タイ、感染再拡大懸念がくすぶるなかで反政府デモの動きも再燃

~改憲手続きは振り出しに、憲法改正、王室改革、民主化要求デモは一段と活発化する可能性も~

西濵 徹

要旨
  • タイは輸出依存度が相対的に高く、新型コロナウイルスのパンデミックによる世界的な景気減速の影響を受けやすく、国内での感染拡大の影響も重なり深刻な景気減速に直面した。他方、反政府デモの動きが活発化したことを受けて、政府は感染対策を名目に反政府デモの封じ込めを図るなど政治利用を続ける。昨秋以降は感染が再拡大したため、年明け以降は行動制限を再強化し、ワクチン接種も進むなかで感染者数は再び頭打ちした。ただし、ワクチンの効果や変異株の登場など不透明要因は多く、景気見通しも弱含んでいる。
  • 昨秋以降に感染者数が拡大した背景には反政府デモの活発化が挙げられ、年明け以降は「一時休戦」したことで足下の頭打ちが促されたとみられる。ただし、反政府デモが要求する憲法改正は着実な前進が期待されたが、今月17日に議会は憲法起草会議の設置案を拒否し、改憲手続きは振り出しに戻った。昨年は国際金融市場の「カネ余り」も追い風に通貨バーツ相場は上昇したが、足下では市場環境の変化も重なり頭打ちしている。政治不安の再燃も予想されるなか、バーツ相場を取り巻く状況は大きく変化する可能性もあろう。

タイはアジア新興国のなかでも輸出依存度が相対的に高く、新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)のパンデミック(世界的大流行)による世界経済の減速は実体経済に悪影響を与えやすい上、同国内における感染拡大も相俟って景気に深刻な急ブレーキが掛かる事態となった。なお、タイでは一昨年の総選挙実施を経て民政移管が行われ、事実上の軍政状態が継続することで表面的には政治的な安定が保たれる一方、総選挙では『第3極』で『反軍政』を謳う新未来党(アナコットマイ党:昨年2月に憲法裁が解党命令を下す)が大躍進を果たして存在感を示した。昨春に国内で感染拡大の動きが広がった際には、政府による対応の拙さも相俟って同党支援者を中心に政府への反発の動きが広がりをみせたため、政府は新型コロナ対応を名目に同党への『締め付け』を図るべく非常事態宣言を発令する対応をみせた

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。他方、政府による同党への締め付けの動きが強まった結果、政府への抗議デモは事実上の軍政状態の継続に反対する民主化デモに発展するとともに、政権非難の一部は現行憲法上『不可侵』とされるワチラロンコン国王をはじめとする王室改革を目指す動きとなるなど、国民の分断が広がる事態を招いた
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。なお、非常事態宣言の発令による社会的距離(ソーシャル・ディスタンス)規制のほか、大規模集会の禁止などの行動制限を受けて感染収束が図られたことから、政府は行動制限を徐々に緩和して経済活動の再開を図る一方、反政府デモを警戒して非常事態宣言を延長する対応を続けてきた。しかし、昨秋以降は感染が再拡大する『第2波』の動きが顕在化したため、政府は年明け以降に感染拡大の中心地となっている首都バンコクを対象に行動制限が再強化されており、中銀は景気見通しを下方修正するなど 世界経済の回復を追い風に景気回復が期待された流れに冷や水を浴びせることが懸念された。その後の新規感染者数は1月末を境に頭打ちの動きを強めてきたほか、累計の感染者数は2.8万人強、死亡者数も92人に留まるなどともにASEAN(東南アジア諸国連合)内では少数ではあるものの、足下では新規感染者数が再び底打ちするなど再燃の懸念がくすぶる。

図 1 新型コロナの新規感染者・死亡者(累計)の推移
図 1 新型コロナの新規感染者・死亡者(累計)の推移

政府は今年5月までに医療従事者や疾病対策に関わる政府職員、60歳以上の高齢者や基礎疾患保有者など1,900万人を対象にワクチン接種を実施する計画を掲げ、英国製ワクチン及び中国製ワクチンへの緊急使用が承認されるも、その確保に手間取る展開が続いた。しかし、中国による『ワクチン外交』を背景に先月末に中国製ワクチンが到着して接種が開始されており、足下では国産ワクチンの臨床試験が開始される動きもみられるなど事態改善に向けた動きも前進している。政府は外国人観光客の受け入れの早期再開を通じた景気回復を図るべく来月からワクチンを接種した外国人の隔離期間の短縮を決定したほか、観光地におけるワクチン接種の加速化を図る考えを示しており、仮にそうした動きが進めば景気の押し上げに繋がる可能性がある。その一方、ワクチンの効果や感染力の高い変異株の発見など様々なリスク要因がくすぶるなど、不透明感を払しょく出来ない状況が続いている。こうした事態を反映して、中銀は24日に開催した定例会合に併せて今年及び来年の経済成長率見通しを再び下方修正するなど、景気見通しは弱含む展開が続いている。 昨年末にかけて新規感染者数が増大する事態となった背景には、昨秋に首都バンコクで反政府デモの動きが活発化して都心部を占拠する事態となり、当局がデモ隊のリーダーの逮捕などの強硬手段に訴えたことでデモ隊の動きが反って強まったことが考えられる。さらに、政府は反政府デモを封じ込めるべくあらゆる法律を適用して臨む方針を示すとともに、現実にその後は王室改革を求めるデモに対して現行憲法で規定されている不敬罪を適用して逮捕するなど『何でもあり』の動きをみせた。こうした動きは反政府デモの動きを一段と活発化させたとみられたほか、昨年12月末に民政移管後初となる統一地方選挙が実施されたことも後押ししたと考えられる。なお、統一地方選では新未来党系の民主派団体(進歩運動)が計76県のうち42県で首長候補を、52県で1000人を上回る議員候補を擁立したものの、首長候補は全員落選したほか、当選した地方議員は50人強に留まるなど惨敗を余儀なくされた。さらに、年明け以降は新型コロナウイルスの新規感染者数が急拡大する事態となったため、反政府デモの『一時休戦』を決定したことはその後の感染者数の頭打ちを促す一助となった可能性がある。結果、先月以降は『平和的』に行われる反政府デモの動きが再び活発化しており、足下では参加者数が数千人規模に膨らむ動きもみられるなど、政治を巡るうねりは引き続き勢いを増すと見込まれる。反政府デモが要求する憲法改正を巡っては、昨秋に議会で憲法改正手続きが進められた結果、改正項目や進め方に関する議論が千差万別となるなかで、与党案と野党案に加えて市民団体が提出した計7つの議案が採決され、最終的に与党案と野党案の2案が承認された。ただし、与党案及び野党案については、両案ともに王室に関連する条文はそのままとするなど王室改革デモによる要求は盛り込まれず、改憲内容を検討する憲法起草会議の委員の選定方法の違いが大きなテーマとなっている(与党案は任命制、野党案は公選制)。その後、議会は憲法改定に関する権限の有無の判断を憲法裁判所に求めたが、今月11日に憲法裁は権限を認めるとともに、改憲実現については①改憲の実施の有無の判断、②憲法草案に対する判断、の計2度の国民投票が必要になるとの判断を示した。これを受けて、改憲手続き自体は当初予定から長時間を要するも前進が期待されたものの、17日に開催された議会上下両院合同会議では憲法起草会議の設置案が与党の反対で否決され、一転して改憲議論は先送りされて振り出しに戻った格好である。こうした事態を受けて、憲法改正や王室改革、民主化を求めるデモの動きが再び活発化することも予想されるほか、昨年は国際金融市場が『カネ余り』の様相を強めるなかで経済のファンダメンタルズ(基礎的条件)の堅牢さも追い風に通貨バーツ相場は強含みする展開が続いてきたが、足下では市場環境の変化も重なりバーツ相場は調整している。国際金融市場は同国の政治不安に対して比較的『慣れっこ』であったとみられるものの、事態の深刻化や長期化が懸念されるほか、金融市場環境の変化も相俟って状況は大きく変化する可能性に注意が必要と言えよう。

以 上

図 2 バーツ相場(対ドル)の推移
図 2 バーツ相場(対ドル)の推移

【参考文献】

1 昨年5月 28 日付レポート「タイ・プラユット政権、コロナ禍の「政治利用」に懸念(http://group.dai-ichi-life.co.jp/dlri/pdf/macro/2020/nishi200528thailand.pdf)」

2 昨年 11 月 27 日付レポート「タイ・反政府デモは「出口」がみえず、分断は一層深刻化の様相(http://group.dai-ichi-life.co.jp/dlri/pdf/macro/2020/nishi201127thailand.pdf)」

3 1月 19 日付レポート「タイ中銀の視線はバーツ高への警戒から感染第2波の影響にシフト(http://group.dai-ichi-life.co.jp/dlri/pdf/macro/2020/nishi210119thailand.pdf)」

西濵 徹


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西濵 徹

にしはま とおる

経済調査部 主席エコノミスト
担当: アジア、中東、アフリカ、ロシア、中南米など新興国のマクロ経済・政治分析

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