家庭における高齢者虐待問題

~根絶への課題と取組み~

櫻井 雅仁

目次

1.収まらない高齢者虐待

厚生労働省から、2022年の「高齢者虐待の防止、高齢者の養護者に対する支援等に関する法律(以下、高齢者虐待防止法)」に基づく対応状況等に関する調査結果(以下、調査結果)が公表されている(2023年12月22日)(注1)。養介護施設従事者等(注2)による虐待に関する相談・通報件数は過去16年間で約10倍に、虐待判断件数は約16倍に増加しており(図表1)、養護者(注3)による虐待についても、それぞれ約2倍、約1.3倍に増加している(図表2)。また、虐待が死亡に至るケースも、2022年において養介護施設従事者等で8件、養護者で32件発生している。

2016年4月施行の高齢者虐待防止法により、虐待防止等に関する国・都道府県・市町村・国民の各責務、および虐待を受けた高齢者の保護及び養護者に対する支援の措置等が定められ、様々な取組みが行われている。しかし、相談・通報件数、虐待判断件数の増加傾向は改善されていない。相談・通報の必要性への認識の高まり、高齢者数自体の増加なども理由の1つかもしれないが、本来、尊厳を保持されるべき高齢者に対する虐待は許されるものではない。根絶に向けた取組みが必要であることは明らかだ。

図表 1
図表 1

図表 2
図表 2

高齢者虐待防止法に基づく取組みは今後も継続することになるが、養介護施設における虐待防止については、介護保険法に基づき定められる「指定居宅介護支援等の事業の人員及び運営に関する基準」により、2024年4月1日以降は虐待防止に係る措置(注4)が全事業所で義務化され(一部サービスを除く)、虐待防止に係る措置が講じられていない場合は基本報酬が減算されることになる(注5)。一層の取組み強化と虐待の根絶を期待したい。

他方、養護者については、事前に高齢者に対する介護や生活の世話(以下、養護)に関する研修等を受けているケースを除けば、養護に必要な知識・技術・心構え等の準備を行うことなく養護の現場に臨むことになる。高齢者虐待防止法では、虐待防止に向けた養護者への支援も定めており、市町村は関係機関や民間団体との連携協力体制を整備して取り組んでいるが、発生してしまった後の早期発見・悪化防止・解消に向けた取組みに主眼が置かれており、虐待の未然防止が不足しているように思われる。発生後の措置も重要だが、高齢者の尊厳が損なわれることなく虐待とは無縁の養護が行われることが最良であろう。 そこで本稿では、養護者による虐待の現状を概観した後、これを防ぐための方策について検討する。

2.養護者による高齢者虐待の状況と要因

①相談・通報者

調査結果によると、養護者による虐待の相談・通報者40,678人の属性毎の内訳は図表3の通りとなっている。属性毎の構成比は前年度と大きく変わらず、警察(34.0%)や介護専門支援員(ケアマネジャー)(25.0%)等、部外者からの相談・通報が多く、家族・親族(7.5%)、被虐待者本人(5.6%)、虐待者自身(1.5%)等身内によるものは少ない。これは家族・親族内での不適切な事象を外に向かって明らかにすることを恥、みっともないと考える心理が影響している可能性がある。あるいは、家庭内での養護者の言動が虐待にあたることを、養護者、高齢者いずれも認識していないケースもあるだろう。外部の人に発見されずに隠されている事象が存在する可能性が否定できず、家庭内での未然防止、自浄作用を働かせることが必要と考えられる。

図表 3
図表 3

②相談・通報の結果

また、相談・通報について「虐待ではなく、事実確認不要」と判断されるケースもあるが、94.0%の事案について訪問調査、関係者からの情報収集、立入調査等の事実確認が行われている。その結果は「虐待を受けた又は受けたと思われたと判断した事例」45.0%、「虐待ではないと判断した事例」38.5%、「虐待の判断に至らなかった事例」16.5%となっており、傾向はほぼ前年度(2021年度)と同様である。2021年度の調査結果に基づく、厚生労働省「高齢者虐待の実態把握等のための調査研究事業 報告書」(2023年3月)(以下、報告書)(注6)によると、判断に至らないのは、通報内容、虐待事実が確認できないケースが最も多く、情報不足や、高齢者・養護者からの確認等の事実確認が困難なケースもある。ここでも、身内の虐待を外部に明らかにして解決につなげることの困難さがうかがえる。

③高齢者虐待の種別、虐待者側の発生要因

虐待判断件数は16,669件だが、1件の虐待事案で複数の被害者がいるケースもあり、被虐待高齢者数は17,091人となる。虐待の種別は図表4の通りであり(注7)、身体的虐待と心理的虐待が多い傾向が継続している。報告書によると、虐待が複数の種別にまたがって発生するケースも多く、身体的虐待と心理的虐待の組合せが最も多い。

図表 4
図表 4

次に、虐待者側の虐待の要因を見ると、様々な身体的・精神的・社会的・経済的要因が存在する。その上位10項目は図表5の通りで前年度調査でもほぼ同様である。こうした要因が単独で、あるいは複数が絡み合って、養護者の怒り、イライラ、不安等の負の感情を引き起こし、そのはけ口として、特に身体的虐待、心理的虐待につながりやすいと考えられる。また、どのような言動が虐待となり高齢者の権利・尊厳の保護に反することになるのか、高齢者と良好なコミュニケーション・必要なケアを行うためにどうすれば良いかなど、虐待防止に関する知識・認識の不足は、養護者が無自覚なうちに虐待を行ってしまう原因となり得る。上位10項目には入っていないが、家庭内暴力の加害者が養護者となる場合、養護者が過去に高齢者から暴力を受けていたなど、家庭内に元々存在した暴力が影響して高齢者への虐待が発生する場合もある。

養護者が自身の負の感情をコントロールする術や養護に必要な知識・認識を予め習得することは虐待の未然防止に有効と考える。また、家族・親族や、市町村・地域包括支援センター、地域住民等の助けを求めることができる存在との良好な関係を築くことで、孤立を防ぎ、社会資源へのアクセスを容易にすることができる。養護者が障害・疾病、経済的状況等の生活上の課題を抱える場合は、養護者自身への支援が必要になる。

図表 5
図表 5

高齢者虐待防止法では、高齢者虐待の防止、虐待を受けた高齢者の保護および養護者への支援に努めることを国・都道府県・市町村の責務としている。中でも高齢者・養護者にとって身近な存在である市町村には、養護者の負担軽減のため、養護者に対する相談、指導および助言を行うこと、虐待に関する相談・通報がなされた際の事実確認・評価、高齢者の保護・養護者支援等の虐待解消への措置等が求められている。

市町村は主にホームページで、高齢者虐待防止に関するリーフレット等を掲載して住民に対する啓発活動を行っている。いくつかの市町村のリーフレット等を見ると、「高齢者虐待に該当する言動の内容」、「高齢者虐待の発生要因」、「地域での見守りで見つける高齢者虐待のサイン(早期発見が目的)」、「市町村・地域包括支援センターの相談窓口」等の記載が多い。一方で、養護者の介護疲れ・ストレスの軽減のための具体的な支援策についての記載や、養護者による介護サービスやボランティア・地域住民の支援等の活用推奨を記載しているものは多くない。虐待発生の要因と直接的に関係する負の感情をコントロールする術を習得できる情報はあまり見られない。

あえて言えば虐待が発生した後に、いかに早く発見し、迅速かつ適切に是正・解決に向けて動くかに主眼が置かれており、養護者支援についても虐待が発生した後の措置を強く意識しているようにみえる。もちろんこれらも重要だが、軽度であっても一旦虐待が発生してしまえば、養護者・高齢者どちらにとっても幸せが損なわれることは避けられない。虐待を未然に防ぐことにも、より注力することが必要ではないだろうか。

虐待発生の要因として上位にある「介護疲れ・介護ストレス」を軽減するために、虐待が発生する前に養護者自身が行うべきことは何か、養護が必要となった親等への接し方、特に認知症を発症している場合(注8)に留意すべき事項に関する理解・知識は何かなどについての一層の啓発活動が必要だと考えられる。養護者自身が「虐待の加害者にならないようにするにはどうすれば良いか」を習得できる機会を増やすことが求められよう。

4.介護サービス事業者の取組みに学ぶ家庭での高齢者虐待防止

厚生労働省 社会保障審議会介護給付費分科会(第224回 2023年9月15日)において高齢者虐待防止について議論された際に、複数の委員から、介護サービス事業者における職員に対する知識・技術・倫理観に関する一層の向上、ストレス・感情のコントロール、疲弊・メンタルヘルス対応の必要性等の意見が出された。人員不足によるストレスの解消を求める意見もあった。また、同審議会 介護保険部会(第111回 2024年1月17日)においても、同様の意見がだされている。介護サービス事業者に属して、組織として高齢者養護に携わるプロフェッショナルに対するこうした取組みの必要性が唱えられているなか、単独で突然介護等に臨むことになるケースが想定される一般の養護者への同様の取組みの必要性は一層高いといえる。

こうした、介護サービス事業者での取組みと養護者一人ひとりの積極的な努力は、虐待から被害者の人権や尊厳を守ることに加え、加害者をも守ることになる。虐待発覚により、加害者は自身の人間関係における人格否定・評価悪化、法的・社会的制裁などを被り、発覚に至らないケースでも罪悪感・自己嫌悪を抱き幸福感を損なうことが想定される。これらは、介護サービス事業者に限らず、家庭における養護者についても当てはまる。

高齢者の養護者が家族・親族であることが多い現状で(注9)、高齢者虐待という不幸な事象を根絶するには、介護サービス事業者における取組みだけでなく、養護者に対する自治体・地域のさらなる支援に加え、養護者自身の自覚・自己啓発が必要であろう。

そのためにも、自治体や地域包括支援センターは、養護者に対する虐待事象発生前の助言・指導や情報を一層充実する必要がある。実際に自分の親等の介護経験がある方複数名にヒアリングしたところ、地域包括支援センター等に介護の相談を行った際に、虐待防止に関するレクチャーや情報提供を受けたことはないとのことであった。介護に関する相談を受けた場合、要介護申請を受けた場合などに「定型項目」として、介護サービス事業者が行う虐待防止研修の要素を養護者に伝えることとしてはどうだろうか。たとえば、自己のアンガーマネジメントの方法として、怒りがこみ上げてきたら「6秒待つ」(注10)や、意識して休む、軽い運動で身体を動かすなど、誰でも簡単にできるストレスマネジメントの方法を伝えるだけでも効果があるかもしれない。

養護者自身が「自分が弱っている親等を虐待することなどあり得ない」と思っているケースは多いと考える。しかし、実際に養護を行う中で、「この程度は虐待には当たらない」と無意識に親等にひどい仕打ちをしてしまうこと、様々なストレス・疲れ・不安が積み重なった結果、自分で負の感情をコントロールできなくなり親等にぶつけてしまうことなどが絶対に起こらないとは言い切れない。まずは、そうした危機感をもつことが重要である。その上で、自分が親等の養護を想定する時期になったら、一般的な養護の知識・ノウハウと共に、虐待防止の観点で、養護に必要な知識・情報(特に認知症発症者への対応方法)、アンガーマネジメント、ストレスマネジメント、頼るべき社会資源等についての助言・指導を能動的に求めることも必要であろう。

養護者を取り巻く人達、養護者自身のより積極的な取組みにより、家庭における高齢者虐待のない社会の実現が期待される。

【注釈】

  1. 厚生労働省 プレス リリース「令和4年度「高齢者虐待の防止、高齢者の養護者に対する支援等 に関する法律」に基づく対応状況等に関する調査結果」
    https://www.mhlw.go.jp/content/12304250/001180798.pdf
  2. 「養介護施設従事者等」とは、介護老人福祉施設など養介護施設、または居宅サービス事業など養介護事業の業務に従事する者を指す。
  3. 「養護者」とは高齢者の介護、生活の世話をしている家族、親族、同居人等を指す。
  4. 「指定居宅介護支援等の事業の人員及び運営に関する基準」に規定される高齢者虐待防止のために講じることが必要とされる措置は、「虐待防止を検討する委員会の開催」、「虐待防止のための指針の整備」、「虐待防止のための研修実施」、「虐待防止に係る措置を実施するための担当者設定」を指す。
  5. 社会保障審議会 介護給付費分科会 「令和6年度介護報酬改定に関する審議報告」
    https://www.mhlw.go.jp/content/12300000/001180845.pdf
  6. 厚生労働省「高齢者虐待の実態把握等のための調査研究事業 報告書」(2023年3月)
    https://www.mhlw.go.jp/content/12304250/001148654.pdf
  7. 各虐待種別の具体的な事例は、厚生労働省「市町村・都道府県における高齢者虐待への対応と養護者支援について」を参照。
    https://www.mhlw.go.jp/content/12300000/001148565.pdf
  8. 厚生労働省「令和4年度「高齢者虐待の防止、高齢者の養護者に対する支援等 に関する法律」に基づく対応状況等に関する調査結果」によると、高齢者虐待の被虐待者側の状況要因として最も多いのが「認知症の症状」(56.6%)である。
  9. 内閣府「令和 5 年版高齢社会白書」によると、要介護者からみた主な介護者の続柄は、同居している家族が 54.4%(配偶者 23.8%、子 20.7%、子の配偶者 7.5% 等)であり、介護の主な主体は家族である状況は変らない。
  10. 怒りの感情が生まれたら6秒待って気持ちを落ち着かせる。怒りの感情のピークが続くのは長くても6秒と言われている。深呼吸をしながら1から6まで数えることなどが有効。

櫻井 雅仁


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櫻井 雅仁

さくらい まさひと

ライフデザイン研究部 研究理事
専⾨分野: 介護等、高齢者問題

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