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揺れる「法に基づく支配」と忍び寄る「暴力に基づく支配」の足音

~ウクライナ情勢で問われる民主主義とその前提「自由」の尊さ~

石附 賢実

要旨
  • ウクライナ情勢のように暴力が国家間の紛争解決手段となることを許せば、軍拡競争、ひいては核開発競争に歯止めがかからなくなってしまう。このような事態は人類の繁栄、将来世代のためにも何としても避けたい。
  • 本稿では「法に基づく支配」と「暴力に基づく支配」を比較する中で、「自由」が「法に基づく支配」の形態である民主主義の前提となっていることを確認しつつ、自由や民主主義がいかに尊いものかを考察する。
  • 日本は第二次世界大戦後、一貫して平和国家としての道を歩みながら、こうした価値観を欧米先進国から受け入れてきた歴史を持ち、その価値観の有用性を国際社会に説いて回る役回りを担うに相応しい国家といえよう。
目次

1.揺さぶられる国際秩序

2022年2月24日に始まったロシアによるウクライナ侵略。核保有国かつ国際連合の常任理事国で拒否権を持つロシアが、主権国家ウクライナの領土を蹂躙し無辜の市民を殺戮している。こうしたロシアの行為は、これまで困難を伴いながらも国際社会が機能させようと努力を積み上げてきた国連安保理を中心とした国際秩序・国際規範に対する重大な挑戦の一つといえるであろう。

こうした国際秩序への挑戦は今に始まったものではなく、古くから連綿と続いている。例えば、1932年に国際連盟が物理学者アインシュタインに依頼した公開書簡において、同氏は精神医学者フロイトに「人はなぜ戦争をするのか」を問うた。フロイトは返答のなかで、権力を「暴力」と言い換え、暴力で全てが決する動物の弱肉強食の世界から、人間社会の成熟した「法に基づく支配」に至る過程を説明した。また、「法に基づく支配」から「暴力に基づく支配」へ歴史を押し戻そうとする動きを鮮やかに現わした(注1)。80年以上前の文章ながら、多くの文脈で今日の国際情勢や国連の機能不全、為政者の心理に読み替えることができる。

1932年になかったもの、それが核兵器である。相互確証破壊(MAD、注2)の概念がまだ存在していなかったのである。翻って現在、まさに「法に基づく支配」から「暴力に基づく支配」への移行を加速させかねない事態が発生したわけだが、MADが存在する今日の世界において暴力が国家間の紛争解決手段となることを許せば、軍拡競争、ひいては核開発競争に歯止めがかからなくなってしまう。このような事態は人類の繁栄、将来世代のために何としても避けたい。

2.「法に基づく支配」と「暴力に基づく支配」

そのためには暴力ではなく「法に基づく支配」が優勢な世界を保ちたい。ここで、「①法に基づく支配」「②暴力に基づく支配」をまずは国家の単位で例示して比較する(注3を参考に筆者作成)。まず、「①法に基づく支配」の国家である。

「立法府・政府・司法がけん制し合い、権力を法に基づいて、抑制的に使用する。法に基づいて意思表示の自由や報道の自由などの権利が保障される。思想信条による選挙への立候補の制約はなく、正しい情報に基づいて正しい判断ができる状況下で、公正な選挙が行われる。為政者は有権者の期待に応えようと政策を立案し行動する。」

これに対して、「②暴力に基づく支配」の国家では以下のようなことが起こりかねない。なお、特定の国を念頭に置いているものではない。

「権力に基づく暴力は、独裁者のために使用される。実態として三権分立が確立されておらず、権力が独裁政権に集中する。選挙が実施されない、あるいは実施されていても有権者に正しい情報が届かない中での選挙となり、そもそも政権に反抗的な勢力は立候補ができない。法に基づく支配ではなく、支配のための法。『虚偽情報を報道してはならない』と法で制定し、実際には政権に批判的な報道を取り締まる。政策立案は独裁者の利益のために行われる。」

上記のような「法に基づく支配」は自由・民主主義といった価値観と親和性が高いように見える。これは、暴力の源泉である「権力」をけん制し合う法に基づく仕組み、そして立法府を選択する民主的な選挙があって初めて、「法に基づく支配」が成熟していくからであろう。そして、民主主義は外形的な選挙制度のみでは成立せず、様々な「自由」が前提であることも思い知らされる。

このように「法に基づく支配」とは、権力、あるいは暴力に対する法の優越を確保する考え方である。これまで見てきた国家単位にとどまらず、国家間の紛争を平和的に解決する上でも極めて重要な概念である。もし国家を構成する主体の全てが、あるいは国家の全てが「法に基づく支配」に則り行動すれば、警察や軍隊はいらない。国内外地球上の全ての主体が自由、民主主義、法に基づく支配といったいわゆる普遍的価値観を尊重すれば、である。しかし、我々が今目撃している現実はそのような世界からほど遠い。暴力を信奉する「ならず者」がいる限り警察や軍隊は必要である。逆説的に聞こえるものの「法に基づく支配」のための暴力、柔らかい言葉で表現すれば備えは必要、という厳然たる現実がある(注1、4)。

3.自由や民主主義は維持するのが難しい、極めて尊いもの

民主主義の前提として「自由」が不可欠な一方で、自由をつきつめると平等が損なわれる、すなわち自由と平等はトレードオフとなる面もある(注5)。民主主義国家で格差や分断が深刻化しているといわれて久しく、国民の不満の受け皿としていくつかの民主主義国家で極右や極左とされる政党の合法的な台頭が観察される。岸田首相が提唱している「新しい資本主義」でも、これまでの資本主義は格差や外部不経済を招いたことや、民主主義国家が権威主義国家の挑戦を受けていることを認めつつ、それらを乗り越えるために「経済を持続可能で包摂的なものとし自由や民主主義を守らなければならない」と述べている(注6)。

自由や民主主義が危機にさらされているのは何も現代に限ったことではない。イギリスのチャーチル首相が冷戦初期の1947年に下院で演説した一節「民主主義が完璧である、あるいは万能であるとは誰も思っていない。実際、民主主義は、最悪の政治形態であると言われてきた。これまでに試されてきた他のすべての形態を除けば・・・」も有名である(注7)。民主主義は権威主義や独裁と比して非常に運営が難しい政治形態で、「最悪」と指摘しつつも、権威主義や独裁といった他のどの形態よりもよい、ということをウィットに富んだ言い回しで表現している。

さらに未来に目を向ければ、技術の進歩が自由や民主主義を危機に追いやるとの論調もある。イスラエルの歴史家、ユヴァル・ノア・ハラリは、AIに思想が操作されてしまうと人間の自由意思が奪われ民主主義が成り立たなくなる、あるいは世界がIT独裁に傾くのではと憂慮している(注8)。

第二次世界大戦後77年が経過しようとしている今、日本ではほとんどの世代が戦火や権威主義的な抑圧を経験していない。自由や民主主義は空気のように当たり前に存在するものと勘違いしていないだろうか。維持するのがいかに難しく、そしていかに尊いものなのかということを自覚しなければならない。

4.日本や欧米が果たすべき役割

国家間のパワーバランスを見ると、権威主義国家が台頭してきているとはいえ、軍事力・経済力ともに民主主義陣営が優勢となっている(注9)。世界の軍事費支出の過半がG7諸国で占められ、GDPも自由とされる国だけで6割を超える。民主主義陣営が国際秩序のパワーバランスでまだ優勢を保っている今こそ、その価値観を共有する国家が連帯し、中立的な国家を引き寄せるべく努力しなければならない。

民主主義陣営とされる日本や欧米の多くの国は、かつて帝国主義的な植民地政策を取ってきた、あるいは原住民から土地を収奪してきた歴史を持つ。こうした暴力に基づく歴史に謙虚に向き合い、自由や民主主義、法に基づく支配といった価値観を権威主義的あるいは中立的な国家に押し付けるのではなく、我々の先人たちが苦難を乗り越えこうした価値観を普遍的と確信するに至った過程に思いをはせながら、対話を継続していく必要がある(注10)。

日本は第二次世界大戦後、一貫して平和国家としての道を歩みながら、こうした価値観を欧米先進国から受け入れてきた歴史を持ち、その価値観の有用性を国際社会に説いて回る役回りを担うに相応しい国家といえよう。第二次冷戦への突入も現実味を帯びる中、平和を希求する日本が国際社会でなすべきことはまだまだある。

以 上

【注釈】

  1. A・アインシュタイン、S・フロイト(2016)では、1932年国際連盟がアインシュタインに依頼した公開書簡を紹介している。以下、本文に関係するフロイトからの返信を引用する。
    「人と人のあいだの利害の対立、これは基本的に暴力によって解決されるものです。動物たちはみなそうやって決着をつけています。(中略)はじめは、力の強い者が支配権を握りました。むき出しの暴力、さもなければ才知に裏打ちされた暴力が支配者を決めたのです。」(P24-26)
    「社会のなかには、法を揺るがす2つの要素があることになります。一つは支配者層のメンバーたちの動き。なおも残された制限を突き破り、『法による支配』から『暴力による支配』へ歴史を押し戻そうとします。もう一つは、抑圧された人間たちが絶えず繰り広げていく運動。(中略)『不平等な法』を『万人に平等な法』に変革しようとするのです。」(P30)
    「法といっても、つきつめればむき出しの暴力にほかならず、『法による支配』を支えていこうとすれば、今日でも暴力が不可欠なのです。」(P38)

  2. 相互確証破壊(Mutual Assured Destruction、MAD)は、2つの核保有国の一方が他方に先制攻撃を仕掛けても、必ず反撃を受けると想起することによって双方が核攻撃に踏み切りにくくなるとされる抑止概念。1960年代、発射前の探知が極めて困難な潜水艦発射型弾道ミサイル(SLBM)が米ソに配備されたことを受けて確立された概念。  

  3. 例えば、Masaaki Higashijima (2022)では、民主主義の概念を水平的アカウンタビリティと垂直的アカウンタビリティに整理している。

図表1
図表1

  1. 例えば、ニーアル・ファーガソン(2022)では、インドの経済学者アマルティ・センが中国の大躍進やソ連の大飢饉を引き合いに民主主義は飢饉の最善の解決方法であるとしたことを紹介した上で、民主主義は「軍事的惨事に対しては何の保険にもならないことは明らかだ。『平和を欲するなら、戦争に備えよ』というのは、古来の戒めだ。」(P263)としている。

  2. 例えば、フランシス・フクヤマ(2022)では聞き手マチルデ・ファスティングが哲学的な視点で「ジョン・スチュワート・ミルは、自由主義には自由と平等の葛藤がつきものだと論じています。」と紹介したのに対し、フクヤマは「これはトレードオフだと思います。人によってもっている財産は異なるわけですし、生まれながらの才能も社会から与えられているものも違うわけですから、自由が大きいと結果は平等になりません。」(P15)と述べている。
    この他、池上彰・佐藤優(2021)で佐藤優は「民主主義社会の前提に自由がなければならないのは、当然です。自由主義を貫く限り、独裁も生まれにくい。しかし、例えばなんでもありの経済活動を許したりすれば、世の中は乱れ、格差も拡大することになるでしょう。そうならないためには、適切な規制という民主主義のグリップを効かせて、あるべき平等を確保しなくてはなりません。『自由』と、民主主義との親和性が高い『平等』とは、一方を貫こうとするともう一方が損なわれるという、むしろ対立関係に置かれているわけです。」(P219)と述べている。

  3. 岸田首相が2022年5月にロンドン・シティで講演した際、2つの現代的な課題を解決する必要があるとして以下のように述べている。「1つは格差の拡大、地球温暖化問題、都市問題などの外部不経済の問題だ。グローバル資本主義は成長をけん引し人々を豊かにした。功績は正当に評価されるべきだが負の側面ももたらした。もう1つは権威主義的国家からの挑戦だ。ルールを無視した不公正な経済活動などにより急激な経済成長をなし遂げた権威主義的体制から厳しい挑戦にさらされている。経済を持続可能で包摂的なものとし自由と民主主義を守らなければならない。」
    https://www.kantei.go.jp/jp/101_kishida/statement/2022/0505kichokoen.html

  4. イギリスのチャーチル首相(当時)による1947年下院演説(International Churchill Societyホームページ)より第一生命経済研究所和訳。

  5. ユヴァル・ノア・ハラリ他(2021)では、「その先にあるのはAIが市民一人ひとりに『最適解』を差し出し、本人に意識させない形で思考と行動を操作する未来です。人間の自由意思を否定する未来です。自由民主主義という大きな物語の失墜は、破壊的技術革新とも関係しています。自由経済と民主政治は人間の自由意思を根幹としているのですから。民主主義は繊細な花のように育てるのが難しい。独裁は雑草のように条件を選ばない。コロナ後の世界の潮流がIT独裁へ傾いてゆくのではないかと心配です。」(P308)としている。

  6. 拙稿(2022)「世界軍事費ランキングとパワーバランス」
    https://www.dlri.co.jp/report/ld/186863.html」、(2022)「世界自由度ランキングが語る民主主義の凋落と権威主義の台頭(2022年版update)」
    https://www.dlri.co.jp/report/ld/185975.html」参照。

  7. 普遍的価値観は英語では“universal values”。 “uni”(単一)、“verse”(方向づける)、つまりそれ以外の価値観は認められない、世界中のあらゆる国家や主体が当然に尊重すべき価値観とのニュアンスを包含している。自由や民主主義が十分に浸透していない国家も多数あるなかで、「普遍的」との表現を過度に前面に押し出すことについて、筆者は慎重に対応すべきと考える。自由・民主主義・人権・法に基づく支配が普遍的に重要な価値観であることを否定するものでは全くない。

【参考文献】

石附 賢実


本資料は情報提供を目的として作成されたものであり、投資勧誘を目的としたものではありません。作成時点で、第一生命経済研究所が信ずるに足ると判断した情報に基づき作成していますが、その正確性、完全性に対する責任は負いません。見通しは予告なく変更されることがあります。また、記載された内容は、第一生命保険ないしはその関連会社の投資方針と常に整合的であるとは限りません。