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危機管理投資、成長投資への疑問

~大きな期待感とのズレ~

熊野 英生

要旨

高市政権がいよいよ成長戦略に動き出そうとしている。その姿勢に関しては歓迎したいが、政府主導の産業振興には採算面での危険性もあるように感じられる。わかりやすいのは、経済安全保障の名を冠して、コスト面で割高のものを供給することを正当化することへの疑問だ。政府主導の事業には、どのくらい民間企業や金融機関のガバナンスが関与できるのだろうか。事業としての採算性もチェックして推進されることを期待したい。

目次

※本稿はダイヤモンドオンラインに寄稿した内容をもとにレポートにしたものです。

経済安全保障への疑問

筆者は、今まで高市政権に対して、成長戦略を推進してほしいと要望してきた。だから、ようやく高市政権が官民一体で成長投資・危機管理投資へ動くと聞いて、これを大歓迎するのが筋だと思う。しかし、この危機管理投資にはやや疑問を感じる。失礼を承知で申し上げると、いくつかの案件はより慎重に吟味した方が良いと思う。

例えば、南鳥島沖の深海6千mから採掘できそうなレアアースである。中国が世界の供給を占めているレアアースを日本が輸入できなくなると困るから、日本独自で採掘を試みている。このプロジェクトは、十分に採算が取れるのだろうか。コストは中国産の数倍になる可能性も指摘されている。オーストラリア、ブラジル、ベトナム、インドなども同様に採掘や精錬を試みており、コスト面ではそちらの方が優位かもしれない。その場合、日本は備蓄量を増やし、非常時はオーストラリアなどからの輸入に頼った方がよいかもしれない。

中国にしても、日本が南鳥島産の高コストのレアアースを自給する場合、あえてレアアースの供給を停止することはしないだろう。むしろ、世界に安値でレアアースを供給して、各国が独自で採掘するプロジェクトの採算が取れなくなる行動に出ると考えられる。これは、経済学で「参入阻止価格理論」と呼ばれている考え方である。

それでも、日本はレアアース供給が生命線だから、中国産の数倍のコストをかけることは仕方がないという考え方はある。南鳥島からの供給網をつくることは、中国にレアアース供給を武器化させないための潜在的コストを支払うのだから、合理性はあるという主張もできる。しかし、本当はオーストラリアなどからの供給に相乗りする方が安くつくこともあり得る。だから、南鳥島の計画にこだわらず、まずは中国以外からの供給ネットワークを経済合理性で考えることが本件に関しては必要だと思う。

経済安全保障という概念は、経済合理性を超えた社会的コストをいくらか支払うことは仕方がないという考え方を基盤にしている。ここで大切なのは、その社会的コストの高さを監視して、場合によってはNoを言える体制をつくっておかないと、国民は知らないうちに過大な政府支出を許してしまう。問題の本質は、政府のガバナンスなのだ。競争原理に基づく経済学の発想をもっと重視しないと、そこに政治的利害を優先したとたんに非効率がまぎれ込んでくる可能性がある。

採算性とガバナンス

重点17分野と呼ばれる成長投資候補の中には、中国との競争を強く意識したものがある。造船、資源エネルギー・GX、マテリアル(素材・部品・材料)は、中国が世界で供給するシェアの高い分野で、日本の独自のサプライチェーンを築きたいという思惑が強く働いていると考えられる。問題は、先のレアアースと同じで、十分な採算性が確保できるかにかかっている。たとえ政府が重視していても、採算性が極めて低いと、そのまま実行することが望ましくないこともある。

先日、風力発電のプロジェクトから、大手の参画企業が撤退する事案があった。プロジェクトの狙いの一つは、国内で風力発電周りのサプライチェーンを築き上げようというもので、民間事業者に入札を行ってプロジェクトを実行していた。しかし、各種コストが上昇し、採算性が怪しくなって、参画企業の撤退が起きた。民間企業の撤退は、経済合理性を検討して実施したものである。これはこれで合理的であり、プロジェクトの実行に関してガバナンスが働いたのだと思う。しかし、多くの政府プロジェクトで、この風力発電のように採算性が怪しくなったとき、ステークホルダーがNoを言えるだろうか。

成長投資の事業に民間企業、金融機関が深く参画していれば、採算がチェックされて不採算の状態が放置できなくなる。民間企業が投資をする場合、採算性が怪しくなると場合によって投資分を減損処理しなくてはいけないことも起こり得る。米国ではEV事業が思ったように収益を出せず、欧米企業が相次いで減損処理に踏み切った。これは採算面で民間企業のガバナンスが働いたという理解もできる。政府の主導する事業では必ずしもこうした会計処理が行われないから、かえって採算確保が甘くなり、事業中止の判断が遅れることが起きるリスクが内在する。成長投資についても、何らかのガバナンスが効くようにして、巨大投資の採算性がおろそかにならないことを願う。

モデルは中国なのか?

日本政府が、これほど成長投資に熱心になるのは、その影にイメージする成功モデルがあるからだろう。それは、中国が太陽光パネル、半導体、EV、ロボット、AIなどの分野で国家主導の産業振興を行って、成功を収めてきた経験である。中国が製造強国を目指して、巨大な研究開発費を投じていることは知られている。日本は、研究開発の規模で大きく水を開けられて、次世代技術で覇権を握られることに潜在的な恐怖感がある。政治的利害から言えば、国際競争力を中国にもっていかれることは耐えがたいことなのだろう。だから、米国でもトランプ政権は、対米投資を日本、EU、韓国などに求めて、資金協力と民間企業の参画を強要している。2月17日に、日本は対米投資の第1弾として、ガス火力発電所、原油積み出し港の整備、人工ダイヤモンド製造施設の3件を決定した(360億ドルとの報道)。米国もまた中国との競争で自国の競争力を強化したいという政治的願望がある。トランプ大統領になって、その願望がむき出しになって、日本への投資要求が行われた格好である。

ところで、こうした国家主導の産業振興はうまく行くのだろうか。中国の成功例を見れば自明と思うかもしれないが、必ずしもそうではないと考えられる。中国式イノベーションは、米国など先行する技術体系に追い着くには無類の威力を発揮するが、新しい需要を創出して“市場をつくる”タイプの成長は苦手とされる。重点17分野のうち、コンテンツ、フードテックは市場をつくるタイプに見える。それでも市場が少し小さすぎる印象もある。それによく話題としてたびたび聞いたことのある分野に、政府が改めてスポットを当てている感じだ。

経済学の知見を用いると、国家主導の産業振興が成功しやすいのは、規模の利益が働きやすいケースである。モデルは戦略的貿易政策と呼ばれる。事業に巨大な固定費負担がかかるとき、期待される販売数量が大きくなるほど、固定費負担を政府が支援することでその事業は成功しやすくなる。例えば、半導体や太陽光パネルの事業で1兆円の投資コストがかかるとしよう。この投資の半分を政府が補助すると、事業者は薄利多売で巨大な市場で勝ちやすくなる。半導体市場が巨大であるとき、政府支援を受けた事業者が圧倒的な生産量をつくり、平均費用を極端に引き下げられると、安値で市場を独占できる。この話は、中国だけでなく、日本の半導体の支援で何か似ていると思う人はいるはずだ。この戦略的貿易政策の考え方が理論的支柱になって、1990年代以降の自由貿易を理想とする経済モデルが変わってしまったと筆者は考える。さらに、バイデン政権下では、安全保障担当の大統領補佐官が、経済安全保障という名前で独自の貿易政策論を強力に推進した。筆者のような純粋に貿易理論を考える人間からみれば、経済安全保障や食糧安全保障はどうしても非経済学的な存在に思えてしまうが、現在はそれが一大潮流になっている。高市政権が依拠している国家主導型産業振興も実のところ、戦略的貿易政策などをバックボーンにしているように思える。しかし、それは規模の利益によって市場で勝つことのできる特定分野に限って成り立つものだと思う。だから、採算性のチェックを厳しく行わないと過剰投資が生じやすいと考えられる。

熊野 英生


本資料は情報提供を目的として作成されたものであり、投資勧誘を目的としたものではありません。作成時点で、第一生命経済研究所が信ずるに足ると判断した情報に基づき作成していますが、その正確性、完全性に対する責任は負いません。見通しは予告なく変更されることがあります。また、記載された内容は、第一生命保険ないしはその関連会社の投資方針と常に整合的であるとは限りません。

熊野 英生

くまの ひでお

経済調査部 首席エコノミスト
担当: 金融政策、財政政策、金融市場、経済統計

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