中国景気は一段と減速するなか、人民銀は金融緩和へ「前裁き」

~効果は不明の一方、金融市場と当局の間で人民元相場を巡る「神経戦」の様相が強まる可能性~

西濵 徹

要旨
  • 足下の中国経済は、昨年末以降のゼロコロナ終了以降も内・外需双方で不透明感がくすぶる。内需面では若年層を中心とする雇用悪化に加え、反スパイ法改正を受けた企業活動の萎縮が足かせとなっている。外需面では世界経済の減速懸念のほか、米中摩擦や世界的なデリスキングの動きが重石となる。結果、足下のインフレ率はマイナスに転じるなど、ディスインフレからデフレに向けた足音が着実に強まっている。
  • 7月単月の経済指標を巡っても、小売売上高は前年比+2.5%に鈍化しており、家計部門の財布の紐が固くなるなかで不要不急の需要が手控えられるとともに、節約志向の強さを示唆する動きもみられる。鉱工業生産は前年比+3.7%と一見堅調さを維持するも、米中摩擦などが影響してハイテク関連の生産は弱含む展開が続く。太陽電池や鉄鋼関連、石油製品関連の生産は堅調な推移をみせるが、今後はこれらの在庫流出がアジアなどでの市況悪化を招くリスクはくすぶる。また、固定資産投資も年初来前年比+3.4%と一段と鈍化しており、オフィスや商業用不動産のみならず住宅向けも幅広く低迷が続いている。一方、投資活動も生産活動もともに政策支援への依存度を高める展開が続くなど、当局に左右される展開が続くと見込まれる。
  • 当局は内需喚起による景気テコ入れに動く姿勢をみせるなか、15日に中銀は1年物MLF金利を引き下げており、2ヶ月ぶりの金融緩和に向けた「前裁き」の動きがみられる。ただし、こうした動きは人民元安を通じて資金流出・逃避を後押しする可能性があるなか、人民元を巡る金融市場と当局の神経戦が続くであろう。

足下の中国経済を巡っては、昨年末以降のゼロコロナ終了による経済活動の正常化が進んでいるにも拘らず、コロナ禍の長期化を受けて若年層を中心とする雇用環境の厳しさを理由に家計部門は貯蓄志向を強めており、ペントアップ・ディマンド(繰り越し需要)を超える形で家計消費が拡大しにくい状況が続いている。さらに、ここ数年の中国経済は不動産投資がGDPの2割を占めるなど景気動向を左右するなか、家計部門の節約志向を追い風に不動産需要が弱含んで市況の頭打ちを招いており、不動産セクターを中心にバランスシート調整圧力や資金繰り不安に直面する事態となっている。こうした動きは、不動産を担保とする銀行セクターの貸出態度悪化を通じて幅広い経済活動の足かせとなっているほか、企業部門は景気に対する不透明感や資金繰り懸念がくすぶるなかで雇用調整圧力が強まり、結果的に家計部門の財布の紐を固くする悪循環に陥っていると考えられる。このように家計消費をはじめとする内需を取り巻く環境に不透明感が高まる一方、世界経済もコロナ禍からの回復をけん引してきた欧米など主要国景気が頭打ちしているほか、ここ数年の米中摩擦に加え、コロナ禍やウクライナ情勢の悪化を受けた世界的なデリスキング(リスク低減)を目的とするサプライチェーン見直しの動きが広がるなど、外需を巡る環境も大きく変化している。こうした経済環境の変化に加え、2014年に制定された中華人民共和国反間諜法(『反スパイ法』)の改正法が先月から施行されたことも重なり、同国に進出する外資系企業を中心に事業環境が悪化するとの懸念も広がっている。結果、足下においては対内直接投資の動きに大きく下押し圧力が掛かる動きがみられるほか、そのことが雇用環境のさらなる悪化懸念を招いており、総じて景気の足を引っ張る動きに繋がる状況に直面している。不動産市況の低迷の動きは資産デフレを招くことが懸念されてきたほか、世界経済の減速懸念を受けた商品市況の調整の動きは企業部門を中心とするディスインフレ圧力に直面する状況を招いてきたが、先月には消費者物価も2年5ヶ月ぶりのマイナスに転じるなど家計部門のディスインフレ基調が強まる様子が確認されるなど、中国経済にも『デフレ』の足音が着実に近付いているものと捉えられる(注1)。

このように家計部門を取り巻く状況が急速に悪化している様子がうかがえるなか、家計消費の動向を示す7月の小売売上高(社会消費支出)は前年同月比+2.5%と前月(同+3.1%)から一段と鈍化して昨年12月(同▲1.8%)以来の低い伸びとなるなど、頭打ちの動きを強めていることが確認されている。前月比も7月は▲0.06%と前月(同+0.24%)から減少に転じるなど頭打ちの動きを強めており、当局が唐突なゼロコロナ終了に舵を切ったことで幅広く経済活動が混乱した昨年12月以来の減少となるなど、家計消費に下押し圧力が掛かっている。経済活動の正常化が進んでいることを反映して外食関連需要(前年比+15.8%)は比較的堅調な動きをみせている一方、対照的に消費財に対する需要(同+1.0%)は伸びが大きく鈍化しており、家計部門が消費財の購入に二の足を踏む姿勢を強めている様子がうかがえる。さらに、家計部門の財布の紐の固さを示して、EC(電子商取引)サイト間の価格競争が激化していることも追い風にECを通じた消費財需要(年初来前年比+10.0%)は、全体としての消費財需要(同+5.9%)を大きく上回る伸びが続いており、ECと実店舗の間でカニバリゼーション(共喰い)の動きが一段と活発化している模様である。なお、消費財のなかでは食料品(前年比+5.5%)や飲料品(同+3.1%)といった生活必需品のほか、たばこ・アルコール類(同+7.2%)などに対する需要は堅調な推移をみせている一方、宝飾品(同▲10.0%)や化粧品(同▲4.1%)など不要不急の消費財に対する需要は弱含む動きがみられるなど、需要を巡る濃淡の様相が一段と強まっている。さらに、住宅需要の弱さを反映して建材(前年比▲11.2%)のほか、家電(同▲5.5%)や家具(同+0.1%)といった耐久消費財に対する需要も力強さを欠く推移が続いており、依然として底のみえない状況にあると捉えられる。また、上述のように外資系企業を中心とする設備投資需要の弱さを反映して事務用品(前年比▲13.1%)に対する需要も大きく下振れしているほか、商用車に対する需要の弱さも自動車(同▲1.5%)に対する需要が弱含む一因になっている可能性がある。

図表1
図表1

家計、企業部門ともに需要が弱含む動きをみせていることを反映して、7月の鉱工業生産は前年同月比+3.7%と前月(同+4.4%)から伸びは鈍化するも、小売売上高に比べて高い伸びが続くなど底堅く推移している様子がうかがえる。前月比は+0.01%とわずかな拡大を維持しているものの、前月(同+0.68%)から大きくペースは鈍化しており、一見底堅い動きをみせている生産活動も頭打ちの動きを強めている。分野別では、経済活動の正常化が進んでいることを反映してエネルギー(前年比+4.1%)の生産の伸びに底堅さがみられるものの、鉱業部門(同+1.3%)や製造業(同+3.9%)と幅広い分野で伸びが鈍化している上、製造業のなかでもハイテク関連(同+0.7%)の生産は一段と下振れしており、米中摩擦やデリスキングを目指した世界的なサプライチェーン見直しの動きなども影響しているとみられる。実施主体別では、合弁による株式会社(前年比+5.0%)の生産活動は堅調に推移しているほか、国有企業(同+3.4%)も底堅い動きをみせているものの、外資系企業(同▲1.8%)は大きく下振れしているほか、民間企業(同+2.5%)の生産も力強さを欠く展開が続いており、こうした動きは企業活動の面でも『国進民退』色が強まっている状況を示唆している。財別でも、ハイテク関連の生産が弱含んでいることを反映してマイコン装置(前年比▲22.3%)や産業用ロボット(同▲13.3%)などの生産は大きく下振れする展開が続いているほか、集積回路(同+4.1%)の生産の伸びも鈍化するなど頭打ちの動きを強めている。他方、内需喚起を目的とする税制優遇措置などの動きを反映してEV(電気自動車)など新エネルギー車(前年比+24.9%)の生産は大きく押し上げられるなど、政策支援の動向に左右される動きもみられる。また、世界的な再生エネルギー需要の高まりに対応する形で太陽電池(同+65.1%)や発電機(同+15.7%)の生産は高い伸びが続いており、世界的に中国製太陽電池への依存度が高まる展開が続くことが予想される。なお、不動産需要は弱含む動きが続いているにも拘らず、鋼材(前年比+14.5%)や粗鋼(同+11.5%)、銑鉄(同+10.2%)など鉄鋼関連の生産は堅調な推移をみせているほか、原油加工量(同+17.4%)の生産も堅調な推移をみせている。過去には、中国国内における過剰生産能力とそれに伴う過剰在庫が海外に流出するとともに、そうした動きが市況悪化を通じて海外企業の淘汰を招くなどの副作用がみられたものの、中国国内における需要回復が遅れるなかで同様の動きが広がる可能性には注意が必要と考えられる。

図表2
図表2

さらに、年明け以降はインフラ関連などの公共投資や企業部門による設備投資、不動産投資などの動向を示す固定資産投資も頭打ちする展開が続いているなか、7月は年初来前年比+3.4%と前月(同+3.8%)から一段と伸びが鈍化しており、単月ベースの前年同月比も7月は▲8.7%と前月(同▲13.1%)とマイナス幅こそ縮小するも、4ヶ月連続で前年を下回る伸びが続くなど低迷している。前月比も▲0.02%と前月(同▲0.02%)から2ヶ月連続で減少しており、頭打ちの動きを強めている。実施主体別では、国有企業(年初来前年比+7.6%)は比較的高い伸びが続いている一方、民間投資(同▲0.5%)は引き続き前年を下回る推移をみせるなど投資活動の足を引っ張る状況が続いている。分野別でも、習近平指導部が製造業の『自立自強』を目指すとともに、世界的なサプライチェーンの見直しの動きに対抗する姿勢をみせていることを反映して、電気機械製造関連(年初来前年比+39.1%)や鉄道・船舶・航空宇宙関連(同+19.2%)、化学原料・化学製品関連(同+13.7%)、非鉄金属関連(同+10.2%)、コンピュータ・通信機器・電子機械関連(同+9.8%)などで堅調な動きがみられる。なまた、電力需要の高まりに対応して電力関連(年初来前年比+25.4%)も高い伸びが続いており、政策支援が大きく影響を与えていると捉えられる。一方、7月の不動産投資は年初来前年比▲8.5%と前年を下回る推移が続いている上、前月(同▲7.9%)からマイナス幅も拡大しており、単月ベースの前年同月比も7月は▲17.8%と前月(同▲20.6%)からマイナス幅は縮小するも大幅マイナスが続いている。オフィスビルや商業施設関連のみならず、住宅関連の投資も弱含むなど全般的に投資活動は低迷しているほか、需要が弱含んでいることを反映して販売額も低迷しており、不動産関連の景況感も7月は93.78と前月(94.05)から一段と低下するなど厳しい状況が続いている。上述のように、中国経済にとって不動産投資はGDPの2割程度に達するなど景気動向を大きく左右するなか、足下の景気は一段と下振れの様相を強めていると捉えることが出来る。

図表3
図表3

なお、共産党は先月に内需下支えによる景気のテコ入れを図る姿勢をみせたほか、政府も内需喚起策としてEVをはじめとする新エネルギー車の普及促進を目的とする税優遇策の継続に加え、家電製品や家具など耐久消費財の需要喚起に取り組むとともに、不動産需要の掘り起こしに向けて若年層など住宅取得が困難な層への支援拡充、住み替え需要の喚起に向けて規制緩和によるローン金利、頭金比率の引き下げといった支援策を公表している。ただし、一連の対応は過去に実施された需要喚起策の『焼き増し』的な色合いが強い一方、具体的な財政措置などが示されていないなど、その効果については不透明なところが少なくない。こうしたなか、15日に中銀(中国人民銀行)は2ヶ月ぶりに1年物中期貸出制度(MLF)の適用金利を15bp引き下げて2.50%としており、今後は指標金利である最優遇貸出金利(LPR)や預金準備率の引き下げなど一段の金融緩和に動く『前裁き』が図られている。ただし、6月の利下げ実施後も上述のように足下の景気は一段と下振れの様相を強めていることを勘案すれば、どれほどの効果が生まれるかは見通しにくい。他方、足下の国際金融市場においては米FRB(連邦準備制度理事会)による一段の金融引き締めが意識されるなか、中銀による金融緩和は人民元安圧力を強めるとともに、資金流出や資金逃避の動きを後押しする可能性もあり、当局と金融市場の間で人民元相場を巡る『神経戦』の様相が強まることも考えられる。改めて当局には正しい現状認識に拠る適切な政策対応が望まれるが、習近平指導部の元ではすべての政策運営が『ブラックボックス』と化すなかで、世界経済はその一挙一動に振り回されるであろう。

図表4
図表4

以 上

西濵 徹


本資料は情報提供を目的として作成されたものであり、投資勧誘を目的としたものではありません。作成時点で、第一生命経済研究所が信ずるに足ると判断した情報に基づき作成していますが、その正確性、完全性に対する責任は負いません。見通しは予告なく変更されることがあります。また、記載された内容は、第一生命保険ないしはその関連会社の投資方針と常に整合的であるとは限りません。

西濵 徹

にしはま とおる

経済調査部 主席エコノミスト
担当: アジア、中東、アフリカ、ロシア、中南米など新興国のマクロ経済・政治分析

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