏への批判を封印し、同氏を持ち上げた。スターマー氏は冒頭の挨拶で、ウクライナ和平でのトランプ大統領の貢献に謝意を表した。また、スターマー首相は訪米に当たり、トランプ大統領を国賓として英国に招くチャールズ国王からの招待状を持参した。トランプ氏の母親はスコットランド出身で、英国には特別な思い入れがある。トランプ氏は大統領任期一期目の2019年に当時のエリザベス女王から国賓として招かれているが、二度目の国賓としての招待は米大統領として歴史的で、前例がないとされる。従来、二度目の公式訪問は国賓としてではなく、君主との昼食会などに招かれるのが通例となっていた。トランプ大統領は国賓としての招待を光栄なことと述べ、これを快諾した。

加えて、スターマー首相は訪米直前の25日、2027年までに国防費をGDP比の2.5%に、2035年までに3%に増加させる計画を発表した。労働党政権としては異例の対外援助予算を削減し、国防予算の増額に充てる。国防予算の増額は労働党が選挙公約にも掲げていたものだが、訪米直前のタイミングでこれを発表したのは、外交的な意図があったのだろう。トランプ氏が予て主張してきた欧州諸国に対する国防費の増額要求に逸早く対応した形で、トランプ大統領は英国の決断を称賛した。こうした手土産が、トランプ大統領の態度を和らげることにつながったかどうかは定かでない。英国がひとまずトランプ大統領の関税引き上げの標的とならなかったのは、単に米国の対英貿易収支が黒字であることが奏功しただけなのかもしれない(図表1)。両国は関税のない貿易協定の早期締結に向けて協議を進めるとしているが、前述した食品安全基準に照らした米国からの食肉輸入の禁止など、合意に向けたハードルは少なくない。

図表1
図表1

ブレグジット後の英国は、より多くの国・地域との自由貿易協定の締結を目指してきた。昨年12月には日本も加盟する環太平洋経済連携協定(CPTPP)に正式加入し、インドとも最近、貿易交渉を再開することで合意した。2010年以来、14年振りに誕生した労働党政権は、クリーンエネルギーやライフサイエンスなどの成長産業への重点投資、所得税や付加価値税など基幹税の増税回避、規制緩和やインフラプロジェクトの承認手続きの簡素化、EUとの貿易協力協定(TCA)の見直しなどを通じて経済・産業の立て直しを急ぐが、政権発足後の金利上昇や国民保険料の雇用主負担の引き上げなどを受け、景気の先行きに対する悲観論が増えている。スターマー首相や労働党の支持率も政権発足後に急落しており、一部の世論調査では、英国独立党(UKIP)やブレグジット党の流れを汲む右派系ポピュリスト政党・英国改革党(リフォームUK)が二大政党を上回る最多の支持を集めている(図表2)。3月には新たな産業戦略や春季予算の発表も控えており、経済の安定を重視するとしてきた政権の方針が改めて試される。

スターマー首相はこれまで外交の場でも目立った存在感を発揮することが出来ずにいたが、ウクライナ和平を巡っては、フランスのマクロン大統領とともに2日の欧州首脳等の会議の議論をリードし、ウクライナの戦闘終了後の平和維持軍の派兵や、米国が後ろ盾を提供するようにトランプ大統領を説得することに意欲を示している。和平計画の策定にはウクライナが参加するが、米国の説得はスターマー首相とマクロン大統領に、トランプ大統領と個人的な関係が良好なイタリアのメローニ首相を加えた英仏伊の3首脳が担うとみられる。先の英米首脳会議でみせたトランプ大統領との予想外の良好な関係を再現できるか、スターマー首相の真価が問われる。2日の会議には近く退陣予定のドイツのショルツ首相も参加したが、政権交代前の暫定首相という立場であり、リーダーシップを発揮する状況にはない。独仏伊首脳とともに欧州内でのリーダーシップが目立ったオランダのルッテ前首相は、北大西洋条約機構(NATO)の事務総長に転身し、首脳という立場ではなくなった。英国は昨年10月にドイツと初の防衛協定を締結した。スターマー首相は2月初旬にEU首脳等の会合に参加し、欧州の防衛力強化に協力する意向を示した。英首相がこうした会合に出席するのは、ブレグジット後で初とされる。英国はブレグジット後に悪化したEUとの関係修復を目指しており、今後は経済分野での関係改善につながるかも注目が集まる。

図表2
図表2

以上

田中 理


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田中 理

たなか おさむ

経済調査部 首席エコノミスト(グローバルヘッド)
担当: 海外総括・欧州経済

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